女子力とカレセン

今日は雛祭り、そう女子の日である。

「女子力」という言葉が使われ始めたのはいつ頃からだろうか。
コピー的には3年ぐらい前から使用し始めたような気がする。某下着メーカーのお仕事などで、やたら「女子力アップ」とか「女磨き」のような言葉が喜ばれるようになった。

女子力とは、若い女性がキレイになることへのモチベーションを高める言葉とでも言おうか、堂々とオンナを売りにすることをはばからない、しかも男性に向けて媚びを売るのではなくて、女を称え合う言葉というか、一緒に切磋琢磨する前向きなニュアンスがあるように思う。

草食系男子や弁当男子が増殖し、やさしく、堅実になっていくオトコを置き去りにしていくように、ギラギラと目を輝かせ、独走している感のあるイマドキの女子。ますますどん欲にオンナを謳歌している彼女達からは、なんだか男子にはないほとばしるものを感じる。

それは若い女性に限らず、40代、50代の女性も同じである。年を追う毎にますます増幅する若さや美への欲求、一刻の猶予もないためか、オンナ磨きに執念を燃やすこの世代の女性達の真剣味は違う。中には度を超し、少々暑苦しい女性も見かけたりはするが・・・(笑)

一方、中年オトコも、「レオン」なんかの雑誌が発刊されて以来、一時はちょいワルオヤジなんて言葉がもてはやされて、お父さん達もその気になったかのように思えた。が、やっぱりこんな時代がそうさせるのか、どちらかというと"ちょいくたびれたオヤジ"の方が目立つように思う。ちょいワルやるにも心やお金の余裕がいりますからね〜 広告業界なんて、見かけも中身も含めてちょいワルオヤジがフツーにいる業界であるが、この間ばったりそんなちょいワルオヤジに会ったら、何か逆に世の中から半音ずれてる、という感じがした。

既にちょいワルオヤジも時代の最先端ではないらしい。最近では「カレセン」という言葉まで出現。そう、漢字で書くと「枯れ専」。女や出世を狙う、ギラギラとした野心も野性もそぎ落とし、悟りを開いたように静かに生きる50〜60代の男性達だ。そしてこういうカレセンを好む若い女性達も増えているとかで、年の差カップルの増加を誘因しているらしい。枯れないオンナに、枯れるオトコ。ま〜、世の中はざっとこんな傾向のようだ。

カレセンと聞いて、ある人のことを思い出した。

代理店時代、一時期一緒に仕事をしていたOさん。私の中では「枯れる」という感が最も似合っていたような人だった。ラジオのCM制作の際、スタジオに現れるディレクターで、その時すでに50歳はとうに過ぎていたと思う。かつては地元の放送局などで活躍したこともあったようだが、とっくに閑職に追いやられ、ラジオCMの録音のQ出しのためだけに毎週通ってこられていた。別に他の人でも全然構わないのだが、自分が仕切ってると主張せんばかりに詩吟のように力強く「キュー!」とどなっておられたのを思い出す。そういうどこか子供っぽいところを、周りのみんなも承知していた。

その方がもうオトコの美学に完全に浸りきっていた方だった。黒のジャンパーに黒のスラックス、オールバック、昭和のヤクザ映画から抜け出して来たような出で立ちで、道で会ってもいつも正面を睨み、肩で風を切って歩いている。オトコは黙ってサッポロビール、みたいな美学を貫いておられるのだが、線が細くて迫力に欠け、実はガラスのようなハートの持ち主。言葉を発すると、歴史の話や散文の一節などが出てくる(よく中将姫の話をよく聞かされた)。

とっててもいい人ではあるのだが、つまりま〜ったく時代錯誤が甚だしく、しかもま〜ったく世の中や周囲に順応できていないところが、見ていて痛々しいくらいの人であった。自分でも必要とされている仕事がないとわかっておられたと思うけれども、最後まで「キュー!」と吠え、周りに迎合することなく美学を貫き通したOさん。しかし環境に順応しない生物はやがて葬られる。まもなく病気をされてあっけなく他界された。枯れ木がぽきんと折れるように・・・。

オトコという生き物は、心臓が動き、血液が流れて生きているのではなく、プライドという生命装置によって生かされているのではないかとさえ思えた。Oさんも潔く好々爺になっていれば、もっと長生きしたのかも知れない。ギラギラしたものを捨て、静かに余生を生きることを選ぶカレセンと、Oさんの枯れ方ではちょっと違う。Oさんには余生などという言葉はなかったのだ。そういう観念も人生設計もなく不器用に自分の生き方を貫き、枯れ果てた。

だけど今思うと、Oさんのことを閑職でも雇い続けた会社や、あまりに時代錯誤でもちゃんと尊敬し、温かく見守っていた周りのスタッフがえらかったな〜、いい時代だったな〜と思う。

オトコは枯れていくようだが、オンナはまだまだ先が長い。これから何度花を咲かせられるか、雛祭りの今日、私も密かに女子力アップを誓っておいた(笑)。

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素敵に裏切って!

昨日、お山の上で蝉の鳴き声を聞いた。

テラスにある花の植木鉢に蝉の抜け殻&蝉そのものが張り付いているのを発見sign01

わかりやすい・・・coldsweats01 

でも鳴いていたのはその蝉ではなく、そいつはまだおとなし~く植木鉢に張り付いているだけで、活動モードにはなっていない様子。でももうすっかり梅雨は明けてしまったよう。いよいよ「夏が来た~!」って感じであるsun

ところで、夏になるとお山の上あたりではどこかしらでお庭でバーベキューしている家族があって、散歩しているとぷぅ~んといい匂いがしてくる。ワイワイバーベキューで食べるお肉もおいしいが、私はやっぱり牛肉はタタキで食べるのが一番好きheart01 万能ねぎを刻んだものを上からかけ、さらに長めに切ったものも巻きつつ、ネギまみれの肉をポン酢でさっぱりいただくのがおいしいsmile

