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寝不足日本

今日は会う人、連絡をくれる人、みんなの口から漏れるのは「寝不足で・・・」という言葉。

皆様同様、ワールドカップ時だけにわかサッカーファンになる私も寝不足。しかも延長まで0対0、PKの最後で決まるというあのように緊張を強いられる試合を見せられたら、すぐには寝付けない。お陰で午後からは朦朧としながら仕事をしていた。そんな人達ばかりなので、今夜の日本列島はきっと、すやすや列島になるに違いない。

大会前は誰も予想しなかった、岡田ジャパンのエキサイティングな展開。

しかしこれもサッカーだからこそ実現できたのだろう。野球じゃあり得ない。だってFIFAランキング45位の日本が、10位以上格上のデンマークやカメルーンとやって勝てちゃうんだもん。40位以上も違うオランダとやっても1-0。野球ならそれだけランキングが違ってたら、一方的なゲーム展開になって最初から互角の勝負にはならない。

逆に言えば、戦略によって、偶然や運によっても勝敗が分かれるので、どう転ぶかわからない可能性を秘めているから面白いのかも。強豪フランスやイタリアが1度も勝てずに予選敗退、注目もされていなかった日本が予選突破なんてことも起こるのだろう。

だけど、ここ数日近所の道端や公園でサッカーボールを蹴る子供をやたら見かける。やっぱりワールドカップに刺激されているのだろうか。今回活躍した日本の選手達はきっと子供達の夢や憧れになっているにちがいない。でも中には真剣にボールを追いかけるお父さんの姿もあったりして、お〜、なんて思ってしまった。今回のワールドカップはオジサン達の夢をも触発している・・・。

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誰がオバサンやねん!

こないだ「さらば、イライラ」なんて話を書いた後で何ですが、今回もまたムッとした出来事が話題です。

この間、同い年のYちゃんとバルで飲んだ。
バルだけど料理も美味しいお店で、食いしん坊の私達はその日のおすすめメニューをさんざんお店のスタッフにしゃべらせてから注文した。オーダーの後で「ごめんね〜、オバサンパワー炸裂で・・・」と付け加えたYちゃん。私は普段自分がオバサンだという意識を全く持っていないので、彼女の発言を他人事のように聞き流しそうになったが、改めて自分達のことだと悟ると無性に不愉快な気持ちになった。他人からオバサンなどと言われるとムカッとくるが、自分からオバサンという人にはもっと腹が立つ。

世間様から見れば、Over 40tyはリッパなオバサンなのかもしれないが、自らをオバサンと認め、オンナから一線を引くような自分に甘んじている性根が許せない。やはり子供もいる人とはその辺りの意識が違うのだろうか。でも既婚未婚子供あるなしに拘わらず、私の周りには自分からオバサン呼ばわりする人はほとんどいないので、なんだか無性に怒り哀しい気持ちになったのである。

一体女性はいつからオバサンになるのだろうか・・・
女性はある程度の年齢になるとみんなオバサンと呼ばれなければならないのだろうか・・・


誰が決めてん!


その点、英語は女性に大らかである。この間観た「SEX AND THE CITY 2」の中でも何度もGirlsという言葉が登場していた。彼女らは名実共に歴としたOver 40ty or 50tyだけどGirlsで、女友達はGirlfriend。何歳になっても女性はSheであり、Herである。

そうそう、4人のGirlsが飲んでいるシーンで、デンマーク人だったかハンサムな男にナンパされたサマンサが「今夜はGirlsと楽しむ夜なの」といって断るセリフが印象的だった(もちろん、また別の日にお楽しみになられたのだが(笑)。

いろいろなバックグラウンドはあるけど彼女らには、そもそもオバサンという発想はまるでない。年齢にあった美しさや地位を得、いくつになっても輝くGirlsの姿が皆の憧れを誘う。もちろんあれは映画で、現実の同年代はあんなにゴージャスで、あんなにキレイなわけはない。でも少なくともオバサンという言葉を寄せ付けない女性は存在するし、そういう人達はただ着飾って美容に励むだけではなく、オンナとしてのテンションを保つ執念やプライドがあるのだと思う。子供を産もうがシングルだろうがそこには努力がある。だってオバサンに成り下がるのはとても容易いことだから。

