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ナチュラリスト

「いつもブログ見るの楽しみにしてるから♪」
この頃周りの人が読んでくれるようになり、遥かブータンにいる元CA友(彼女は現役ですが)からもそんなコトバをもらって、ホメられたらぐんぐん木に登るタイプですから、風邪にも負けずついついハリキって書き込むワタシ....笑 単純やな〜 (*^ ^*)

単純つながりで、ひとつ。
最近人から言われてちょっとうれしかったコトバがある。
得意先の会社で、仕事は一緒にしたことはないが随分前から知っているある女性から、

「ナチュラリスト」

って言われたこと♪
これって、なかなか鋭いコトバだと思うのだ。

別にワタシはいつも生成りコットン100%の服を着て、ノーメイクで、マクロビにハマってますって顔してその会社へ行っているわけではない。ちゃんとメイクをして、仕事先なのでジャケットをはおるぐらいの格好で行くし、何らナチュラルを思わせるアピールはしていない。どこをどのようにナチュラルと言ってくれたのかはよくわからないが、仮に「若い」とか「キレイ」とかって言われるも、なんかずっとうれしく感じられた。

なぜだろう....?

ワタシは基本、ナチュラルなものが好き。
加工されたものより元のまま、ケミカルな素材よりも自然素材のもの、シティよりカントリーに惹かれる(お山に住んでる通り)。アーティフィシャルな美しさよりも、自然の趣を大切にしたいと思うタイプだ。それはもちろん好みやスタイル、生き方にも反映されていると思う。

一方外面では普通に化粧もするし、おしゃれもするし、仕事先ではおべんちゃらのひとつやふたつも言える。歳を追う毎にメイクの時間が長くなったと感じる今日この頃ではあるが、ワタシの中ではしっかりメイクしているようには見られるのは何よりもタブー。いつも自然に見えるメイクをアタマにおいて化けている。あんまり女っぽく見られるのはイヤだし、ファッションにもどこかくずしたところがないと落ち着かない。クールに気取るよりは、シッポを振ってお近づきになりたいタイプである。

つまりナチュラルというのは、改めて意識したことはなかったが、ワタシ自身がスタイルとしていることなのだ。おそらくこうありたいと思う内面と、こう見られたい外面が馴染んでいたところに「ドンピシャ」という感じがあってうれしいのだと思う。しかも女性に言われたことが嬉しい♪だってなかなか「ナチュラル」なんてコトバを使ってくれる人はいない。そのコトバ、丁寧に折り畳んで胸にしまわせていただきます♪

あ〜、Fさんってイイ人だな〜(●^^●)

単純なワタシのこと、次にその会社を訪れる時は、いつにも増してナチュラルメイクを施し、爽やかボーダーなんかを着て、笑顔いっぱいに「おはようございますぅ〜」とか言ってそうである。
もう目に見える....笑

あまりにやりすぎて、"不自然"に見えないよう注意しなければならない。

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風邪菌ジャック

1月からひいていた風邪、治ったのか治ってないのか、ぐずぐずしてるうちに遂に堤防決壊!
昨日から喉がカンカンに腫れて、発熱☆ 鼻水くしゃみは止まらないし、アタマは痛いし、節々は痛むし、絵に描いたような風邪の症状に、かえって笑いさえ出て来る....。

ワタシの場合、なぜか飲みに行くと必ず悪化してしまうこの風邪は、戒め型ウイルスとでも呼ばしてもらおう。何せ、飲みに行ったとたん、嘔吐や下痢、発熱と、ドラマティックな症状へ移り変わる。菌は相当しつこく身体の中に存在しており、雪が降って凍り付くたびにパワーを蓄えているかのようだ。
今、ワタシの身体は完全に風邪菌にジャックされている。

しかしそうのんびりもしていられないので、病院へ行って薬を大量にもらって服用した。
近くにある掛かり付けの先生が、これまた漢方薬の先生で、抗生剤は一応くれるがあとは全部漢方。ワタシは東洋医学は嫌いではない、むしろ好ましいくらいなのだが、風邪ぐらいだと病気の元を撃破する西洋医学でさっさと直したいところだが、やっぱりそこは漢方、ジワジワ効いてくる。喉の痛みが消えるわけでもなく、熱が下がるわけでもないが、身体がぽかぽかとしてきて、なんとなく気が大きくなったような気分....笑。

こんなんでいいのだろうか...?
2ヶ月ワタシの中に巣くっていた風邪菌、バッサリとトドメを刺すというわけにはいかず、どうやらやんわり立ち退きを迫るしかないようである...。

とにかく飲みに行っても風邪をこじらせない、健康なカラダに早く戻りたい...!

