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ガイジンという生き方

先週ある決心を実行した。
友人のAちゃんが英語の個人レッスンを受けている先生に、私も思い切ってレッスンを受けることにしたのだ。

留学したり、英語を使う仕事に就いたりしていたのも大昔のことで、英語を使う生活から離れて20年近く。日本語でさえもこの頃は「あれ〜、あの〜、なんていったっけ?」と言ってるくらいなのに、日常的に使わない英語力はどんどん失われていることを自覚していた。なんらかのカタチで自ら英語に触れる機会を持たなければ・・・そう思っていたからだ。

レッスンと言っても、1時間ほどのトーキングのようなもの。この間は初めての顔合わせだったので、2,30分ほど自己紹介を含め、先生と会話を交わした。

しかし・・・・

思っている以上に自分の英語力のなさを思い知らされた。まず単語がすんなり出てこないのだ。簡単な単語でさえも忘れている。それに口が重たく、やたら発音がしにくい(特にRの発音)。何より、英語を理解&話す時の脳の使い方がすごく久しぶりな感じである。

言葉って、使われなければ退化していく。知識としてしまっておくものでもないと思うので、手段としてどんどん使って生かしたいと思う。母国語でない言葉でコミュニケーションすることは、今の私にとっては学習というより体感といった方が正しい。

アタマの切り替えにもなるし、別の世界をエンジョイするためにも、ちょっとずつがんばろうかなと思っている。

ところでその英語の先生、イギリス人男性が、こんなことを言っていた。彼は日本に来て6年になるそうだが(ノバ〜フリーになり、ずっと英語教師をやっているらしい)、日本の生活はどうかと聞くと、暮らしやすいと答えていた。彼は日本に特に興味があるわけでも、京都の伝統に親しみたいわけでもないようだ。

それだけ長く住んでるのは日本である程度稼げるというのももちろんあるだろう。安全とか便利とか以外にも、ここにいる限り自分はsocial pressureを感じないのだと彼は言っていた。ちゃんとした企業に勤めて、何歳になったら結婚して、何歳になったら子供を持って・・・みたいな、どうしても自国にいるとそういうプレッシャーがあるが、日本に住んでいる限りガイジンという気ままな存在なので、自由に生きられると。

なるほど、ガイジンってそういうものなんだ。

会社に勤めれば会社という社会、家族を持てば家族という社会・・・・一箇所に安住して暮らすというのはそういうさまざまな社会にどっぷりと所属していくことなのかもしれない。所属=安定だが、所属=しがらみとも言える。どっちがいい悪いではなく、それは個人の選択だろうけど。

よく日本に住む外国人が、何年住んでも自分達はガイジン扱いされる。ということを不満として漏らすのを聞く。日本は島国のためか、国際化と言われても目の色や国籍を超えて、誰にもオープンマインドというわけにはなかなかいかない。

でもこの教師のようにガイジンを快適と思っている人もいる。

ある程度社会と距離感があることがラクなのだろう。ガイジンを割り切ってしまえば、案外この国というのは暮らしやすいのかもしれない。この先人生に行き詰まったら、ひとまずガイジンになってみる。それも新たなWay of Lifeなのかもしれない・・・(笑)

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