そういうオンナとしてのスキのなさと緊張感は、シワが増え、年老いても持ち続ける人はそれなりに持ち永らえるものではないかと思う。40過ぎて「オバサン」と卑下する女性は本当にオバサンかもしれないが、50歳過ぎてもイイ男をガンガン狙いに行く女性は全然オバサンじゃないと思う。

つまり「オバサン」は成り下がるもので、それを受け入れた時に始まるのではないだろうか。他人が決めるのではなく、自分によってもたらされるものだと思いたい。外見は若くとも、心がオバサンの人だってたくさんいる。サマンサのようにはいかないまでも、ま、世間様のご迷惑にならない範囲で現役をエンジョイする女性も魅力的である。しかし気持ちだけがエスカレートしたみっともない大人の女にならないためにも「自分を客観的に見つめる冷静な目」を持つことは忘れずにいたい。

これからは衰えていく肉体との一進一退の攻防が続く。それをいかにして闘い抜くか。
でも私は思っている。
おばあさんにはなっても、オバサンにはならないゾっ!て。

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河内ワイン初体験

Photo

近頃は、国産ワインが美味しいとよく耳にする。
ワインと言えば、フランスというのはもう昔のこと。輸入第一位はアメリカで、次いで二位がチリ。そしてなんと日本の消費ワインのうち輸入が6割、国産ワインが4割も占めているのだ。

赤玉ポートワイン(ふる〜sign01)、そんな子供だましのワインイメージをず〜っとひきずっているせいか、最初っから国産など眼中になかったのだが、国産ワインがヒジョーにレベルアップしているようで、一度飲んでみようと思っていた。

で、たまたま訪れた百貨店で目についたのがこれ。
「国産ワインなら、山梨や信州でしょう」という意表をついて購入してみたのが「河内ワイン」。だいたいワイン=西日本というイメージがなく、しかも大阪にワイナリーがあること自体驚きだった。「河内やで、わ〜れ〜」という声が聞こえたような聞こえなかったような、とにかく怖いもの見たさで買ってみた。

私がゲットしたのは「カタシモ河内ワイン」
西日本で最も古い老舗ワイナリーのものらしい。一口飲んでみると、これが意外な味わい。河内というワ〜レ〜なイメージからはほど遠く、アクがなくてとってもお品のいいお味なのだ。サイダーのような爽やかな軽い香りで、パンチはないけどサラリと飲めて後味もスッキリしてるので、和食と好相性だ。期せずしてその日のメニューは、めばるの煮付けと冷や奴を用意していて大正解!

いやいや、なかなか、国産ワインもがんばっとるな〜
内需拡大のためにも、今後私も国産ワインを飲む習慣を身につけてみようと思った。

これまた期せずして(笑)、スッチー仲間と恒例の夏の旅行は信州sign03
しかも私が幹事。旅のプランにはしっかりとワイナリー見学が組み込まれています・・・smile。温暖化のお陰で、近年は北のワイナリーがいい味を出しているらしく、最近では山梨より、標高が高く寒暖の差が大きい長野の方がワイン造りに適しているのだとか。

ますますイイ感じheart04
昼間はワイナリーでさんざん試飲をして、夜になればお宿でまたまた美味しい食事とワイン。
あぁ、夢のようなワインまみれの旅・・・wine

それまでは精進、精進・・・smile


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さらば、イライラ!

何かの拍子でパソコンのメモリーが重くなったりして、インターネットがサクサクできなくなると、ほんのわずかな時間のタイムラグなのにイラッとしてしまう。ダイヤル回線しかなかった頃は、それでもネットというツールの便利さに感動したものなのに・・・。

お山の上から車で町へ下りている時など、道が一車線なので、地方のナンバーをつけた車なんかが前をのろのろと走っていたら、車間距離を詰めてみたり、舌打ちをしてみたり、ストレスを感じていることが多々ある。

あるいはスーパーのレジなどで並んでいると、前のおばあちゃんが明らかにテキパキとしたお支払いの流れに乗っておらず、お財布からモタモタと硬貨を一つひとつ出している時なども、内心ついイラッとしていることがある。

このイライラがふと怖くなることがある。

インターネットが遅くなったと言ってもわずか1,2秒のことだ。ゆっくり走る車をサイドに追いやって、すいすい車を走らせたとしても、到着が5分も早くなることはない。おばあちゃんが、ゆっくりと支払いを済ませたところで、5分も10分も待たされるわけではない。