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気の毒な住まい

得意先の女性担当者と飲みに行った。
新卒で入社以来、転職することもなく、寿退社する事もなく、同じ会社に20年近く勤め続けている一筋&忍耐の人である。その会社の古くからの大番頭である60を過ぎた専務が、

「私は初代の社長から3代お仕えしました!!」

と言うのが口癖らしいが、彼女も笑ってはいられないという。既に2代目まできており、あと10年も経ったら「私は3代お仕えしました!!」って自分も言ってると思うわ〜とケラケラ笑っていた。それはそれでコワいような....
ま、しかし私にはトーテーまねの出来ないリッパなことだと思う。

で、彼女はお父さんと二人暮らしで、実家に住んでいるのだが、そのロケーションというのが京都のど真ん中。祇園で遊んでも歩いて帰れる、ワタシなら間違いなく不良になっていそうな場所。八坂神社や清水寺なんて庭である。祇園で飲んで歩いて帰ったら、軽く疲労骨折そうな所に住んでいるワタシにとっては、想像できないような町中である。

「でも、最近は本当にヤんなっちゃうんですよ〜」

そう、そこは近年の"京都人気"でますます訪れる人が多くなっている、観光スポットの超過密エリア。家の周りはワイワイガヤガヤ、春秋のハイシーズンには、周辺の生活道路に規制が加えられたりするそう。

歩行者優先

という憎々しい看板が道を塞ぎ、ガードマンが立って車の出入りを見張っているという。車で出掛けようものなら、そこに住んでいる住人にも関わらず、ガードマンにいちいち断りを入れてその道を通らなければならないという。「邪魔やな!」と言わんばかりの避難がましい視線をぶつけられながら、人ごみをの中を徐行して行く時のキモチは、まるで違反者か、犯罪者のような気分だと言う....。

「だから、土日は会社で仕事するに限りますよ〜」

とあきらめ顔の彼女。
誠に気の毒なハナシである。休みの日は、あ、ちょっと犬のさんぽ〜っていい加減な格好して出掛けるワケにもいかないし、騒がしくて家でくつろぐこともできないらしい。ま〜、清水寺のあたりってあまりにもポピュラーすぎるし、観光シーズンともなると、どれほどの人であふれかえるのか容易に想像がつく。そこに住む人達にとっては大変なことだろうと思う。

音もなく雪が降り積もり、出歩く人も見かけない森閑〜とした冬、
庭の木々がそよぎ、どこかからバーベキューをする匂いが漂って来る夏、
そんなのどかなお山の上に住んでいる自分が、そんな所に住んだらノイローゼになってしまうかもしれない....。

祇園、清水あたり
訪れるものであっても、住むものではないな〜と思う。

春の後ろ姿がふいに見えなくなってしまった今週だが、多少の雪で不便を感じるくらいはこの際よしとしておこう....!凍り付く外を眺めながら、言い聞かせたワタシでした...。


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危うい命

一度仕事でお世話になったことのあるFM局の専務が亡くなったと聞いた。
え〜〜〜!?だってまだ.....

53歳。

その答に絶句してしまった.....。若すぎる!!
局独自のレーベルを立ち上げるという企画でワタシは参加したのだが、コンセプト案に共鳴してくれて、自らいろいろとイメージを付け加えて勢力的だったのが印象的だった。その後レーベルのミュージシャンが出演したコンサートでお会いした時の元気そうな表情。親しい人ではないのでそれからお会いしたことはないが、今も当然バリバリやっておられると思っていたので、突然の訃報には本当にビックリした。

朝起きたら亡くなってたらしい...

そ、そんな、あまりにも不意ではないか。
脳梗塞だったらしい。

脳梗塞という病気はホント容赦のない病気である。ウチの父親も脳梗塞で突然逝ってしまったので、その突然具合というのがどれほど家族を驚き、哀しませるかはよ〜くわかる。

しかし人間、いつ死んでもおかしくないのだな〜と思う。
そうやって知らないうちに血管のどこかに障壁ができていたり、機能を妨げていたりするかもしれないし、あるいはガン細胞が増殖しているかもしれない。はたまた明日車に衝突されるかもしれないし、トリインフルエンザに感染する可能性だってある。死への入口は実は其処ここに用意されている。

毎日そんなことを意識して生きてるわけではないが、明日もいつものように元気だとは全然限らないのだ。みんなが同じように生命の電池を持ってて、それぞれアルカリか、オキシライドか、ぐらいの違いはあったとしても寿命というのは単なる電池切れで途絶えるような単純なものではない。

つくづく、自分の寿命を知らないで生きていることの危うさを感じる...。

そう思うと月々の年金の支払いや、欲しいものを我慢してわずかながらも貯金していることが空しく思えてくるが、長生きする可能性だってあるから困ったものだ。命、という不確かなバッテリーと未来、という未知なる世界。生きてることってあまりに危うい。