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もともと牛肉はタタキとか、ステーキとか、しゃぶしゃぶとか、なるべく調理しないメニューで食べるのが好き。しかも食べるのが遅く、お酒を飲む私は、焼肉やバーベキューではついつい食べ負けしてしまう。私が1きれ食べる間に、みんな3きれ、4きれ食べており、バーベキューであってもどうしても晩酌のペースから抜け出せない私には、タタキをつまみながら赤ワインというスタイルがすご~く合っているのだ。最初から冷たいので、冷めてまずくなる心配もなく、あせらず食べられる。

それに表面はこんがり炭火で焼かれて、中はしっとりとしたナマ。

という一口で二度おいしいところも美味のセオリーにのっとっていると思う。「外はこんがり、中はもっちりしたパン」とか、「表面はサクサク、中はとろけるカスタードのシュークリーム」とか、だいたい人間の舌というのは、この相反する味わいの二段構えが好きなのである。外も内も同じような食感と味わいで意表をつかれないよりは、香ばしい焦げ目をつけた外側に対してしっとりやわらかな内側という、いい意味での裏切りに出会うと一層お口が喜ぶdelicious

「人」も同じことが言えると思う。

一見コワそ~な人が、実はしゃべるとやさしかったりすると、かえって親近感がわいたりするし、見かけはうだつの上がらなさそうな人がすごい仕事をしたりすると、そのギャップの激しさが故に余計インパクトを与える。人と人との関係でも、いい意味で裏切ることは絶対効果的である。

逆に言うと悪い意味で裏切ってはならないということだ。

きれいな人なのに、裏では唾を飛ばして人の悪口を言っていたり、最初は立派なことをしゃべっていたのに、いざ仕事をすると全然大したことなかったり・・・。そんな人に出会うと、評価が必要以上に下がってしまう。

そうはならないよう、心がけたいものである・・・think

かと言って見たまんま、というのもドラマがなさすぎる気がする。話してみても、第一印象から少しもイメージが変わらないというのも、いい意味では裏表のないということなのだろうが、ま、いい大人になると、1つや2つは謎めいたところも持っていたい。

例えば女性なら、相手から1歳の誤差もなく年齢を言い当てられたらどうだろう・・・。

「う~ん、41歳!」

40歳でもなく42歳でもなく、40歳を1つ出た41歳という微妙な年齢を言い当てられたりすると、ごっつ~複雑な心境にはなると思う。40歳よりは老けて見えるのだという物悲しさが漂いつつも、ドンピシャ言い当てられたあまりにリアルなわが身を認識して、やけに恥ずかしく思えてしまう・・・。老けて見られるのもショックだが、ズバリ言い当てられるというのはそれ以上に何か心に訴えかけるものがある。

1歳や2歳で、ガタガタ言うなdash

という人もいるかもしれないが、1歳でも、2歳でも若く見られたいというのは世の多くの女性の切なる願いであろう。実年齢を言ってから「え?わか~い」という裏切りを得てこそ、女磨きにも力が入るというもの。女性の年齢というのは「見たまんま」では努力不足なのだ。常に年齢で人を裏切り続けてこそナンボなのである。

気がつくと、牛肉のタタキの話からここまで発展してしまった・・・sweat01

でも今日のハナシ、ちょっとは楽しく裏切れただろうか・・・sign02

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恋愛できない理由

「あなた、毎日が充実してるでしょう? そういう人にオトコはできないのよ」

Yさんは年上の女性からそう言われたらしい。
確かに仕事に趣味にと忙しく、旅行にもよく出掛ける行動派だし友達だって多い。それにどう見ても5歳は若く見える若々しい容姿に、きれいなお肌。本当に美しく生き生きとしている彼女だけど、毎日そうやって楽しくやっているからといってそれが恋愛できない理由になるのだろうか....?
ワタシはその先輩の意見には甚だ疑問である。

だったら恋愛というのは人生に充実していない人同士がくっつくものなのだろうか?
何か欠けてるオンナにしかオトコは寄ってこないのだろうか?
昔何かの本には男も女も、互いに欠けているものがあるから永遠に求め続けるのだと書かれてあった。その言い分はロマンちっくな方向性としてアリとしても、実際この世には男と女しかいないし(ま、概ね一応どっちかに所属してるじゃん)、欠点のない人なんていないのだから、みんなその対象ではあるはず。

じゃ、毎日楽しくやってる人に彼氏ができないというのは、スキがないということだろうか。今日は○○ちゃんとご飯食べ、明日は試写会。明後日からローマへひとり旅♪な〜んあて毎日楽しくやってたら、恋愛するヒマなどないかもしれない。じゃ、ヒマだったら彼氏できんの?というとそんなことは全然ないと思う。確かに忙しいと物理的に時間がなくて、それどころじゃないのはあると思う。でも時間がある人の方が断然有利だったら、今頃老若男女、暇人の数だけ恋愛パラダイスってことになっているはず。そんな暇人恋愛モードもなんかまった〜りしすぎで世の中の秩序が乱れそうである...。

スキというのはきっとそういうことではない。

ワタシは学生の頃、街を歩いていて
「アナタ、便秘してますね!?」といきなり知らない女性から声をかけられたことがある。
ワタシもワタシで、「え〜、なんでわかるんですか!?」と、
本当に便秘していたもので、思わず食いついたことがある。
今でこそ誰もひっかからないキャッチセールスに、当時のウブなワタシはまんまとひっかかって20万ぐらいするようなマンナンライフを買わされた苦〜い経験があるのだ...何を隠そう(笑)。

つまり、スキとはこういうことを言うのだろう。

誰彼なしに声をかけているのに、ふと自分の心のスキに入り込んで来るキャッチセールスの罠。
あまりにもわかりやすい例なので、「スキのある人=愚か者」というイメージに短絡的に陥りそうだが(笑)、要するに付け入られる余地、つまりゆるぎない自分ではなく、ゆるぎある自分の部分のことだと思う。弱さなのか、未熟さなのか、迷いなのか、そういうちょっと不安定なところがスキになって表れるのだろう。

