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侵入!農園 杉・五兵衛

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こんなにたくさんのロバを見たのは初めてだった。
見るからに優しい顔をしているのだが、ロバは私たちが近づくと、フィ~ン、ホエ~、と、初めて聞く何とも表現しがたい鳴き声を上げ、仲間を押しのけ柵から顔を出す。まだ子供のロバは大きなロバにはじき出されており、顔の割に意外と乱暴である。

動物園絵に行ったわけではない。先週枚方にある杉・五兵衛という農園を取材で訪れたのだ。
その農園で飼われているのが3,40頭はいそうなロバで、他にウサギやヤギ、ヒツジ、鶏もいる。
最近食への関心が高まったり、若い人の農業回帰もあったりして、安全な野菜というものが注目されているが、ここほどそれにこだわっているところはない。実はロバはペットとして買っているのではなく、この農園の自然サイクルの一端をしっかり担っているのだ。

ロバの糞を発酵させて堆肥にし、これを土に混ぜて作物を育てる発酵型農業を実践している杉・五兵衛農園。そこでとれた果物や野菜を食事やお菓子、加工品にし、ふるまっている。野菜のへたや食べ残しは再びロバのエサとなり、その糞がまた畑作りに役立つという、究極の循環型農業なのだ。どの段階においても化学物質や農薬など余計なものが使われることがなく、自然のまんま、ピュアな大地の恵みがいただける。


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季節の野菜が何十種類も並ぶ会席料理。薄味か、生などシンプルな調理法で、素材そのものが味わえるように仕立ててある。特に専門の料理人がいるわけではなく、この農園のスタッフが約40名、農業を営む傍ら交代で調理しているそうだ。なので奇をてらったものはひとつもない。でもその素朴さもまた素材がおいしいがあるからこそ生きてくる。

取材用に会席の6000円コースをオーダー。4000円のコースにイワナの塩焼きと原木しいたけの炭火焼きがついてくる。ちょっと高い気がするかもしれないが、それは入園料が含まれているため。甲子園ほどもある農園を散策したり、動物と遊んだり、梨狩り、芋掘りや農業体験などそういう楽しみを含めてのお値段らしい。会席料理やお鍋は築百年の代官屋敷を移築したという本館でいただける。


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テラスハウスならもう少しお安く、お手軽な農園弁当がいただける。
かご盛りのお弁当に、煮しめという農家の大皿料理がいろいろとり放題で3000円。普段ならこれで十分。平日だったけど、おばさん軍団が続々と到着し「農園弁当とミカン狩り」なんて受付で言い放つと、勝手知ったるという感じで煮しめにあれこれ箸を伸ばしていた。

直販所ではお菓子や加工食品などもいろいろ売られてるのだが、卵の値段を見てビックリ!
6個600円、つまり1個100円の卵だ。案内してくれたスタッフの話では、それでも赤字だという。安全でおいしい卵を作ろうと思うと、資料から選ばなくてはならない。北海道のの大豆、鳴門のワカメ、○○のトウモロコシといった具合に、まともなものを食べさせればエサ代だけでもバカにならない。一般に売られている卵は10個200円とか250円とかそういう卵は、まずアメリカで大量生産されているトウモロコシや大豆が使われており、遺伝子組み換えやら化学物質の温床だという。

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黄身がオレンジ色っぽい卵はおいしそうな気がするが、輸入トウモロコシがたっぷり使われている証拠だとか。国産トウモロコシなら必ず黄色っぽくなるのだそうだ。卵アレルギーも実は卵に含まれる化学物質に反応してる場合が多いらしく、杉・五兵衛農園の卵を食べるとこの手のアレルギーはまず出ないそうだ。

そんな具合にとことん自然と安全性にこだわっている杉・五兵衛農園。
農業がいつしか大量生産して利益を上げる産業になってしまい、本来の姿を見失っていることを憂えた
五兵衛さんが、食と生き方の原点に立ち返って作り上げた農園である。訪れる前は五兵衛という名前からして頑固そうなオヤジが、言葉少なに取材に応じるというイメージだったが、実際は全然違った。若い青年がすごく親切に案内してくれてheart01、働いている人の接客も丁寧だし、農園サービス業としてすっかり確立しているようだ。