危ういからって、じゃ人はどうするのだろう?
一日一日を大切に生きようと思うのか、やりたいことやって後悔しないようにしようと思うのか、ワタシはとりあえずお酒飲んで美味しいもの食べて、生命が喜ぶ瞬間を味わうことにする....(笑)。
結局それかよ〜
はい、自分で突っ込んでおきます(*^ ^*)


P1010004_2

春を待つキモチを見事に裏切るように、
今日も再び大雪。

ストーブの上でコトコト煮た
ロールキャベツは
唯一の心あたたまるもの。

ベーコンを入れた
ホワイトソースで仕上げた
ロールキャベツは
口の中でとろけます♪

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ケータイ文化

は〜〜〜、疲れた☆
電話でしゃべるか、お昼を食べる以外は、ず〜っっと新しい企画を考えながらパソコンに向かっていたので、アタマの芯がどよよ〜んとして肩がズッシリ重い。今飲み始めたワインで、現世に引き戻されたような、んな感じ....。

やはりお酒は、こーゆー時に生命を蘇らせる必需品である....。

いや〜、それにしても最近のケータイ文化には驚いてしまう。
誰かと気軽に連絡がとれるのはもちろん、ケータイひとつでお買い物もできちゃうし、TVも見れちゃうし、なんでもできてしまう。で、コンテンツも充実していて、近頃はケータイ小説がえらい勢いで売り上げを伸ばしているらしい。なんと日本のベストセラーの半分はケータイから出てるらしい。

って、そんなのに驚いてるのはもう遅いのだろうか!?
実際角川や新潮からケータイ小説のサイトがわんさか出てるわけだが、なんか私などはケータイ小説にはまだ違和感を感じてしまう...。だって立ち読みしてみたが、ろくに情景描写とかもなく、改行、改行でどんどんハナシが進行していって、味わうような感じではない。なんかブログが小説風に仕立てられてるような感じ。

その分すぐ読めて、展開もスピーディーだ。
スクロールだけで、ページをめくる必要もないので、片手で読めるところも通勤の電車の中で読んだりするのに便利らしい。

読み物も機能なんだな、と。

確かに、電車に乗ってる間、電車を待ってる間って手持ち無沙汰だし、ついつい携帯を触ってしまうのは皆同じだろう。電車通勤が常の都会の日本人にとって、生まれるべくして生まれた文化が、ケータイなのだろう。

ケータイの出現で文学まで変わろうとしている。
恐るべしケータイ。
これからどんなことができるようになるのか、何に変革をもたらすのか、
ケータイが普及してわずか十数年ぐらいだと思うが、こんだけの進化を遂げたツールもすごいと思う。
ケータイを持っていなかった時代はどうして暮らしていたのか、ほんの一昔まえなのにえらく大昔のことのように思える...。


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ホームエクスチェンジ

毎日毎日、ホンマによう降る雪。
たまに降るならキレイかもしれないが、こう毎日降るといい加減にしてって感じ!
今朝も庭は新雪で覆われ、プランターのパンジーがどっさり雪をかぶって、隙間から花びらを覗かせている姿がなんだか痛々しい。それでも枯れずに花をつけるパンジーのなんと可憐なことか....。

雪のおかげで、仕事以外では格段に行動範囲が狭まったこの頃、昨日も家でおとなしく映画「ホリデイ」を観た。キャメロン・ディアスとケイト・ウィンスレットが、失恋をキッカケにLAとロンドン郊外の家を交換してそれぞれの土地に滞在する顛末を描いた映画だ。

キャメロン・ディアスもケイト・ウィンスレットも、遥か彼方の人気ムービースターという感じで、何ら親近感を感じないし、そうそうあり得ない恋愛ストーリーなので最初は真剣に観ていなかったのだが、ひとつシンパシーを感じるところがあった。

それはケイト・ウィンスレットが住んでいるロンドン郊外の家。

キャメロン・ディアスは映画の予告を作る制作会社をやっているので、プールがあるような超セレブな家に住んでいる。一方新聞記者のケイト・ウィンスレットはロンドン郊外に1人で住んでいて、といってもえらく田舎で、なんか山の中の牧草地の真ん中にあるような一軒家。雪をかぶった家はちょっと古めかしくて、こじんまりしていて、居間でキャメロン・ディアスが火にあたりながらワインを飲んでるシーンなどは、

まるで自分を見ているようだった...。

いや、キャメロン・ディアスではなく(笑)、その家の佇まいが....。
なんて思いながら観てると、夜中に突然やってきたケイト・ウィンスレットの兄、ジュード・ロウとたちまち恋に落ちてしまうというというストーリーに発展していく(ついでながら、ジュード・ロウは、アタマかなりヤバいな〜)。
で、私はこの映画を観て何が感動したかというと、