いずれにしても先輩の理屈だと、恋愛しようと思えば、
何か満たされずに、心にスキをつくっておくことになる。

なんかそれって、随分悲観的な発想という気がする。
宇野千代だって、瀬戸内寂聴だって、毎日エネルギッシュにガンガン働いて地位も名誉も得ながら、大いに恋をした女性達である。多少は満たされていない部分もあったかもしれないし、マンナンライフを買わされるまではいかなくとも(自虐)、あーゆー人達だって意外とスキはあったと思う。けれども彼女らはそんな欠けている部分を補って欲しいがための受動的な姿勢ではなく、自ら、能動的な姿勢で恋愛に挑んでいた。

きっとそれが彼女達には必要だったからだ。
恋愛が水や空気のように自分の命をささえるエネルギー源だったから、だから恋に身を費やしていたのだと思う。そして恋を燃焼させては新たな作品を生み、男に振り回されては自らのエネルギーを昇華し、再び生きる糧に変えていったのだろう。つまりそれくらい自分に命を吹き込む存在が、恋であり愛情であったのだ。

あれ?ってことは
恋愛しなくとも毎日十分楽しく生きられる人には、やっぱ彼氏は必要ないか!
こんだけ考え尽くして、結局年上の女性のコトバは正しかったという結論に達しました....。

Yさんには、いや〜当分オトコはできないかもね〜(笑)
こらまた失礼しました〜^^


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スゴいオトコ達

この間TVをつけたら、評論家の宮崎哲弥の人となりに突っ込む番組をやっていた。
宮崎哲弥といえば、政治経済はもちろん、どんな問題をふられても生半可ではない知識を披露するのでいつもホントーに感心してしまう方である。今やこの人の顔を見ない日はないというくらいメディアにひっぱりだこ。なのに月200冊以上の本を読むそうだ。それって一日6、7冊!?

一体どんなアタマしてんねん!!

そんな驚異の博識ゆえ、司会者も視聴者も、自ずともっとプライベートなハナシに突っ込んでみたくなる。結婚して奥さんがいるらしいのだが、どうやって知り合ったかというとなんと「合コン」らしい。保険会社のOLと合コンして、その中の一人と一年足らずの交際の末結婚したそうだ。

それがいいとか悪いとかという問題ではなく、ワタシとしては奥さんは大学の同級生とか、本を出した時の編集者とかであってほしかった....(笑)。正直言ってあの博識の裏側にあるパーソナリティは、随分と拙い印象を受けてしまった。教養と知識があるだけに、ものすごく片手落ち感を感じたのはワタシだけではあるまい。当たり前のことだが、やはり知識はあくまでも知識で、人間性や生き方とは別のものなんだなぁというのを改めて感じた。でもまあ、TVで正直に語る潔さみないなものは評価しておこう。

一方、お正月に実家で、「プロ野球選手の運動会」を観た。
毎年恒例の番組で、去年もワタシは観た。ピッチャーが的当ての競技をしたり、バッターの選手がどこまで飛ばせるかを競ったり、基本的にはカラダを使う競技ばかりなのだが、中にクイズに答えて走ってベルを押すというゲームがあった。脚力が試されるとは言うものの、脚力以前にまず答えられる人がいない。宮崎哲弥の場合はあまりの博識さに驚かされるのだが、ここでは野球選手のあまりのアタマの悪さにホントーに仰天してしまった....。

三権分立は、司法、行政、さてもうひとつは?

プロ野球界で大活躍し年棒も億ほどもらっている有名選手達が、そんな中学校で習うような質問に「ぽか〜ん」として立ちすくんでいた....。もっと驚いたのは、「東北楽天の本拠地、宮城県の県庁所在地は?」という質問に勢い良く、答えた選手がいた。

青葉市!!

どこやねん、それ!
きっと彼のアタマの中では「仙台」よりも「青葉城恋歌」が強くインプットされているのだろう...。足が速く守備も良く、若いのに卒のないプレイでいつも歓声を浴びている、ワールドベースボールやこの間の五輪予選でも活躍していた、日本を代表する選手である。TVの画面でその凛々しいプレイを見ている限り、おバカ加減はみじんたりとも感じない。やはりそれとこれとは別なのだ。

そういえば、友達の会社にそれこそ日本を代表する、星野ジャパンのキャプテンを務めるあの有名選手の妹が働いていたことがあった。その妹によると、「お兄ちゃんは、小さい頃からバカさ加減が半端ではない。通信簿は体育以外全部1でした」と語っていたそうな.....。通信簿で5を取るのも難しいが、1を取るのもかなり難しいと思う。どうしたらそこまで"貧識"になれるのか、それもある意味すごい。だがその選手の五輪予選の試合でも、その統率力と活躍ぶりは半端ではなかった。

「どんなアタマしてるんだろうか...!?」
宮崎さんとは別の意味でその脳の成り立ちをのぞいてみたい。

もうひとつ野球つながりで、NHKでやっていたイチローのドキュメンタリーも観た。
イチローは誰もが認めるスーパースター。残念ながらプロ野球選手の運動会に出てくるような人ではないので、三権分立を知っていたかどうかはわからないが、この人の私生活も気になる。シアトルのすげーデカいお家で奥さんと、柴犬の一弓くんと暮らしている模様が紹介されていた。めちゃめちゃ可愛い柴犬にも驚いたが、もっと驚いたのはイチローの昼食。毎日奥さんのつくったカレーを食べるそうなのだが、びっくりしたのはアメリカへ来て以来ずっと、そのカレーが昼食なんだそう。

7年間、毎日カレー!?

