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演歌の生まれない時代

夕方岩盤浴へ行こうと家を出たら、えらい道が混んでいる。
年末に近づき工事でもやってるのかと思ったら、まったく進まない。ズラ〜ッと並ぶテールランプ。お山の道が混むなんて年に一度の花火の時ぐらい。何事かと思っていたら、あっそうだ、思い出した!!

天皇陛下が来たのだ。

事前にこの辺りの道が規制されることが回覧板で回ってきていた。ただならぬ混みようは、エンペラー一行の遠征だったのだ。どーして混んでるのか、理由がわからないとイライラするが、理由がわかると気持ちは随分落ち着いてくる。祭だの、マラソンだの、御所に来る要人だの、京都人は割に交通規制には慣れている。

天皇陛下だもん、しゃーないか.....

それでも10分で行けるところを、50分もかかってしまい、パン屋にも、ワイン屋にも寄れなくなってしまった。プライベートの時間だったので別段あせらずにゆっくり行けたが、山道では携帯電話も圏外だしこれが仕事だったらと想像すると.....(汗)。そういえば、近頃は「待つ」ことが不慣れになってきたように思う。

それはもちろん携帯のおかげだ。

携帯があれば大抵連絡がとれるし、遅れる場合も目的地へ向かいながら連絡ができる。事前に待たされることがわかっていれば、その時間を別のことにあてられるるし、どういう事情で遅れるかもインフォームされるので気持ち的にもイライラしにくい。

しかし携帯のない時代はこうはいかなかった。
「どうしたんだろう....?待ち合わせ場所を間違えたのかな? 事故でもあったのかな?」といろんな可能性を考え、待っている間のストレスはかなりのものがある。街角で不安げに佇む人もよく見かけたし、駅には伝言板なんかもあったな〜。

ミサコ、9時まで待った、先いく

なんて黒板に書かれたちょっと乱れた文字に、心もとない気持ちがにじみ出ていたりしていた。今から思うと微笑ましいな〜待ち合わせして、訳もわからず待たされることは結構あったように思うし、連絡がとれずに電車の中を走る勢いでかけつけることもあった。今思うと、携帯がないってコワいよね〜 携帯電話のおかげでピンポイントで連絡がつくので大抵の行動が互いにアンダーコントロールされる。特に恋人同士のコミュニケーションは携帯のおかげで躍進した。

その代り、物語は生まれなくなった。
ミサコを9時まで待った彼氏は、その間どんな気持ちであったのだろうか。そしてどんな決心を抱いて"先へ行った"のだろうか。遅れてやってきたミサコはその伝言板を見てどんな表情を浮かべたのだろうか。二人にはそのどんな後ストーリーが展開されたのか。アンダーコントロールされないからこそ予測がつかない展開が生まれ、情緒をかきたて、一人ひとりの物語が紡ぎだされる。

例えば、心をゆさぶるような演歌の歌詞は生まれにくい時代になっているのではないかと推測される。連絡もつかずバーのカウンターでただひたすら待っているオンナや、待たせていることを知りつつ旅立つオトコなど、携帯で連絡がつくような合理的な世界に演歌の歌心は生まれない。そんな世界で携帯なんていうのは無粋な存在以外の何者でもない。

便利だけど無粋な携帯。

演歌の歌詞は新たな方向性を目指しているのかどうかは知らないが、しかし携帯がなければ現代人の大混乱する姿は容易に想像がつく。肌身はなせない存在となった携帯電話。ただたまには携帯電話をオフにする一日をつくってみるのも必要な気がする.....。


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