グルメブームも最近は少々飽きてきたところ。
こういう信念のある農園レストランの食事って、ある意味今最も贅沢なのかもしれない。


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いつ訪れても神聖な空気が漂う、比叡山延暦寺。日本仏教の母山というだけに、山深くにあっても堂々とした存在感で迫ってくる。

延暦寺は比叡山の山の中に100以上ものお堂や伽藍が点在しているのだけれど、今回はその中のひとつ、法然堂を取材で訪れた。法然というだけあって、法然上人ゆかりの場所なのだが、威厳ある根本中堂や文殊楼などを通り過ぎて現れたそれは、お堂と呼ぶにはあまりに粗末な田舎の民家という趣だった。

正直、いいのかな~って感じ。

「おはようございま~す!」と言ってカメラマンや編集さんと入っていくと、出てこられたのは60代ぐらいのご夫婦。後で聞いたのだが、ここには住職さんはおらず、堂守といってお堂を守ってここに住んでおられる。でもこの方々がなんとも温かい人で、「どうぞ、どうぞ」と招き入れてくださると、お堂のことや法然上人の話を楽しそうに語ってくださる。その間にコーヒーから、日本茶、抹茶、おかきにようかん、梨と、次々とおやつを出してくださるのだ。

普通取材で訪れて、こんなにもてなされることはないし、仕事なのでガツガツ食ってる場合でもない。やや困惑していると、「私達は一期一会を大切にしているので」それに感謝して心を尽くしたいのだと言って、これまで国内外からここを訪れた人達とのエピソードをしてくださった。

確かに、この広い世界の中、昨日まで知らなかった人がこうしてめぐり合うというのはすごいことなのだと改めて思う。そういう意味ではここに来て、縁という、なんだか自分の力では計り知れないめぐり合わせに感謝したい気持ちに気付かされる。

このご夫婦、ご主人も奥さんも、以前は私達と同じように仕事をして普通に社会生活を営んでおられたそうだ。奥さんは中学の英語の先生だったという。「いつかミイラ取りがミイラになりましてね」とおっしゃってたが、浄土宗を信仰しているうちに、遂に堂守にまでなってしまったという。しかしかろうじて水道ガス電気はとおっているものの、すごい山の中だ。夜になるとあたりは真っ暗、雪の日などはしんしんという音が聞こえてきそうなほどの静寂に包まれる。

だけど何もないから、自然の美しさや星の輝きに感動できたりするのかもしれない。何もないから何か大切なものが見えてくるのだろう。私達もお菓子やお茶などでもてなしてもらったから居心地がよかったのではない。何もないけど、精一杯くつろいで欲しいという気持ちが素直に伝わってきたからこそ温かい気持ちになれたのだ。人の心を動かすのはやっぱり人の心なのだな~

山の中で暮らしているからこそ、こうして訪れてくれる人との出会いがより大切に思えるのかもしれない。食べ残したお菓子も渡され、帰りには畑で採れた茄子や万願寺唐辛子も袋いっぱい持たされた。お礼を言って、名残惜しげにいとまを告げた私達。振り返ると見えなくなるまでご夫婦が合掌して見守ってくださっている。

その姿が今も消えずにずっと心に残っている。

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箸方ヘビーユーザー

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最近すっかりヘビーユーザーになってしまった箸方化粧品。

紫外線で顔が荒れて以来、あれもこれも買ううちにひと揃えした。ビジュアル的には許しがたいパッケージだけど、これがミソ。パッケージや宣伝にお金をかけない分、1000円の化粧水とか500円の美容クリームとかが実現したのだ。なのでこれだけ揃えても3000円。しかも皮膚科の女医さんがつくっているとあって、お肌にやさしくって安心。