かねてから野球選手としてはすごい人物だと思ってはいたが、ワタシは決してお友達にはなれないタイプだと感じていた。毎日カレーを食べているハナシを聞いてますますその気持ちは確信となった(ま、向こうもお友達になりたいとは思ってないんですが...)。ごはんとみそ汁ならまだわかるが、美味しいのかもしれないが毎日毎日飽きもせずカレーを食べられるところ、やっぱりワタシには

変わってる〜

と言う風にしか映らない。そしてそれはカレーだけのハナシに限ったことではないと思う。
毎年毎年メジャーリーグで200本安打を記録するというのは並大抵のことではないだろう。もうすぐ張本選手が出した最多安打記録を抜くだろうし、言うてる間にピートローズの記録も抜いて前人未到の領域に到達する、っちゅースゴい人である。そんなにスゴい人でも、毎日カレーしか食べない夫は単純にイヤやろな〜、ワタシなら....。元TBSのアナウンサーだった奥さんが俄にエラい人に思えてきた。

それにしても世の中スゴいオトコというのはたくさんいるが、その一方で素顔というのもいろいろであるもんだ。

「人は見かけによらない」

というのは本当にそうで、見かけだけではその人の魅力というのは決して判断できない。だからこそ人づきあいというのは面白いのだろうが...。でもそんな中でもいい意味で印象を裏切る人というのはインパクトある。

今年はそんな人に何人ぐらい出会えるかな〜


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主張しない存在感

亀田兄弟が世間をにぎわせている・・・。
反則行為を行ったり、ふてぶてしい態度で会見したり、やたらメディアで責め立てられているが、良い悪いは別として、かねてから私はあの兄弟を見ていると痛々しい思いを禁じ得ない(特に長男の興穀クン)。
お父さんのスタイルや夢を押しつけられて(本人達はそうは思っていないと思うが)、それを必死に実現させようとしている彼ら。地獄のような練習したり、TVで暴言を吐いたりする姿もそれらをそのままでは受け取れない。愛情が深すぎるお父さんと純粋で素直な息子達。世の中の空気と亀田家という空気の密度はあまりにも違いすぎていて、そういうものに全く無知な彼らの姿がなんだか痛々しいのかもしれない。

そんな亀田兄弟がバッシングされている最中、業協会の仕事で寄藤文平氏の対談の取材に行った。
今をときめくイラストレーター、というかアートディレクターの寄藤文平さん。

「知らんな〜」

という人もいるかもしれないが(実は私も知らなかった...(*^-^*)>")、JTの「大人たばこ養成講座」や白黒つけないカフェオーレや、auジュニアケータイの「親カバ」シリーズなど、あのほんわか可愛いイラストやアートディレクションはきっと誰もが目にしているはず。本の装丁もいっぱいあるから本棚に寄藤文平氏は潜んでいるかも・・・。

寄藤文平氏は、そのイラストの感じ通り、ほんわかした味のある人だった。
弱冠34才、見た目29才ぐらい。
200人ぐらいを前にして話をする場においてもポロのスポーツシャツにデニムというスタイル。
どう見てもフリーターかアルバイト中って感じである・・・。
こーゆー人って東京のアーティスト系有名人に多いよね〜☆ 
すごいメジャーな仕事してるのに全然力が入ってなくて、必要以上に自然体なのだ。
それがまたひとつのスタイルなのかもしれないが・・・。

思うにボクシングの亀田兄弟は、その存在にしても表現にしても力入りまくりだが、その姿にはなぜかもろさがつきまとう。
一方何のてらいもない寄藤氏のようなほんわかした人(年齢や職業も違うので比較対象とするのにムリがあるが)。その場の空気に寄り添って生きてるような、自分というものを全然主張していない慎み深いところに、逆に知性や強さを感じてしまう。そんな印象を受けていたら、奇しくもトークの中で彼自身も言っていた。大切なのは「自分が」「自分が」と主張をしないこと。自分を主張しないようになってから仕事がいろいろ来るようになったとも語っていた。主張しないことがあるレベルを超えるボーダーでもあるかのように、それをしないことで見えてくるものがたくさんあったのだと思う。

クリエイティブの仕事って一見自分のカラーや個性を出していると思われがちだが、実はどれほど自分を押し殺せるかという力量が問われる仕事なのである。伝えるコミュニケーションをいかにして優れたものに仕上げるかは結構論理的な思考と創造性が大切だ。もちろん自分自身のスタンスや視点は大切であるが、そもそもアーティストではない。つまり押し殺すところと押し出すところを間違えてるようではダメなのだ。寄藤さんのような優秀な人は、若くしてそういうところがよ〜くわかっていたからこれだけのヒットが飛ばせるのだろう・・・。

主張して存在感をつくるより、
主張しないで存在感をつくることの方がずっと難しい。

亀田兄弟も自己表現のパフォーマンスでなどやめて、リングの上で正々堂々と存在感をつくり出せばいいと思う。ボクサーとして、1人の大人としての真価が問われるのはこれからである。


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対談形式のトークが始まる前に寄藤氏のリクエストで
大阪名物インディアンのカレーのケイタリングで懇親会。
インディアンのカレーと言えば私などは京都木屋町にある、
あのサラサラのビーフカレーかと思ってしまうのだが、
大阪のそれは(全く別の店)一見普通のビーフカレーだが、
食べると最初は甘〜いのに、後から辛さに見舞われる都会的HOTなお味。
なかなかクセになりそうなカレーである・・・(*^^*)

どんなおハナシが面白かったかはまた今度〜♪

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怒りの矛先

10月1日から大阪のメインストリート、御堂筋で歩きタバコが禁止され、違反者には罰金1,000円が課せられることになった。最近愛煙家の人にとってはさぞ生きにくい世の中であろうと思うが、歩きタバコは本当に危ないし、ポイ捨ても許せないので、罰金徴収ぐらいやっても全然いいと私は思う。