ホームエクスチェンジというシステムだ。

さすが!そんな手もあったか、と感嘆せずにはいられない。
日本とアメリカでも、日本とイギリスでも、家ごと交換してしまえば滞在費がかからないし車も使える。クールなホテルより、人の家の方がぬくもりがあっていいし、全然知らない人の家ってなんか楽しそうじゃん。

他人をあまり家にあげたがらない日本の風土から言うと、外国人というのは本当にオープンだと思う。だいたいメイドさんやベビーシッターは日頃から大いに出入りしているし、立派な家でなくとも、大して面倒をみなくとも、留学生なんかを平気で家に預かったりする。学生やOLがルームシェアするのだって、ものすごくポピュラーだ。日本では介護のヘルパーさんでさえ、家に入れるのが嫌だと言う高齢者が多いらしいから、世界レベルでいくと日本人の"おウチオープン度指数"は相当低いと思う。

私は日本人としては全然オープンな方なので、家に他人を招き入れることには全く抵抗がない。これまでお友達が泊まりに来るのはもちろん、ダグちゃんがいた時は知り合いにドッグシッターとして滞在してもらったことは何度もある。夏場はちょっとした避暑地になるので、私が実家などへ帰る折りに友達一家が滞在することもあった。でも家を交換するまでは考えが及ばなかったな〜

ネットで検索してみると、あるある。やっぱ英語のサイトがいいんじゃな〜い(*^^*)
$100ほどの入会料はいるようだが、世界各国のお家がエントリーされていて、なかなか利用できそうな感じだ。みんな結構きれいな家ばかりで、ウチなんか選んでもらえるかどうか甚だ不安だが、ここに登録しておいたら、見つかったタイミングで旅行に出掛けられるし、ま、どれくらいの確率でヒットするのかわからないが、いくつかの候補をあげておいてどの国の人とマッチングするかもまた楽しみだ。

キャメロン・ディアスやケイト・ウィンスレットが遭遇したような、夢見るストーリーは期待できなくとも、ホテルではない他人の家にステイするというのはなんだか面白い発見もありそうだ。しかも日本人同士ではなんか所帯臭さがどうも鼻についてしまいそうだが、まったく異国の人なら、異文化として不思議とそれも新鮮に感じるものである。

あ〜、そんなこと考えてるとまた旅への思いが募る....。
とりあえず早くあったかくなって、雪深いお山の上からの行動範囲を広げたいものである。
春がホントーに待ち遠しい今日この頃です....(>_<)


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「エリカ」 小池真理子

小池真理子の作品を久々に読んだ。
探していた本が売り切れていて、たまたま手に取った本を買ってみた。
エリカ、といっても沢尻エリカの自伝ではない、もちろん(笑)。主人公は41歳。「オフィス・エリ」という企画(イベント?)会社を立ち上げたばかりの、いわゆる都会のいい女。その女性が、親友の死後、親友の不倫相手だった彼とできてしまうというストーリー。

最初は親友の死によって、彼女の恋人だった人と接点ができ、口説かれてその気になっていくまでがスリリングに展開される。仕事ができて美しく、地位も手に入れたイケてる女エリカ。まったくその気もなかった親友のかつての彼氏、少し年上のナイスルッキングでお金持ちオトコ、湯浅にプッシュされていくというストーリーはいかにもありそうなハナシだ。

湯浅はこれぞ!とターゲットを定めたら、何のてらいもなく押しまくるなんだか石田純一を地でいくような男で、デキる女というのはまともにこられるとこういう男に弱いものだ。並の男ではなかなか近寄りがたいから、意外と口説かれ慣れていない。湯浅のようにお金持ちでイイ男にバンバンプッシュされると、割と容易く重心が変わってしまったりするものだ。

そこまでは読めた。
でも今更こんなソープオペラのようなストーリーで、300ページ以上も続く長編が持つはずもない。果たしてこの小説にはどんな展開が待っているのか、どんなエンディングが想定されるのか、読み進むうちに、そればかりが気になった。という意味ではそこらのサスペンス小説より、よほどスリリングだったかもしれない。

布石はあったが、そういう展開があったか...。正直言って予測できないストーリーではあった。
ここでふと思うのは、ひとつの恋愛のハナシであれば、大抵は愛情の情景や象徴的なシーンを切り取ったタイトルがつくはずだが、この本のタイトルは「エリカ」という主人公の名前。恋愛ストーリーよりも彼女の生きざまや人物像そのものに作者のメッセージがあるのだろうと思う。

カバーには「現代の愛の不毛に迫る長編」とある。
小説の中では「愛」だと思っていたものがそうでなく、そうではないところに「愛」が芽生えるところに何か暗示的なテーマを感じる。しかし「愛」に破れたからといって生活に大きな破綻をきたすわけでもなく、エリカ自身はこれまでと変わりなく再び歩き始める。そういうところに1人の大人の女性としての"揺るぎない自分"を感じると共に、「愛」なんて、なくても何不自由なく生きていけるってことも認識させられる。かといって愛情を求める気持ちは止む事はなく、差し向けられた「愛」は吟味するエリカ。自分自身の中に灯り続けている火種を消す事も、炎にすることもできず、そこだけを見るとくすぶり続けているように思える....。

