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わかり合えることの難しさ

もう紅白歌合戦も始まろうかとういう大晦日。今の今まで仕事をしている私は、ハッキリ言ってお正月という気分ではさらさらない。大掃除もせず、年越しそばも食べず、今年はフツーに日付が変わる新年である。

最近新しいクライアントからの仕事に取り組んでいて、これが難航を極めているのだ。もう5回もコンセプト&コピーを出し直しているというのにOKがもらえない。

打ち合わせしている時は、ふんふんとお互い理解をしているつもりなのに、出来上がったらNOと言われる。こうなると迷走のスパイラルにハマりこみ、夢にまでうなされながら、悶々として6回目の書き直しに取り組んでいるわけである。

たはは・・・

私はコピーライティングという、コトバによってコミュニケーション・メイクする仕事をしているわけだが、長年この仕事をやっていてもつくづく「コミュニケーションすること」や「伝える」ことの難しさを痛感させられる。本当に言いたいことは何なのか、そこに辿り着くのだけでも一苦労。それから言いたいことを伝えたい人の目線に下し、的確にコミュニケーションしていくのにも技術や感性が要る。

ま、だからこそ面白いんだけど。

なので人と人とがそう簡単にわかり合えたりはしないことも、この仕事をやっていると理解できる。人それぞれ本当に違う考え方や価値観があり、感じ方も捉え方も皆違う。だから家族でもどんなに親しい人でも、そう簡単にわかり合ったりはしないのだ。

だからわかった気になどならず、いつも腹六分目ぐらいで接するのがいいのかもしれない。あとはその時、その時で違いを受け入れる風通しの良さというか、柔軟性を身につけておくことが賢明なのかも。

な〜んてことは今の私にはどうでもいいのである。2009年も押し迫り、6回目の書き直しがOKかどうか、それが私にとっても目下の問題である。腹六分目というわけにはいかない。

が・・・とりあえず、腹が減ってはなんとかというので、ここでとりあえずアルコールとフードを注入しておこうwink。まだあと3日はある(このお尻に火がついてない感がイケナイのだが)。

やっぱり私にとってパワーの源、心のよりどころは、こういうことらしい。

んなわけで、2010年も、相変わらずのアタクシをよろしくお願いいたしますbleah

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生き続ける仮説

治ったと思った風邪も、この週末の寒さでまたぶり返し、なんだか今ひとつ体調がよろしくない。自分でそう自覚しているのは、お酒があまりおいしく感じられないからだ。私にとってお酒は健康のバロメーターである。忙しくとも、さまざまなストレスがあろうとも、毎日美味しいお酒が飲めることは、元気な証拠。有り難いことなのだとつくづく思う。

この間かつての同級生達と久しぶりに食事した時も、同級生の死という話題になった。「え〜!?○○ちゃんが・・・」「○○も去年・・・」と、クラスメートだった人や同じクラブに属していた人達が、まだ40代で亡くなったという話はやはり結構ショックなことである。

死というとこれまでは親という次元だったハナシも、自らにふりかかってくる年齢なのだと痛感した。つまり平均寿命と比べれば早いが、人生における自然な死が訪れる領域に入ってきたということだ。乳がんが見つかって既に余命3ヶ月かもしれないし、朝起きたら死んでいるかもしれない。死の可能性はさまざまにあるのだが、考えてみれば私達の人生というのは「生き続けるだろう」という仮説のもとで営まれているのだとつくづく思う。

そう思うと、人生設計なんて虚しいものに感じられてくる。

老後のためにせっせとお金を貯め込んだり、30年もローンを払い続けてマイホームを手に入れたり、すべては「生き続けるだろう」という仮説の元に、「今」という時間を犠牲にしているとも考えられる。

といって「今」だけ考えて生きていけるものではない。身体を壊したら入院費を支払えるぐらいの蓄えはいるし、会社に勤めていれば1年先、5年先のビジョンのもと、仕事を進めていかなければならない。社会生活を送る以上、「今」のことだけ考えて生きれるもんでもないのだ。

ではどのへんが落としどころなのだろう。

こんなことを書いている私も、この文章をアップした後はやっぱり「生き続けているだろう」という仮説のもとで生きていくのだ。だって生まれてこのかたそうやって「生きる」ことを体現してきたのだし、健康なお陰で「死ぬかもしれない」という危機感に晒されながらは生きていない。でもひとつ言えるのは、「生き続けているだろう」という仮説の中に、「明日死ぬかもしれない、1年後は病に伏しているかもしれない」という可能性も含めて考えるべきだということ。