施行の当日、路上喫煙防止指導員なるおじさん達が御堂筋に立って取り締まりにあたっていた。その様子をTVのニュースで観たのだが、違反者のリアクションが面白かった。
「知りませんでした」と素直に1000円を差し出す人もあるのだが、やはりそこは大阪人。

「ここはアンタらの道路か!?」

と反逆し始める人や、「払ったらええんやろ!」と1000円札投げつけて逆ギレする人、そうかと思うとまったく無視して強引に通り過ぎる若い女性など、さまざまな素のリアクション。それらは明らかに突然の取締りや罰金徴収に対して気分を害している人々の姿であった。もちろん市が不意打ちで法令を施行するわけもなく、事前にあちこちで告知してあり、それ以前に歩きタバコはやめましょうという公共広告やメッセージはいろんなところで耳にしているはずだ。

なのにそれが法令化して、真っ向から取り締まられると怒り出す人が多いのは、「知らなかった」ために罪の意識がないからだろう。だけど歩きタバコがいけないことは大方の人は理解できると思うのだ。だから冷静になると指導を受けても仕方ないと思えるのだろうが、如何せん人というのは不意に取り締まられたりするとものすごい理不尽な思いを覚えるもの。けれども路上喫煙防止条例だろうが、駐禁だろうが、容赦ないのが法であり、規則というもの・・・。歩きタバコは1000円でまだ我慢できるが、駐禁は15,000円である。つかみかかりたくなる気持ちもよ〜くわかる・・・。

わかっちゃいるけど、こっちの事情だって・・・・!
御堂筋で挙げられた人々の怒りのリアクションは、どこにも持って行きようのない憤りが瞬間噴火した結果なのだろう。

大阪人の噛みつき具合を見ていて、ふとAちゃんの話を思い出した。
Aちゃんがパスポートの更新を行うために、忙しいところやっと平日に休みを取り、必要なものを揃えてパスポートセンターに趣いたそうだ。しかし大変な混雑。書類提出から実際の受付まで何時間も待たされた挙げ句、やっと順番が回ってきたAちゃんに係員からは、

「写真の幅が○㎜足りませんので、受け付けられません!」
という冷たいコトバが発せられた・・・。

「それはないやろ〜!」と思わず嘆くAちゃん。忙しいのにやっとこさ平日に休みを取って、しかもこんなに待たされて、ようやく手続きができるかと思ったら、写真がわずか何㎜だか足りないぐらいで、ハネられるなんて!ちょっと、なんとかならないんですか〜!?と最初は穏やかに詰め寄ったらしいが、

なんともなりません・・・と係員。

何度か食い下がってみたものの、受け付けられないの一点張り。くすぶっていた煙りがもはや業火となって吹き出してしまったAちゃん、

「もう、いいです!!」

と大声を上げて、爆風のごとく書類をかっさらってパスポートセンターを後にしたらしい。
今となれば「お恥ずかしい・・・」と本人が言える話しだが、そう、何も係員が悪いのではない。ひとたび日本を出ると、自分の存在を示す唯一の証明書となるパスポートなんて重要なもの、「ちょっとぐらいならいいじゃん」というのが通用するわけがない。しかも発行するのは外務省である。写真がちょっと横長だったり、縦長だったり、ズレたりすることも許されるはずはないのである。

普通ならばAちゃんもそんな規則、容易に理解できたはずなのだ。

しかしこの怒りは、御堂筋で不意に挙げられてた大阪人同様、わかっちゃいるけど系の怒り。わざわざ休みまで取って、何も知らずに何時間も待って、挙げ句の果てにやり直しかよ!という、本質とはややかけ離れたところに怒りの根拠がある。こんなにアタシはがんばったのに、数㎜足りないことに目をつぶらないアンタらは

なんじゃーい!!( `□´)

もちろんAちゃんも気の毒だが、やはり忠実に任務を遂行している係の人の方が気の毒に思えてならない。

しかしこれは他人事ではない。
自分だっていつ、どんな時に、わかっちゃいるけど系の怒りを爆発させるかわからないのだ。世の中、そんな怒りに火を点けるネタがゴロゴロしている。
けれどもできれば、これからも歩きタバコや駐禁を取り締まる係だとか、何かの機関の窓口係だけには決してなりたくないものである・・・。

パスポートセンターの人はかなり怖い思いをしたに違いない・・・。
'{{o(*_*)o}}。

パスポートセンターの窓口係というのは、かなりハード&バイオレンスな仕事なんだな、と改めて認識したのでありました・・・ε=┏(; ̄▽ ̄)┛

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不屈のブランド志向

世の中、不景気だの、年金未払いだの、少子化だの、重〜い不安材料はつきないが、そんな中でも依然テポドンでも打ち落とそうかというような勢いを持ち続けているのが、日本人のブランド熱だ。これだけは、いつでも老若男女のすごい情熱が感じられる・・・。

アニア・ハインドマーチのエコバッグが、ヨーロッパ、ニューヨークなどで次々と発売されて、この間日本にも上陸。2100円という画期的な値段もあり、ゲットに燃える人達が殺到していた。ニュースで見たけど、発売前日から

ものすごぉぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い人が

徹夜で並んでいたのを見て、私の中でにわかに蘇る苦い思い出・・・・。
翌朝のニュースではあまりの人にお店側が入場制限をしたり、販売中止を行うや否や、人々が押し掛けつかみかからんばかりの勢いでお店の人に文句を言ってる様子を見て、苦い思い出は恐怖へと変わっていった。・・・・あれはもう10年ぐらい前だろうか。

「スチューワーデスのガレージセール」

と銘打ってかつての空飛ぶ先輩が、横浜のホテルで現役or元クルーのコばかりを集めて、ガレージセールを開催した。現役組がこの日のためにフライト先でお安く仕入れた、新品の化粧品やアクセサリーの他、私達元クルーも要らなくなった服や鞄などを出品した。私も関西から参加していて、ガレージセール当日は受付係を命ぜられた。

な〜〜〜んも考えてなかった私は当日来てみてビックリ!
10時オープンというのに、9時半には2階の会場から1階までズラ〜っと長蛇の列が出来ているではないか!?