地位や名誉より、本当の愛情を手に入れる事の方がよっぽど難しいということだろうか。
結局「愛」という課題の解答を見つける事はできず、またいつもの自分自身に戻っていくが、仕事のトラブルも、日常の孤独も、愛の不毛も同じように噛み砕いて逞しく生きる彼女の姿は清々しく、敗れても美しい。

敗れて無様になったら、もうそれは潮時ということである。

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疲れる毎日

いや〜、疲れた....☆
一昨日は久々のドカ雪。お山の上は想像を絶する積雪で、なんとバスまで運休してしまった。翌日はうってかわって晴天だったものの、道にはまだ雪が残っており、私はその日復旧したバスとタクシーを乗り継いで取材先へ向かった。

取材が終わったらどこかのカフェで原稿をまとめ、夕方からずっと行きたかった岩盤浴へ行こうと思ってノートパソコンを持って出た。取材を無事終えて外へ出たらバスがやってきた。なんとか駆け込み乗車し、後方の席に座った。なんか、こんな風に市バスに乗るのも久々だな〜とか思いながら、車窓から見える街の風景などを楽しみつつバスに揺られていた。

なんてのんびりしてたら、あっという間に降りるバス停が来た。
私は220円を握りしめて、あわててバズを降りた。
「さ〜、これから遅いランチでもるべ〜」なんて思って余裕で歩き出したとたん、

あ〜〜〜〜〜っ、ない!!

斜めがけのバッグとは別にパソコンを入れていた、新潮文庫20冊読んでもらえるヨンダ・パンダのトートバッグが(ま、この際どーでもいいか)、

ない!!!

振り返るや否や追いかけるも、ぶぅ〜〜んと無情に遠ざかるバス。
人ではなく、乗り物の後ろ姿があんなに切なく思えることもそうそうはない。私は新しい上等の傘を持って電車やバスに乗ると、必ずと言っていいほど忘れて来るが(なぜか安物の傘は忘れない)、たまにバスに乗ったりするからだろうか、カンタンに鞄を忘れてくるなんて...

しかし忘れ物はパソコンである。
私の商売道具であり、毎日使っているものであり、いろんなデータも入っている。生命線と言うようなものを忘れてきてしまったという事の重大さにおののいてしまった。すぐに市バスに電話したが、走行中に運転手が車内の忘れ物を確認する事はできない(そらそーだろ)。車庫に戻ってくる時間にもう一度電話するように言われた。

仕方ないので、そのバスが車庫に戻ってくるまで、傍にあったマクドナルドに入って待つ事にした。約20分ジリジリと待ってかけてみたが、まだバスは戻っていない。さらに10分待ってかけたら、

「今調べましたけど、ありませんよ」

という非常な答。
が〜〜〜ん!!!本当にな、ないんですか!?
正直言って、ここは日本、忘れ物をしてもきっと戻って来るとどこかで期待していただけに、かなりのショック!しかしまだ可能性にすがりつく私。

「その次のバスかもしれません!次のバスも見てください!」

とわらをもすがる思いで訴えた。
次のバスは渋滞で送れてますよとのこと。さらに30分ほど待たなければならなくなった。
ジリジリとした気持ちでマクドナルドでコーヒーを飲む私。人間というのはこういう時どこまでもマイナス思考に走りがちで、乗っていたバスの乗客を思い出しては、誰かれなく疑い始める。

私が降りる前に乗ってきた若いギャル三人、きっとあいつらだ...!
「あ、Macだ、ラッキー!」とか言う会話が聞こえてきそうである。
前に座っていたオトコは、いかにもクリエイター風だった。バスが止まったとたん、前の座席の下へ滑り出てきた、パソコンを見て、
「お、なんだこれ? 誰もいない。え?いいの〜、もらって〜」

・・・・・・・ (・・;)

私はコーヒーをひと飲みし、いらぬ妄想を振り払った。
時計を睨みながら、再び電話をしたら、
「ありました、白いバソコンですね? 後のバスにありましたよ」

ほぉぉぉぉぉ・・・・・(^0^)

地下鉄に乗って九条車庫まで取りに行ったら、もうすっかり日が暮れていた。原稿も一文字も書けず、岩盤浴にも行けず、本当に今日は一体何をしていることやら....。なんの生産性もない時間ではあったが、PCが無事戻ってきたシアワセには代えられない。夕暮れの京都駅あたりを歩く足取りは軽く、先ほどのヤな感じの猜疑心も一気に晴れやかであった。

あ〜、ヨカッタ!
あ〜、チカレタ!