実際に肌荒れした顔にもやさしく浸透し、私はこの化粧品のおかげで正常な肌を取り戻した。そしてさすが皮膚科の化粧品。購入した際にもらった、お肌に関するちょっと学術的な本を読むと、自分がどういう状態でどのように肌を傷めたのかが知り得た。近所の皮膚科ではろくに説明もしてもらえなかったお肌のトラブルが、この本を読んで理解することができたのだ。

なぜか豊中にある皮膚科の病院で販売されている以外、京都には祇園や清水寺、金閣寺という観光地に専門店がある。この間町屋ステイした元スッチー仲間を連れて行ったら、買うわ、買うわ、みんなその値段に嬉々として大人買いしていた。

百貨店でも時々期間限定で販売してるが、「最後尾」というプラカードを持った店員さんがいるほどすごい人気だった。そりゃそうだ、500円や1000円で買えるまともな化粧品というのは女性にとって救世主ではないだろうか。美容にのめりこんでいくと、だんだんお金に糸目をつけなくなる女子も多い。そういう人にはちょっと目からウロコかもしれない。

とりあえず浮いたお金でリッチなランチでも・・・

そんなこともできてしまう激安化粧品です。

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断捨離のすすめ

「断捨離」という本が静かなブームだ。

仏教の修行のようなタイトルだが、もともとヨガの断捨離行法からきているらしい。「断」とは入ってくるいらないものを断つこと。「捨」とは家にはびこるガラクタを捨て、そして「離」はモノへの執着から離れること。つまり、家のガラクタを片付けることで、心のガラクタも整理して、人生を再起させるという、モノと自分との関係性を問い直すという考え方・メソッドである。

居住空間を向上させるという目的での整理整頓の話ではない。モノを整理することが人間の心のあり方にかかわり、ひいては人生にもつながっているのだという掃除嫌いの人にはある意味耳の痛い話なのである。

断捨離の作者ではないが、かたづけ士といわれるある専門家の人の話によると、整理することと、整頓・掃除とは違うという。整理とは1つひとつのモノと向き合って、「要る」「要らない」を判断していく作業。整頓は整理されたものを効率的に収納することで、掃除はモノの置き場所が決まった上で、掃いたり、拭いたり、磨いたりすること。整頓し、掃除するためにはまず整理から始めなければならい。整理ができれば片付けも掃除もラクにできるというのだが、なかなかこの整理というのが難しい。

私もデスク回りは比較的整理されてると思うのだが、押入れ、クロゼットへ目をやると不要なモノや衣類が山とある。毎年入れ替えだけして袖を通さない服、使わないバッグやアクセサリー、捨て置かれたままの年賀状の余りや古い資料、キッチンではここ数年使っていない調理器具や食器などが引き出しの中を占領している・・・。これらを一掃すると、家の中のモノ密度が30%ぐらいは減少しそうである。

なぜ整理ができないかは、いくつかの理由がある。まずそれらのモノと向き合おうとしないこと。私の場合、とりあえず居住空間を侵さない程度にモノは楽屋裏へ追いやられているので、押入れやクロゼットの向こうがどんなことになっていようが、生活空間にいる限りさしたる支障はない。

それに捨てることが煩雑さを伴うということもある。電化製品は引き取りに来てもらわなければならないし、まだ着られる衣類ならリサイクルへ持っていこうと変に仏心が出るし、燃えないゴミの日しか出せないガラクタもたくさんある。むやみやたらに捨てるというわけにもいかないのでいつしか溜まってしまう。

かたづけ士の先生によると、モノの整理ができないのは、これまでの自分の生き方や価値観、思想が問われるからだとキッパリ。なんかタイソーな気がするが、整理する作業は確かに過去の自分と向き合うことになる。使わない、要らないとわかっていながら捨てられないのは、「これは高かったから」「後で必要ようになるかもしれないから」「思い出の品だから」などと、後から後からみみっちい考えが押し寄せてはその手を引き留めていることに気付く。それぞれのモノにいちいちつまらない所有欲と執着心があって、それらに絡みつかれている”捨てられないジレンマ”に陥っているのである。

不要な過去への執着を捨てる!