わずかな時間でも待てない人間になっているのだ。そして私が怖いなと思うのは、このイライラ感が、のろいからすっとばかしていく→もたもたする者は排除する、そんな発想につながりはしないかということだ・・・。そういう人間にはなりたくないし、そういう社会であって欲しくない。

この間もクリーニング屋さんへ行くと、あいにくパートさんが1人のところに、3人の客が並んでいた。おばあちゃんがたくさんのクリーニングを引き取りに来たところのようで、パートさんが伝票を見ながらバックヤードのあちこちから、ワイシャツやコートを引っ張り出している。その後ろに若い女性とおばさんが2人、さっきから突っ立って待っていて、明らかに後ろ姿が不平そうだ。

クリーニングが全部揃い、それを袋に入れて、最後に何かの割引の払い戻しみたいな処理などをしてようやく「どうもありがとうざいました〜お次の方どうぞ」となった。受付台から脇へそれたおばあちゃんはこちらを向くと、後ろに並んでいた私達に、「えらいお待たせして、すみませんでした」と申し訳なさそうに頭を下げた。

その言葉にニッコリ会釈したのは私だけで、前の二人はおばあちゃんの方を振り向きもしない・・・。前のおばちゃんをチラリと見ると、憮然とした横顔をしていた。

ほんの1,2分でも待たされたり、リズムよく物事が流れないと、現代人はやっぱりイライラしてしまうのだ。急いでいたとしたら待たされてイライラするのも仕方がないが、私はおばあちゃんの言葉に対する冷たいリアクションにすごくいやな感じを覚えた。

「お待たせしてゴメンナサイ」という言葉に対し、「い〜よ、い〜よ、大丈夫だよ」とは言えないまでも、そこにいる人達には「あ〜よかった、日が暮れるまでに終わってくれて」な〜んてジョークを飛ばす余裕も、雰囲気も、発想もまるでない。日本人はもともとジョークで応じる文化はないのかもしれないが、こういう時にジョークが言える人、あるいはジョークが言える雰囲気って実は家族でも会社でも社会でも大事なことなんじゃないかな〜と感じた。

海外へ行くと交通機関は平気で遅れるし、国によっても違うだろうが、さまざまなサービスが時間通り行われることの方が少ないように思う。その都度イライラしては身が持たないので、ある種そういうもんだというあきらめが大らかな心を育てているのかもしれない。日本は電車はオンタイム、配達は時間通り届けられ、あらゆるサービスがきちんきちんと行われている。それはもちろん快適で、世界に誇れることだと思うが、その一方でイライラ人間も育ちやすくなっているのかもしれない。

イライラ気分、ぎすぎすした人間関係、これらは百害あって一利なし、である。イライラすることで気分を台無しにするくらいなら、ちょっとのんびり構えて気分を害さない方がホント賢明だ。忙しい日常生活だからこそ、イラつかない生き方を私達は身につけなければならないのだと思う。


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続かない・・・!

「語学はスポーツといっしょで、毎日鍛えないと身につかないんですよ」

取材先のあるアメリカ人教授が、こんなことをおっしゃってた。なるほど、と思った。日本人というのは英語が身につかない、世界有数のナショナリティであるが、よその国に比べて英語を含めた外国語の接触が著しく少ないという環境が語学下手の国民性を作り上げているとも言える。毎日ほぼ日本語と日本人に囲まれて生活しているので、なかなか英語がしゃべれるようにならないのは当然のことだろうと思う。

勉強だけでもダメで、やっぱり語学というのはあくまでもコミュニケーションのツールなので、使わなければカラダに馴染まない。私も留学していた頃よりも、英語を使って仕事をしている時の方がずっと自然に身についたように思う。

日々日本語に埋もれて生きている故、私もかつて自分の英語力の衰えを感じてネイティブスピーカーとトークする英会話レッスンへ通おうと思い立った。しかし意気込んだのは最初だけで、まったく続かなかった。留学をするとか、toeicを受けるとか、そういう逼迫した目的がないため、ついついスケジュール上で後回しになって、気づいたらそんなことを思っていたこと自体もすっかり頭の中から消えていた。

例えば近所に英語圏のお友達がいて、普通におしゃべりするのならいいが、わざわざお金を払ってしゃべりにいくこと自体がバカバカしくなったというのもある。

だからというわけではないが、最近NHK教育TVの「ニュースで英会話」というのを録画している。これなら30分ほど番組を観るだけなので手間なく気軽に続けられる。時事問題を取り上げつつ、ボキャブラリーが増やせたり言い回しが学べてなかなか面白い。