P1010006

で、帰りについついいい気分で毛糸を衝動買いしていまい(こーゆーのが最もアブない)、今日は仕事もそこそこに、鬼のようにまた編み物をしてしまった....☆

初めてのオリジナル作品♪

完成したとたん、ぐったり!
昨日から自分はエネルギーの矛先をどーも間違ってるような、そんな感じがする。なんだか意味もなく疲れているワタクシです....。
( ̄¬ ̄*)┛


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衝動買い、肯定派

最近、何を隠そう衝動買いばかりしている。

てゆーか、人生自体が衝動買いのようなワタシにとって(笑)、日頃から計画的に買い物などする術を知るはずもなく、毎日のごはんですら一週間分の献立を考えて食材購入などトーテーできない。

だって毎日食べたいものなんて変わるのに、
最初から一週間分の献立を決めてしまうなんて、人生の楽しみが半減する....。

しかしここんところは寒くて街をウロウロする気にはならない。
当然衝動買いは減るかと思ったら、"衝動買いしたい衝動"は減るどころか、もっぱらお出かけしなくていいネットへ注がれて行った。ネット上をウロウロしてると、誘惑がいっぱいある。仕事先のサイトで商品をチェックしていたら、いつの間にか購入ボタンを押しているし、送られてきたメルマガを見るともなしに見てると、仕事そっちのけで居並ぶショップを一軒一軒チェックしてるし....。

♪〜( ̄ε ̄; 

で、初めて訪れたショップで衝動買いして、もう翌日にはそれが届いてる現実。
そして財布を開けることもなく、無意識のうちにお金だけが減っていく...。
いや〜、恐ろしい世の中です....。
でも百貨店やらショップやらを歩き回っても、そうそう商品を見れるわけではない。お店に入って目についたアイテムを取り上げたりしたら、

「色違いで、こちらもございますよ」

とかなんとか言って寄って来られるとおちおち見てまわることもできないし、大体いろいろ歩き回ると疲れてしまう...。とゆーのでネットでショッピングに味をしめてしまったワタシは、つい先日意外なものもネットで購入してしまった。

アマゾンで本を購入していると(これもかぎ針編みの本を衝動買い)、新たな誘惑に誘われてしまったのだ。最近アマゾンって多角化していて、本やCDだけでなくいろんなものを売っている。そーいえば年末にはパンプスを衝動買いしちゃったな〜。しかしそれはどこでどう飛んでいったのか、アマゾンの域を超えて別サイトまで越境していった。

ワタシを待っていた、新たな罠は絵画だった。

といってもそんなリッパなものではなく、ポスターである。
罠というのは自分のスキにまんまとハマるもので、ずっとリビングの壁にかけるちょうどいい絵が欲しいと思っていたのでついつい引き込まれてしまった。そしたらワタシが好きなゴッホの「アーモンドの木」の絵がいきなり現れたのだ!いいな〜、と思って見始めるともう止まらない....。仕事は完全にアタマから消え去って、クリックし続けること何百枚.....!!

最終的にしぼった、三枚の絵画。
オーギュスト・ロダンの水彩画「カンボジアの踊り子」
ラウル・デュフィの「アイリスとかたくりの花」
そしてマチスの「海獣」

「カンボジアの踊り子」は、部屋にはぴったりだけどちょっと地味かもしれない。ワタシ的にはラウル・デュフィの「アイリスとかたくりの花」が相当気に入っていたが、壁に合うのは縦長の絵。悩んだ末に結局マチスの「海獣」に決め、パネル加工をして注文した。

ふぅ〜・・・・
かれこれ3時間近く画面をにらんでいたので、どっと疲れが押し寄せてきた。「一体アタシは何をしてるんだろう」という罪悪感も感じないでもなかったが、それ以上に早く部屋にマチスの絵を飾ったところを見てみたいというウキウキ感の方が勝っていた。\(^_^)/

衝動買いは無駄遣いの権化のように言われるが、こなれてくると衝動買いがそう悪いものではないと思える。この絵画が満足できるものであるかどうかは手元に届いてからでないとまだわからないが、衝動買いというのは自分を刺激する素晴らしき出会いだと思う。あらかじめ必要なものを買う時の出会いと、なんでもない時に自分の触覚にふれる商品に出会う時との出会いでは、琴線にふれる度合いが違う。必要かどうかは後から考えるとして、ワタシはこの琴線にふれることを純粋に大切にしたいと思うのだ。

若い頃はその衝動が気分によって変わったり、後先見ない衝動でよく失敗もしたものだが、最近はこの衝動を上手に転がすことができるようになったと思う。多少は大人になったせいか、自分のスタイルや好みも安定し、計算や計画性ではなく、自分の感性のままに従うことが、正解だったりすることが多いからだ。結果的に失敗しても、それに食いついた自分のフィーリングを決して否定する気にはならない。