つまりと捨てるということは、そういうことのようである。自分が得たモノは自らの生活の軌跡。忘れていたモノと向き合うことは、過去の自分と向き合うことであり、正しい片付けができれば、自分の過去の行いのうち、要らない執着は捨て、新しい自分と出会うことのゆとりを確保することなのだそうだ。いつまでも片付けられない人は、モノやスペースはもちろん、自分自身の本当の力さえも過去に埋もれさせてしまっているという。

うず高く積もったゴミに埋もれていく自分の映像が浮かんできて、思わず身震いしてしまう・・・coldsweats01

確かに整理するって、物理的に要る・要らないを仕分ける作業である反面、何か身を切るような勇気と精神的にも葛藤を伴う作業である。モノを捨てながら過去の自分や執着といちいち決別しているからだろうか。だから整理整頓されてこざっぱりとした空間を前にすると、気持ちまで晴れ晴れとしてくる。インプットばかりでは中身も滞りがち。でもインプットとアウトプットがちゃんと機能していれば、良い循環も生まれてきそうである。

断捨離が日常的に身についていれば、いつもこざっぱり、Neatな状態を保ち続けられる。そういうことができる人が過去に執着しない、前だけ見て進める人になるとは思えないが、捨てることで自分にとって必要なものが見えてくるような気はする。

テレビに断捨離を決行したという人が出ていたが、引き出しの中はモノが重なるということがなく、必要なものだけが標本のようにしまわれていた。これを見て私は、自分がいかに贅肉のついた暮らしをしているのかと思わされた。本当に必要なものなんてそんなにたくさんないのである。最小限のいいもの、気に入ったものだけで、シンプルに暮らすことって、潔くてとっても快適なんじゃないだろうか。

これだけモノや情報が溢れた時代になると、それらを集めることではなく、そこからどれだけ必要なものをチョイスするかが重要になってくる。断捨離とはまさにその取捨選択を極める大切さを教えてくれているのだと思う。モノや情報がたくさんあればあるほど、自分にとって必要なものを見極める能力が必要とされている。でなければますますモノに埋もれ、情報に踊らされていき、本当に大切なものが何なのか、本質はどこにあるのか私たちはますます見失っていく。モノでも情報でも必要なものをいかに選びとるか。それは自分自身を知ることであり、生き方や暮らしを洗練させていくことでもあるように思う。

今のところ、まだ押入れのモノとは向き合っていない(笑)。

でも断捨離の考え方は日常的に応用したいと思っている。とりあえず手始めに毎日必ず触れ、生活になくてはならない存在になっている冷蔵庫から。かなり長期間見て見ぬふりをしてきた、いつ購入したかわからない佃煮や調味料の断捨離から始めようと思っているbleah

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密かな才能

時々、専門分野以外の仕事を頼まれることがある。
その一つが似顔絵描きだ。

学生の頃から先生の似顔絵をふざけて描いたりはしていたのだが、別に特技と思ったことはなかった。でも代理店時代、あるとき同僚の結婚式で使う似顔絵入りの看板を作ることになり、上司が私に「おまえ、描け」と言ってきたのだ。なんで私にそんな役目が回ってきたのかわからないが、その同僚もお嫁さんもチョー描きやすい顔だったので、うまい具合に絵になった。」

それ以来私は「似顔絵が描ける人」と思われるようになった。以来、ちょっとした挨拶文に、社内報に、中期経営計画の挿絵にと、重宝された。しばらくそんなことも忘れていたのだが、この頃になってまた似顔絵を描かされている。私が似顔絵を描くことを覚えていたデザイナーが、「ちょっと頼むわ〜」といって泣きついてきたのである。あるオジサマ社会貢献団体の会報誌用に会員の似顔絵が必要になったという。

似顔絵って、そもそもクラスにちょっと絵の上手い子がいて先生の似顔絵なんかをサラサラっと描いて、みんなで笑い合うっていうノリ。そういうヒジョーにクローズドな人間関係で通じる記号でありネタなので、媒体も社内報だとか、会報だとか、あるいは結婚式の看板とか、身内の範囲に限られる。そういうマイナーなメディアに掲載するのに、わざわざ高いギャラを払ってイラストレーターに頼むほどではなく、といってここは写真じゃダメやろ〜という、金はないがウケは欲しいというビミョーにわがままな状況で話が持ち込まれるのである。