みんな、な、なに買いに来てんの!!!?

あまりの人に仰天した私。会場は小さめのバンケットルームなので、とてもこんなにたくさんの人がいっぺんには入れない。受付係の私は、他の先輩と共に即座に入場整理係に変身した。予定時間より早くオープンし、会場の前で事情を説明して入場を制限すると、列のあちこちからものすごい勢いで怒鳴りつけられ、私達のトラフィックを無視して会場の入り口に人々が殺到。女性だけでなく、男性も力づくで入ろうとする。会場前は一時騒然とし、パニックとなった。私はこの収集つかない様子を見て、2歩も3歩も、いや150ヤードアゲインスト、ぐらい引いてしまった・・・。

ってゆーか、生きるか死ぬかって場面でもないのに、
たかが、ガレージセールでなんでこんなに必死なるの〜〜〜!!?

とても理解できない・・・。
事前の告知は地元のリビング新聞(しかも記事中の小さな紹介)だけ。大々的にアピールしたわけでもないのに、こいつら何を血走っとんじゃ!? 
つまり、この会場に殺到してる人達のアタマの中では、

スチュワーデス=海外=ブランド品

こーゆー図式が大脳も小脳も、前頭葉も占めてるわけです。しかもガレージセール。たとえ中古であっても、きっと掘り出し物の"ブランド品"がお得に手に入るに違いない!もうこうなると人をなぎ倒してでも、胸ぐらつかんででも、ゲットするのだ、ブランド品!!!

このエネルギー他に使うとこないのんか・・・!!?

私はあれから二度と「スチューワーデスのガレージセール」なるものには参加していない。私の中ではあの時の出来事がトラウマとなっているが、未だあの人達のココロが全く理解できていない。国際社会ではおとなしいと言われ、自己主張もヘタな日本人が、ことブランド品に関してはなぜにあれほどの情熱と自己主張が結実されるのであろうか。日本人の七不思議、ベスト3に絶対ランクインするであろう不思議さである。

ところで最近、「リュクス」なるコトバがメディアをにぎわせている。
女性誌のドマーニでは、「リュクスな通勤美人」とか、
 マリクレールでは、「リュクスな王国の舞台裏をお見せしよう」とか、
 Grand Magasinは、「こだわりを極めたリュクスな世界」などなど・・・。

私にはあまり関係のなさそうなコトバだが、リュクスとは、ぜいたく、豪華、優雅、上品などを意味する言葉だそうだ。例えば、50万円もするブランドもののバッグよりも、ノーブランドだけど、職人技が光る一点ものの20万円のバッグの方に価値を見出すのが、リュクスなのだそう(20万円の職人バックもたいがい高いと思いますけど・・・)。要はブランド志向ではなく、本物志向ってこと。

これって大変良い兆しのような気がする。ようやく女性達のものの見方、おしゃれの仕方が成熟してきたってことではないだろうか。リュクスが浸透すると、ブランド品に目の色変えて殺到する女性達も減少していくに違いない。これからはブランド品より職人ワザだ^^

しかし・・・・

京都の職人技で有名なあの「一澤帆布店」、弟の「一澤信三郎帆布」は、観光シーズンや土日になると開店前からいつもすごぉぉぉ〜〜〜〜い列である。
ブランドやろうが、職人ワザやろうが、結局日本人というのは列に並ぶことが好きな民族なのかもしれない・・・。これこそ日本人の七大不思議である。

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暮らし力の欠如

昨年末、友人のダンナさんが救急車で運ばれて一命をとりとめたことがあった。
血液ドロドロ、血管ボロボロの動脈硬化によるもので、その原因は毎日コンビニのごはんやラーメンばかり食べ、運動もほとんどしない生活習慣が原因だ。幸いにも短期間の入院だったものの、生活習慣を改善し薬を飲み続けながら、今も再発の恐れと戦っている状況である。

今日取材で会った方も、友人のダンナさんと同じ。いや、さらにworseなケース。
ある月曜の朝、出勤前にシャワーを浴びていた時に突然倒れ、そのまま救急救命センターへ運ばれた。7日間ICUで生死を彷徨った末に、2ヶ月間植物人間状態。その後奇跡的に意識を取り戻し、血のにじむようなリハビリに耐えてやっと杖なしで歩けるまでに。右半身に麻痺が残り、言語障害もあるが、倒れて約1年後にはハンドルグリップをつけて車を運転するまでに回復したという。ここまで回復できたことはご本人にとってもご家族にとっても、本当に喜ばしいことだと思う。

聞けば、大企業の営業課長さんだったという。
営業という仕事は大好きだったそうだが、課長という立場上ノルマなどストレスとの戦いもつきもの。おまけに倒れた前々日にはスピード違反で切符を切られ、前日にはシートベルトでも捕まったらしい。そういう交通違反を会社にどう言い訳するか、なんてことも出勤前の月曜の朝ボーッと考えていたらしい。ちなみに脳関係で倒れる人というのは、月曜の朝が多いのだそうだ。ストレスの多い人にとって、マンデーモーニングは最もキケンな日ということである。

それだけではない。
実は予兆はあった。当時乗っていた車のボディには、いつの間にか小さなキズだらけ。既に方向感覚が少しずつ失われつつあったのだ。当時は単身赴任中で、朝昼晩の食事はマクドナルド。車が好きで普段はほとんど歩かない。175㎝ぐらいで体重は100㎏を超えていたという。

聞くだけでも、恐ろしい話であるが、まさに友人のダンナさんと同じである。
仕事中心の生活で、無頓着な食生活、運動不足。ストレスが身を蝕むと同時に、食べ物や運動不足が、どんどんと命を縮めていたのだ。