ま、とかなんとか言いながら、結局うんちくを並べて近頃の自分の衝動買いを肯定したいだけなのかもしれないが(笑)...。でも計画的なお買い物を目指すより、衝動買いの成功率アップを目指す、ワタシにはこっちがどうも正しいように思えるのである。


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震撼も束の間

これほど日本中が大騒ぎし、おののいているというのに、

「TVでガンガンやってるの見てたら、なんや食べたくなって」

ニラを握りしめた大阪のおばちゃんが、餃子の皮を求めてスーパーをウロウロしている姿がニュース番組で映し出されていた。しかしなんとひき肉も餃子の皮も売り切れ!なんぼ冷凍餃子が危ないからといって、そないみんな普段から餃子って食べてるんだろうかと思わずにいられない。餃子屋さんも、今は大盛況らしい。恐ろしい毒入り餃子のニュースがあったばかりというのに、敬遠していたのも束の間、今度はやたら餃子に食欲をそそられている私達国民は一体どういう神経なのだろうか....!?

かくいうワタシも食べたくなって、いの一番でひき肉や餃子の皮を買って手作り餃子を食べた。そういえばワタシがスーパーに行った時も、豚のひき肉は売り切れていた...。

大方の人はきっと美味しい思い出しかないのだろう。
毎日「餃子、餃子」とインプットされてると、毒入りというニュースに恐怖をいだくものの、じゅ〜じゅ〜パリパリしたおいしい餃子のイメージがどうしても浮かんでしまうのかもしれない。そして安全な国産の食材と、絶対に疑いようのない自らの手によって100%安心できる餃子を口にしたくなるのだ。丁寧に皮に包んで、慈しむように焼き上げ、いよいよ食卓に登場した餃子をひとくち食べ、

「あ〜、やっぱ手作りは安心だわ!」

と口々につぶやくのである。
そしてここで毒入り餃子という事件を再び思い返す。中国という最果ての、しかもどんな食材をどこの誰かも知らない人がつくって、遥か海を越えてやってくる冷凍餃子の怖さを改めて認識するほどに、噛み締める手作り餃子のおいしさやありがたさを感じ入るのだ。

これってある種他人の不幸をネタに、自分のシアワセを実感する

みたいな、なんか感じ悪いっちゃ〜感じ悪い。しかしこれが一般の人達が抱く正直な心理なのではないだろうか。

と、同時にやっぱ「安い」だけではいかん!
という認識ももっと広がっていくだろうと思う。これだけ自然に恵まれた国に生まれたというのに、食料を輸入ばっかりしてたことがいかに不自然だったか、そんな違和感を覚えた人もたくさんいるだろうと思う。この事件、被害に遭った方には誠にお気の毒だが、私達に与えた教訓は大きい。

ワタシの場合、手作り餃子のレベルアップが当面の課題ではあるが....。


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そんで、今日は
ホタテと大根のスープ。

ショウガを炒めてから
大根、かぶら、ジャガ芋
を入れ、昆布だしと
中華スープの素を加えて煮込む
最後にホタテの缶詰を汁ごと投入
牛乳を入れて塩こしょうで味付け
今夜もストーブの上でできました!


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恋愛できない理由

「あなた、毎日が充実してるでしょう? そういう人にオトコはできないのよ」

Yさんは年上の女性からそう言われたらしい。
確かに仕事に趣味にと忙しく、旅行にもよく出掛ける行動派だし友達だって多い。それにどう見ても5歳は若く見える若々しい容姿に、きれいなお肌。本当に美しく生き生きとしている彼女だけど、毎日そうやって楽しくやっているからといってそれが恋愛できない理由になるのだろうか....?
ワタシはその先輩の意見には甚だ疑問である。

だったら恋愛というのは人生に充実していない人同士がくっつくものなのだろうか?
何か欠けてるオンナにしかオトコは寄ってこないのだろうか?
昔何かの本には男も女も、互いに欠けているものがあるから永遠に求め続けるのだと書かれてあった。その言い分はロマンちっくな方向性としてアリとしても、実際この世には男と女しかいないし(ま、概ね一応どっちかに所属してるじゃん)、欠点のない人なんていないのだから、みんなその対象ではあるはず。

じゃ、毎日楽しくやってる人に彼氏ができないというのは、スキがないということだろうか。今日は○○ちゃんとご飯食べ、明日は試写会。明後日からローマへひとり旅♪な〜んあて毎日楽しくやってたら、恋愛するヒマなどないかもしれない。じゃ、ヒマだったら彼氏できんの?というとそんなことは全然ないと思う。確かに忙しいと物理的に時間がなくて、それどころじゃないのはあると思う。でも時間がある人の方が断然有利だったら、今頃老若男女、暇人の数だけ恋愛パラダイスってことになっているはず。そんな暇人恋愛モードもなんかまった〜りしすぎで世の中の秩序が乱れそうである...。