実際絵の上手いイラストレーターでも、似顔絵がうまいとは限らず、といってアウトブレーンに似顔絵描きという看板を挙げている人も、プロダクションもおそらくない。デザイナーは一瞬どうこのオーダーをかたづけたらいいか思案する。そんな時、昔見た結婚式の看板に描かれた似顔絵が浮かび上がる。「あ!あいつに頼んでみよう」ってことで私に電話がかかってくるのである。まさにニッチな商売である(別に商売にしてませんが)。

前にも述べたが、似顔絵というのは決して絵の才能があるから描けるものではない。自分でもなぜ人の似顔絵が描けたりするのかよくわからないが、全然関係ない時でも、人と話をしてたりすると、「あっ、この人描ける!」という瞬間がある。人の顔はさまざまだが、中にはとっても描きやすい人がいたりするので、テクニックではなく非常に感覚的なものだと思う。スケッチでもなく、デッサンでもなく、印象のデフォルメといったところだろうか。人の顔というのは、見ている人の目に平均値で映っているのではなく、特徴的なところが優先的にその人の印象として焼き付けられているように思う。つまりその人たらしめているパーツや表情を掴むことが「似させる」コツだ。

でも今回頼まれた似顔絵は、ちょっと難しい。というのもこれまでは知ってる人の似顔絵だったのが、会ったこともない人の顔を会員証の写真のようなものだけを頼りに描かなければならない。知っている人なら見た目の印象をどこかで捕らえているはずだが、会ったこともない人なので写真からの印象だけなのでイメージが薄い。

似てるんだろうか、似てないんだろうかよくわからないが、既に上げた似顔絵数点はデザイナーからOKもらってるんで問題ないようである。ってか、「描き直し」とか言われると、そら暴れるでしょ、私も(笑)。だって似顔絵のプロでもないんだし・・・

それにしても、なんで似顔絵なのか・・・。
私としてはゴルフが巧いとか、数字に強いとか、願わくばもっと別の才能をいただきたかったとしみじみ思っている・・・。


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WHO IS THIS ?

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京都町家ステイ

元スッチー友のSちゃんがロンドンから帰国。20年ぶりに再会することになり、関西在住の友が集まり、女子5人で週末京都町家ステイ&ツアーとなりました。

みんなで食事→飲みっていう手もあったのだけど、終電の時間を気にしながらではゆっくりくつろげない。といってどこかに一泊旅行では大そうになってしまうし、そこで選んだのがこの町家ステイ。食事行って飲みに行くぐらいの予算で一泊できるのでとにかく気軽。お風呂や簡単なキッチンもある町家一軒まるごと借りて京都風情を満喫できるので、ワインや食料を買い込んで、ちょっとしたパーティー気分で一泊できるところが私達の目的にかなった。

今京都でも宿泊施設の料金が随分と安くなったが、最近増えてきているのがこの町家の一軒貸し。バリエーションもいろいろあって、お値段相応の町家がチョイスできるので、目的や相手に合わせてアレンジするのもいいですよ。

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まずは錦市場にある「錦そや」でランチ。京都らしいものがいいかなと思って、豆腐の創作料理のコースがいただけるこちらのお店を予約。「こんな繊細な料理食べるの何年ぶりやろ〜」と感動していたSちゃん。そしてお店の人の丁寧な接客に触れると日本を実感するという。これはイタリア在住のIちゃんも、イギリス在住のSちゃんも口を揃えるが、海外で暮らす一番のストレスはいろんなサービスの悪さ。電車は時刻通り来ない、修理を頼んでもなかなか来てくれない、お店に入れば店員は無愛想。そういう意味では日本は本当に暮らしやすい。「水と安全はタダ」という言葉に日本人の意識が象徴されるが、当たり前のように思っているお店や暮らしのあらゆるサービスも、世界へ出れば決して当たり前ではないってことである。