彼ら二人を見ていて、いかに現代社会には「命をおとしめる罠」があふれているかが思い知らされる。手を伸ばせば手軽に空腹を満たしてくれる食べ物は山ほどあるが、それらはおいしそうな姿をしていても毒としての側面も持っている。便利になった生活は、ことごとく人の生活から労力を省いていった。毎日パソコンの前に座っても、野原を歩く時間は必要とされない。カラダを動かさないで済む罠。中でもストレスという目に見えない「罠」を逃れる術は、一筋縄ではいかないのがさらに恐ろしいところである。

思うに、こうした現代社会の罠にはまりやすい人というのは、ある種「暮らし力」のようなものに欠けているような気がする。私が思う「暮らし力」は、お金を稼ぐことではなく、日常生活を送る力のこと。料理をしたり、洗濯をしたり、子育てをしたり、日頃から人の営みそのものに関わることが実はとても大切だと思う。それは家事というニュアンスとはちょっと違うのだが、例えば男は家事なんてしなくてもいい、という風潮がこの国では未だに根強くある。が、それこそが男の命を縮めていることだと私は思うのだ。家事を行うことによって暮らしに目を向けることが、食事を考えることであり、環境を考えることであり、人間らしく生きることに触れるきっかけになる。それが結局自分自身の根本的な生命を支えることにもなるのだと思う。いくら仕事が出来る人であっても、奥さんがいなければ自分のゴハンも作れないようでは、それはもう自立した生命体としては成り立たないのである。そういう「暮らし力」が欠けていると、現代社会の命を脅かす罠にはまりやすいのではないかと思う。

世界の発展途上国などでは、今も飢餓と貧困と闘いながら生きる人達がいる。
生きるか死ぬかの状況では、営業成績を上げることよりも「食べる」ことが何よりも優先されるのは明白である。飢餓と貧困に晒され、私達よりもずっと厳しい状況にいる人達に鬱やストレスで悩む人がいないのはなぜだろうか。豊かな国に生きているはずの私達が、あふれる食べ物や便利な生活によって命が蝕まれているのはなぜなのだろうか。

ただひとつ言えるのは、どんな国に生まれようとも、与えられた「命」を決して無駄にしてはいけない。友人のダンナも今日会った方も、倒れたのは40歳前後。その年齢にいる私達は、もう少し命に敏感になってもいい年頃なのだと思う。

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鈍感力

小泉前首相がインタビューで発言して以来、にわかに市民権を得てきた「鈍感力」というコトバ。
渡辺淳一が本を出しているように、彼自身が生んだ造語らしい。不倫や愛人などのドロドロした本ばかりかと思っていたら、渡辺センセーがこういう本も書いているとは意外である。

「物心ついた頃は敗戦直後で、食べることで精一杯。
そんな時、勉強のできるヤツよりも、闇市でうまいこと儲けてくるヤツの方が偉かった。
そういう生活力のあるヤツには、ちょっとやそっとのことでは動じない、
胆力としたたかさがあった。しかし現代は平和で豊かすぎるが故に、
生きるか死ぬかというほどの重大なテーマがないから
つまらぬことまで重大に考えて大人から子供までノイローゼや鬱に苦しんでいる。
こんな時こそ鈍感力が必要なのだ」

とあるインタビューで、こんな風に渡辺センセーは答えている。
今の世の中、おかしくならない方がおかしいのだ、とかねてから私も思っていた。心を痛めたり鬱に苦しむ人ほど繊細でまじめだ。自分にはある種の「厚かましさ」や「鈍感さ」があるから、明日の保証もないフリー稼業なんかでノーテンキに生きていけていると感じていた。

鈍感力があるのかどうかはしらないが、私などは要するにアタマだけで生きてはいないのだと思う。アタマだけで生きていると、どうしてもアタマで解決できると思ってしまう。それほど人間は偉くないし、人生もそれほど甘くはない。つまり心を痛めたりする人はアタマで考えすぎて、本能を優先させることが少ないのはないだろうか。なんだかんだ言っても、私はやりたいことはやるし、ぶっ放したい時はぶっ放すし、大恥じをかくこともしばしばではあるが、おかげでさんざん好きなコトをやってきたためか、これまでの人生、どんなに可哀想なフリをしてみても、世の中のストレスに負けてるとは言えない・・・・。

たまには負けて、学んだらどやねん!

なんて声も友人知人、家族の津々浦々から聞こえてきそうだが、それでも本人なりには日々考え、悩み、ストレスを感じているのである。しかし本能が自然と優先していることも多いのだろう・・・。

時々日本を出て、海外の風にあたったりすると、未知の世界に触れてなんだかちっぽけな自分を発見してしまうことは多い。普段生きている世界がいかに狭いか、ものすごく小さな単位で物事を考えてるかに気づく。特に日本という国に暮らしていると、いいオトナになったらガッチリ仕事に自分の生活をとられちゃうし、みんなが流行を追いかけ、何かと周りの目を気にして生きなければならない。知らない間にみんなが同じような価値観を強いられているので、ズレてしまうと、ズレた本人にやたらとストレスを感じさせるようなところがあると思う。私などはズレ慣れてるので、今更少々ズレても本人がズレと気づいていないっつうハナシです・・・。

渡辺センセーはこれぞ鈍感力!という代表選手に、長島茂雄と黒柳徹子を挙げておられる。この二人の人物が出てくると、要するに「鈍感力」とは「天然」のことであることがわかる。やはりこの方達もアタマで生きているとは思えない・・・。

長島氏は、誰もツッコむことができないつきぬけた言動といい、運を自分でハンドリングしてるとしか思えないほがらかな生き様といい、もう誰が見ても鈍感力の見本のような人だろう。黒柳徹子だって、まんま!! ユニセフの親善大使でアフリカや東南アジアに行っても下痢ひとつせず、現地で眠れなかったこともないのだという。授業中にちんどん屋を追いかけていくトットちゃんも、オトナになったら見事に鈍感力を花咲かせて活躍している。いや〜、オミゴト天然!!あっぱれ、鈍感力!!