それは普段はあまり意識するようなことではないかもしれない。これまで通り「生き続けているだろう」人生を邁進すればいいと思う。でも何か大切な決断の時、岐路に立たされた時などに思い起こすべきことのような気がする。

「生き続けているだろう」仮説に囚われすぎて、すっかり守りに入った状況で何かを選択するのではなく、「明日死ぬかもしれない、1年後は病に伏しているかもしれない」という可能性を視野に入れて何かを選択する方が、「生きる」ことをよりリアルに自分の人生に引き寄せるのではないだろうか。

そんなことをお酒も飲まずにつらつら考えているのは、体調を崩してぼんやり休養している時間があったかららだろう。明日は元気になってまた「生き続けているだろう」仮説に埋没していく。埋没していることもある意味シアワセなことなんですね〜


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ただの酔っぱらい

いつも大阪で仕事帰りに飲んでは眠りこけてしまい、度々降りる駅を通り過ぎて遥か彼方の駅から深夜タクシーで帰ってくるSちゃん。今まで笑い飛ばしていた私だったが、遂に同じような目にあうハメになるとは・・・。

なんでそこまで電車で熟睡できるの!?

とエラそうに言っていた私も、昨日はすっかりまったり熟睡状態。幼友達のMちゃんちでプチ同窓会が行われ、お料理教室もやっているMちゃんのおいしい中華料理をいただきながら、ついついシャンパン、ワインとお酒がすすみ・・・帰る頃にはただの酔っぱらいと化していたのであった。

確かおいとましたのは9時頃。もよりの京阪くずは駅まで行って、ちょうど来た出町柳行き特急に乗り込んだ。いつのまにか眠ってしまい、ふと気がつくと「中書島〜、中書島〜。この電車は当駅とまりです」のアナウンス。特急に乗ったのになぜ中書島とまり・・・・?訝しげに時計を見るとなんと11時前を差している。

え〜〜〜〜〜っっsign02

普通なら30分で帰れるところ、1時間以上も電車に揺られている私。
その瞬間理解した。今乗ってきた電車は終点の出町柳まで行って折り返し大阪方面へ向かうでんしゃであった。誰か起こしてよ〜dash駅のホームで誰彼なしに思わず叫びたくなりそうな心境だった。

よく終電などに乗ると、ヘベレケに酔っぱらったオヤジが無防備に熟睡した顔をさらけている姿をよく見かける。「まったく、電車の中であんなに酔っぱらって眠りこけて、お財布でも抜かれたらどうするんだろう」などと半ば軽蔑しながら目の端に入れていたものだが、そんな人達と私は別人!とすっかり思い込んでいた。

しかし別人ではない。十分に同類であった。

酔っぱらいにそんな区分けはないのだ。終電に揺られるお父さんも、私も、所詮同じ酔っぱらいなのである。

と自覚したところで私はひとつ誓いを立てる。これから終点まで行っても眠りこけている酔っぱらいオヤジを見かけたら(いや、酔っぱらいオンナも含めて)、必ず起こしてやろうと。それが世の情けというものだ。

酔っぱらいの皆さん、せちがらい世の中ではありますが、同類相憐れみ、お互いに助け合うココロは忘れないでおきましょう。smile


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素敵な隠れ家レストラン
MA-Kitchen

おいしいお料理とおいしいお酒
そして、尽きないおしゃべり。

楽しい時間をありがとう♪

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今年もひいてしまいました。

今年はなかなか調子がいいぞ!体調もいいし、ウォーキングもしてるし、うがいと手洗いも励行してるし、今年こそ、この冬こそ、もしかしたら・・・

しかしその期待は裏切られ、やはりこの冬も風邪をひいてしまった・・・catface

早めの対処で熱こそ免れたが、今回の風邪はとにかく鼻にきた・・・sweat01いつもは必ずといっていいほど喉が痛くなって、熱っぽくなって・・・というパターン。でも今回は夜中にくしゃみと鼻水で毎晩目が覚めてしまい、息も出来ないほど。最初はアレルギー性鼻炎がまたひどくなったのかと思っていたが、こんな時期に一体なんの草・・・?