満腹になった後は少し街ブラして、その後食料やワインなどを買って夕方チェックイン。時間を知らせておくと(随分遅れたのだけど)、その時間に町家を開けて係の人が待っててくれる。五条大宮近くのとっても賑やかな場所だったが、一本路地を入ると驚くほど静か。こちゃこちゃと家が並ぶ京都らしい街中にあるのだけど、町家自体はちゃんと表も中もリフォームされていて期待以上にきれいだった。面白いことに町家ステイは宿泊ではなく、貸家というスタイル。町家一軒貸しというのは宿泊規定を満たさないのだろうか、貸家契約にサインすることがチェックイン代わりとなる。係の人は家の中を案内し、チェックインのサインが済むと帰っていくので、あとは私達だけ。おばあちゃんは出てこないが、おばあちゃんの家に来たような気楽な気分だ。

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1階はキッチンとお風呂の他、6畳、3畳に板の間、そして小さな坪庭。狭そうに思えるけど、襖を開けたオープンな部屋になっていて思ったより広い。テーブルを5人で囲むにもちょうどいいスペース。ここに買ってきたお惣菜やパンを並べて、キャンドルも灯せば(本当は火を使うのはダメかも)、立派な宴会準備が整った。冷蔵庫、電子レンジ、ポット、グラスやお皿、ワインオープナーなど備品もいろいろ揃っていたので、こういう宴会目的のステイにはもってこいかも。

ただ残念だったのが付帯設備としてあるPCの音声が出なかったこと。インターネットラジオなどのBGMがなかったのはちょっと哀しかったweep

しかしカンパーイ!の後はそんなこと気にもかけず、食べ、飲み、しゃべり・・・既にお風呂にも入って化粧を落とし、部屋着に着替えていつつぶれてもいいというチョーリラックスした姿勢で囲む食卓はいやホンマくつろげます。20年ぶりに会ったSちゃんも、みんなと寄り合えば少しもタイムラグを感じさせないあの頃のまま。いや、本当はみんなそれぞれ少しずつ変わっているのだろうけど、寄り集まればあの頃に戻る、というのが正しいのかもしれない。

誰か宴会の途中で布団敷いて隣で寝てた人もいたけど(笑)、就寝はお二階で。ちゃんとクリーンなお布団一揃えが人数分置いてあるのだが、マットレスのない煎餅布団なので、翌朝少々カラダが痛くなる可能性はあるかも・・・。

翌朝はコーヒーなどを飲んで11時にチェックアウト(ドリップコーヒーの備え付けは有り難かった!)。「腹減った〜!」のみなさんの声に押されるように向かったのは蕎麦屋「にこら」。最近西陣エリアにいろいろと面白いお店が増えてきたのだが、ここ「にこら」さんもちょっとこだわりのお蕎麦屋さん。お蕎麦は茨城県産の自家製十割蕎麦。これに季節のお料理三品と天ぷらをつけたおすすめコースをオーダー。しっとりとおしゃれな店内も落ち着きます。

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ということで、その日は次のような特選京都コースをセレクト。世界遺産「金閣寺」の駐車場に車を駐めても金閣寺は見向きもせず(笑)、リクエストにお応えして徹底的に美味いもん、流行りもんスーベニアコースを車で巡りました。

蕎麦屋にこら
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ちりめん山椒「しののめ」
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ソーセージのかわきた屋
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金閣寺「箸方化粧品」
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BON BON CAFEでブレイク
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出町ふたば
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京漬物野呂本店

解散時にはみんなすっかりお買い物袋ぶら下げて、満足げな顔。ライター家業の知識が役に立つ。いや〜、マジで京都のツアーコンダクター商売にしてやろうかなって思いました!とりあえず町家ステイ〜京都スーベニアツアー第一回目は大盛況のうちに終了。Sちゃんはロンドンへのいい思い出になったかな。

また次回のお越しをお待ちしておりますhappy01

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