スキというのはきっとそういうことではない。

ワタシは学生の頃、街を歩いていて
「アナタ、便秘してますね!?」といきなり知らない女性から声をかけられたことがある。
ワタシもワタシで、「え〜、なんでわかるんですか!?」と、
本当に便秘していたもので、思わず食いついたことがある。
今でこそ誰もひっかからないキャッチセールスに、当時のウブなワタシはまんまとひっかかって20万ぐらいするようなマンナンライフを買わされた苦〜い経験があるのだ...何を隠そう(笑)。

つまり、スキとはこういうことを言うのだろう。

誰彼なしに声をかけているのに、ふと自分の心のスキに入り込んで来るキャッチセールスの罠。
あまりにもわかりやすい例なので、「スキのある人=愚か者」というイメージに短絡的に陥りそうだが(笑)、要するに付け入られる余地、つまりゆるぎない自分ではなく、ゆるぎある自分の部分のことだと思う。弱さなのか、未熟さなのか、迷いなのか、そういうちょっと不安定なところがスキになって表れるのだろう。

いずれにしても先輩の理屈だと、恋愛しようと思えば、
何か満たされずに、心にスキをつくっておくことになる。

なんかそれって、随分悲観的な発想という気がする。
宇野千代だって、瀬戸内寂聴だって、毎日エネルギッシュにガンガン働いて地位も名誉も得ながら、大いに恋をした女性達である。多少は満たされていない部分もあったかもしれないし、マンナンライフを買わされるまではいかなくとも(自虐)、あーゆー人達だって意外とスキはあったと思う。けれども彼女らはそんな欠けている部分を補って欲しいがための受動的な姿勢ではなく、自ら、能動的な姿勢で恋愛に挑んでいた。

きっとそれが彼女達には必要だったからだ。
恋愛が水や空気のように自分の命をささえるエネルギー源だったから、だから恋に身を費やしていたのだと思う。そして恋を燃焼させては新たな作品を生み、男に振り回されては自らのエネルギーを昇華し、再び生きる糧に変えていったのだろう。つまりそれくらい自分に命を吹き込む存在が、恋であり愛情であったのだ。

あれ?ってことは
恋愛しなくとも毎日十分楽しく生きられる人には、やっぱ彼氏は必要ないか!
こんだけ考え尽くして、結局年上の女性のコトバは正しかったという結論に達しました....。

Yさんには、いや〜当分オトコはできないかもね〜(笑)
こらまた失礼しました〜^^


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侮れない!

侮ってはいけない!

それは今年の風邪.....
あ、かかったかな?と思った時点で薬を飲んで、お酒も控えめ、おとなしく過ごしていると、ほとんど症状はなくなり、よっしゃ〜!!っと密かに思っていたワタシ。

折から東京よりY隊長がご来京。
しっかり飲んで、しっかり遊ぶ予定が予想外な展開に.....!

最近リニューアルしたおばんざいの「めなみ」でちょいとひっかけて、お山のウチへ。ワインを二人で1本半ほど開けただけなのに、次の日えらいしんどい。不覚にも吐いてしまった。

え〜!?こんなにアタシってお酒弱かったっけ....

ま、二日酔いだったら、吐いたらラクになるし、時間が経てば元気になるやろ。
という甘い考えを粉砕したのは、後から後からやってくるつきあげるような嘔吐。終いには胃液も搾り出すほどによじれる胃腸。もう上から下から、これ以上出んというくらい出しまくった。これは二日酔いの域ではない!もうすっかり治ったと思っていたのに、

風邪菌大暴れ!!

出すもん出したら、押し寄せてくる悪寒と咳。治ったという勝手な思い込みをあざ笑うかのように、ワタシの身体の中でをガンガン暴れだしているではないか!

「だいじょうぶ〜?ゆっくり休んで〜」

というYさんをヘロヘロになりながら見送って、結局彼女は気の毒に小雪の降る中、1人で荷物を引きずってバスでお山を下りていった。せっかく一緒に京都巡りをしようと思ったのに....なんでこんな時にこんな事態になるのか、情けない自分を呪いつつ、それでもとても起き上がって歩けるような状態ではなく、その日はほとんど床に臥せっていた始末。

まだくしゃみと咳、下痢が治らない。
いつまで居座るつもりなのか、この風邪菌。クライアントの人も友達も言ってたけど、かなりしつこいゾ、今年の風邪は!今日も雪が降って、えらくさむ〜い!この寒さが続く限り、油断はできない!侮れないのは自分の体力か、はたまたトシか...。見かけによらず弱いカラダ、今年こそなんとかせねば!そんな思いだけが募るのでした...。


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