と思っていたら、日中になってもひどいくしゃみと鼻水。だんだん咳が出てきくるようになりようやく風邪だと認識できた始末・・・。

救世主は鼻水・鼻づまりにベンザブロックS錠。
これがよく効いた!市販の風邪薬もこの頃はなかなかやるじゃないの。サンキュー、ベンザブロック!って感じ。

さすがに風邪の時はお酒も飲みたくなくなり(薬を飲むからという点もあるのだが)、元気になるととたんに飲みたくなるというのが不思議なものだ。つまりお酒は健康のバロメーター。元気でお酒が飲めるということはありがたいことなのだと、改めて思うのである^^

元気になったところで、明日の忘年会もうんとおいしいお酒をいただきたいと思う。

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幸運の白い動物

一昨日、犬を飼う夢を見た。

前後のストーリーは忘れてしまったが、誰かのはからいで、ゴールデンレトリバーの子犬をもらえることになり、その犬がいるファーム(厩舎のようなところだった)を訪れたのだ。すると、案内された厩舎から出てきたのは、なんと白いゴールデンレトリバー。子犬のゴールデンはそれはそれは愛らしく、思わずほおずりするように抱っこしてものすごくシアワセな気持ちのまま目覚めた。

dogdogdog

習慣で、私は夢を見ると夢辞典でチェックする。夢に出てきたものや事柄は必ずと言っていいほど、現在の心情や隠された心理、あるいは近い将来の出来事を暗示するからだ。

夢辞典によると、犬は友情のシンボルらしい。友情を深めたり、よき協力者に恵まれるということのようだ。しかし白い動物は幸運の使者であり、白い動物の夢を見たら、喜びが舞い込むとあるではないかsign03

そんな一文を読んだものだから、もう朝から上機嫌になってしまった・・・heart
一体どんな幸運が舞い込むのだろう・・・lovely

まず一番に思い浮かんだのは今まさにタイムリーな年末ジャンボ宝くじだ。1度買ってみたことがあるのだが、あんなとんでもないケタの数字がピタリと当たるのは相当なミラクルだと実感した私。

しかし今なら当たる気がする・・・sign03

どうしよう!2億円当たったら何に使おう〜heart04 家建てて、世界各地へ旅行に出掛けて・・・母親にバ〜ンと1000万ぐらいあげたら、一体どんな顔するだろうか^^ そうだ、老後のコーポラティブハウスの資金にも充てないといけないな〜とか、2億円の場合、1億円の場合、5000万の場合とシュミレーションし出す有様。もう仕事そっちのけでそんなことばっかりに思いを巡らしてしまう。

一通り空想し尽くした後で、少々冷静になった。よく考えたら、白い蛇とか白い馬とかなら、いかにも神がかり的な幸運のシンボルという感じがするが、私が見たのは白い子犬。なんか幸運も小粒な感じがする。

宝くじが当たっても100万円ってとこかな〜。それとも、ちょっとばかし儲かる仕事が入ってくる予兆か〜???もしかしてハワイの別荘へご招待するわ!なんていう誘いが来るのかもしれんな〜、なんて冷静になったらなったで、やや現実的な次元へシフトしたものの私の妄想は留まることを知らない。

ところが、期待しているほどのことは何も起こらない。一昨日も、昨日も、何という変化もなく穏やかに過ぎた・・・。

確かに友達と会って束の間親睦を深めたり、新しい仕事も入ってきた。でも友達は急用が出来て先に帰るし、新しい仕事もごくスタンダードな規模である。それよりも前から目を付けていた服が一足違いで売り切れになっていたことの方がショックだった・・・。

こんな感じで、白い動物がもたらす幸運が霧に撒かれてしまってはいかん!という思いで明日にでも年末ジャンボ宝くじを買いにいこうと思っていたら、ポストに一枚のハガキが届いていた。

差出人は次世代自動車振興センターというところだった。

聞いたこともないし、関わったこともない名前である。そのハガキが、"残高不足で引き落としされませんでした"という時に来る銀行からの不吉な通知に似ていたので、車の支払いで今頃なにか請求されるんだろうかと一瞬不安になる・・・・gawk

ツルツルツルっと裏面のカバーされた紙をめくると、合点がいった。

すっかり忘れていたが、それはエコカー減税による補助金の支払い通知だった。今年の夏にエコカー減税の対象車に乗り替えた際、ディーラーから申請された補助金が、今ようやく振り込まれたというわけだ。

2億でもなく、100万でもなく、私に舞い込んだのは10万円だった・・・。

ますます合点がいった。やっぱ現実に舞い込む幸運なんてこの程度のものである。そういえば、夢の中で見た白い子犬は、真っ白というより、ちょっと黄ばんだ白だった。

今日はスピッツの画像を見てから寝ようと思う・・・sleepy


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