と、思ったのも最初だけで、それもどんどん録画が貯まっていくばかりである。仕事を終えてTVをつけると、ついつい阪神タイガースや旅番組などにチャンネルを合わせてしまい、ワイン飲みながら「ニュースで英会話」を見ようという気にはとてもなれない。

結局、これもまたずるずるとなし崩しになっている・・・。

英語のレッスンというのは、勉学という以前に、自らの三日坊主精神との闘いなのだと痛感する。毎日続けなければいけない、自分の意志が試されるという意味では、ある意味ダイエットと似ている気もする。ダイエットなら、太っていくという目に見えて突きつけられる事実があるが、英語の場合、今の私がそれをサボったところで、誰にも咎められず、ギャラがもらえないということもないので、己を甘やかすままになっている・・・。

こんな私は「アメリカ人100人のアラフォー・ライフスタイルをリポートせよ」ぐらいの仕事に放り込まれないことがない限り、おそらく本気で取り組めないのだろう・・・。

ってわかっていつつも、ついついまた英会話番組を録画したり、英語で書かれた映画の脚本を買ってみたり・・・三日坊主のくせに止まない安易な執念というのが自分でもよくわからない。バカ食いしてリバウンドしてはまた一から始めるお年頃ガールのような、そんなとこだけは若い私です・・・・coldsweats01

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面倒なお買い物

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最近お気に入りのテーブルワイン、シャトー・ミルグラン。
普段飲みにはずっとオーストラリアのShirazが定番だったのだが、飲み過ぎて飽きたのとちょっと重すぎることもあり、赤はこちらに切り替えた。エレガントなミディアム・ボディなので、割とどんな料理にも合って、ついつい飲み過ぎてしまうのが玉にきず。

それにしても毎週毎週買いに行くのが面倒だなと最近つくづく感じる。

ビールならコンビニで済むが、ワインとなるとやっぱり特定のお店でないと調達できない。昔は家に酒屋さんが来てお酒を配達するのが当たり前だったが、今配達してくれるような酒屋さんも少なく(もちろん商品ストックを含めて)、そんな酒屋さんとのルートもないので自ら買いに走るしかない。

昔は本だって、本屋さんが届けてくれていた。
子供の頃の「科学と学習」とか「りぼん」とか、お酒同様待っていれば届くものだった。

しかし今は待っていては、何も得られない。届けてくれたのはこれほどモノがあふれていない時代の話。お父さんが飲むお酒は月桂冠、子供が読む本は「科学と学習」みたいに、今は選択肢はそれだけではないのである。日本酒ひとつとっても、大手メーカーものから地酒から、透明なものから濁ったものまで選択肢はさまざまなのである。

だから自ら選びにいくしかない。

モノが増えるといろいろ選べてうれしいが、消費者は自ら立ち上がってそれらと対峙していかなければならない時代なのである。自分の好きそうな商品を取り揃えている店を探し出したり、お店を比較したり、より安く、良い品を選び抜く・・・。本や日用雑貨など、通販を利用することも多い私は、最近段ボールをつぶす作業がめっきり増えたような気がする。これもひとつの対峙であろう。

行きつけの魚屋さんや八百屋さんがあって、その日のおすすめの品を買っていったのんびりした時代が、ふと懐かしくなったりもするが、時代というのは後戻りできない。

だけど重いし、度々買いに行くのが面倒なお酒に関しては、デリバリーする酒屋さんがあっても良さそうなものだと思う。気の効いたソムリエ的酒屋さんで、だいたい好みと予算を把握したら、定番のワインを配達しつつ、その時々でおすすめも届けてくれる、みたいな。ついでにデリバリーの度に瓶も回収してくれたら、月1回の「瓶の日」に恥ずかしいほど排出する私にとってこんなにありがたいことはない。

これが本だと好みを把握し、サジェストするのには相当な知識と労力がいるだろうが、お酒ならそういうことは十分可能だと思う。特にワインなどはおいしいものを選んで欲しいと思っている人はたくさんいると思う。

大店舗を構えて量をはくというのも現代の商売だろうが、実は人々の好みが細分化されている今こそ個別に顧客のニーズに応えるそんな商売だって全然ありだと思うのだ。

気の効いたワインデリバリー、誰か始めて〜!

近頃切に願っているのである。

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