生きていると、毎日あっちこっちからいろんなストレスが代わる代わる襲ってくる。しかし長島さんや黒柳さんならきっと、ストレスだとは思っていないのだろう・・・。同じ人間でもとらえ方ひとつで、随分と違ってくるものなのだと改めて思う。なんだか二人の顔を思い浮かべるだけで、鈍感力のイメージトレーニングができそうである。生きるか死ぬかという次元から考えれば、目の前の悩み事というのは命まで取られはしない、きっと本当にちっぽけなことなのだ。鈍感力とは、今の世の中を生きていく上で自分を守る唯一の防衛手段なのかもしれない。

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進化するコトバ

ひと昔前に、糸井重里の「オトナ語の謎」っていう本があった・・・。
(たぶん、現在も引き続巻が出てると思うのだが)
社会が変われば言語も変わる、というわけで、オトナ社会にはコトバにおいて教科書では教えられない独特の挨拶や暗黙の決まりがある。さらに繊細な言葉選びと微妙な言い回しで、真意を伝えようとする複雑なカンバセーションがなされる。それらを取り上げて、解説してくれるという画期的な本で、"オトナ語"というものに初めて市民権を与えた。例えば、

お世話になります〜。

なんて言葉は学生時代は、読んでそのままの意味でしか使わなかったものが、職場では毎日ご挨拶の枕詞のように使われるコトバである。もちろんメールでの冒頭にも。社会人になって一番に覚えなくてはならないコトバかもしれない。てな具合に基本的なオトナ語に始まり、

午後イチ
ご査収ください
ウラをとる
フィックスする
焦げつく
夜の部

などなど、いろんなオトナ語が取り上げられマジに解説されているのがおかしい^^ 
こうして改めてスポットをあててみると、オトナになって知ったワード、言い回し、隠語はいろいろとある。「アゴアシマクラ」なんかは全国ネットだが、個人的には代理店時代、さすがにこの本には載っていなかったが「パッチをはく」というコトバが衝撃的だった。営業の人がよく使っていて、最初まったく意味がわからなかったが、私にしたらオトナ語ワールドを感じた瞬間だった。「パッチをはく」とは要するにウソで装うことで、後で予算を削られた時のために予め多く見積もっておくなど、パッチを脱いでも大丈夫なようにという意味らしい・・・たぶん。

こんな調子でオトナ達は、社会に出て自らの語学を習得していき、それらを使い分け、微妙な言い回しでコミュニケーションするのである。そしてコトバというのは時代と共にどんどん変わっていく。

オレ的にはアグリーできかねるんだよね〜

てなオトナ語も私達はわかるが、たぶんお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん達にとっては「もう何語?」って感じなのだろう・・・。コトバというのは常に進化し、新しくなっている・・・。女子高生のメールを見て、私達が既に理解できないように、世代によってコトバ格差というのが生まれており、ヘタしたら70歳の人と15歳の人ではもうコトバが通じないかもしれない・・・。

最近ネットコミュニケーションの仕事をしていると、ブログやメルマガというツールでは会話でもないが、文章でもない独特のコトバ使いが求められていることを痛感する。ネットコミュニケーションというのは、書き言葉として敏感に”今の感覚”が反映される。ブログやメールって、会話でもなく手紙でもない。じっくり読み込む媒体でもないので、コトバの文化も瞬間瞬間でかなり自由に生まれていることがわかる。しゃべりの抑揚のように文章にメリハリをつけ、絵文字やカタカナを多く用いて多分に感覚的である。軽くてすぐ浸透するコトバやスピード感が求められる。

そう、カタカナ使いが多くなっているところが何より感覚的なのだ。

一言で言えば、ものすごく可愛い人でした・・・。
というよりも、
ヒトコトで言えば、モノスゴ可愛い人でした・・・。

という方が漢字を使わない分、その軽さに感覚的な響きというか、表情が出てくる。一言をヒトコトとし、大人をオトナと表することで、漢字で限定されるイメージを払拭しまっている。つまりブログ語にしろ、オトナ語にしろ、本来のものをくずすことが、今っぽいのではないだろうか。おしゃれにおいても、上から下まで全部キメるんではなく、どこかはずすことがイカしてるってことになる。そのくずし方もルールがないようでルールがある。コトバのくずし方もみんながうなずける今っぽさが必要なのだ。それが共感を生む。「オレ的にはアグリーできかねるんだよね〜」なんてコトバだって、きっとお役所の人は言わないんだろうが、業界的にはこういう言い回しをする自分も、聞く周りも、そーゆーコトバを使うことによって仲間意識を高め、ある種の帰属意識を強めてるのではないだろうか・・・。

まあ、こんな風にカタカナを用いた新感覚ルールや、英語だって完全にまるめこんでしまう"時代の日本語"とはすごいパワーと勢いで進化している。それらは生きているとごく常識的に習得していくわけだが、それだけコトバはあふれ、多様になっている。英語でyouはyouだけだが、日本語ならアナタもお前も、あんさんもてめえもある。もともと多様な日本語。それを選び、並べ、アレンジするセンスも問われるところが日本語独特の面白さなのかもしれない。私達はオトナ語を使って会話をし、ブログコトバでネットコミュニケーションをし、ビジネスでは、「拝啓 時下益々ご繁栄のこととお喜び申し上げます」と綴る。別に語彙が豊富なわけではないが、その時々でさまざまなコトバを使い分け、いつの間にかみんなドメスティックバイリンガル(?)になっている気がする・・・。知れば知るほど、使えば使うほど、ニホンゴというのはフクザツである・・・・。

小職、皆様のお知恵拝借しながら、ドラスティックに話しておりますが、ほんわかモードでご笑覧いただければ幸いです。って、オトナ語いっぱいいっぱいでシメてみました・・・。さすがに意味不明・・・!?

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