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紅葉、三連休、晴れ

いや〜、三連休、京都はすごい人でした・・・。
11月の三連休と言えば、毎年紅葉の盛りで、ただでさえ最も観光客が多い時期。今年はこんな時分になっても紅葉は五分というところだったが、お天気が良かったせいもあって

全国各地から集まる、人、人、人。
道路にあふれかえる車、車、車。

秋分の日、夕方金閣寺の前を通ったら、バス停の前はまるで引き揚げ列車を待つような(そんなもん見たことないが)、ものすごい人。1台や2台ではもちろん乗り切れなかっただろう・・・。帰路につくには大変な時間がかかったのではないかと思う。

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ワタシは兄夫婦やら横浜から遊びに来ていたお友達と連日飲み歩いていたのだが、一応観光のふりもしておこうと思い、紅葉の名所「永観堂」を訪れてみた。お寺の門が遠くに見えてきただけで、げんなり・・・・。人の密度で、総門の奥の様子もよく見えない。おそるおそる近づいてみると、境内は満員電車のような混雑ぶり。携帯やデジカメで写真を撮る人や、団体さんで歩く人、そこへなんと観光バスまで入ってくるという傍若無人ぶり。拝観料を払う窓口の前は既に長蛇の列になっている・・・。

なんかあまりの人の多さにバカらしくなって、そそくさと出てきてしまった・・・。

初めて日本にやってきた上野動物園のパンダを見にいくわけではない。あんな人があふれかえる中で、紅葉の鑑賞なんて愉しめるんだろうか・・・。てゆーか、ホントに愉しいんだろうか!?単に紅くなった葉を見るだけではない。その風情や情緒も愉しむものだろうと思うが、あれではパンダと同じだと思う・・・。

だいたい、日本人って昔からこんなに紅葉を見に行く習慣のある民族だっただろうか・・・。なんだか今って、春はお花見、秋は紅葉見に行くのに躍起になりすぎているような気がする。TVや雑誌でも、早春から桜の見頃が毎日毎日取り沙汰され、どこの雑誌もお花見特集や紅葉特集を組む。

やっぱ、乗せられてるんだよね〜、ニッポン人。

ってことで私達は即座にきびすを返し、お料理の飾り付けで出てきた紅葉で季節を感じ、美味いお酒で秋の夜長を愉しく過ごした。ま、それは混んでいようがいまいが、予定通りやることなのだが・・・(笑)。そういえば、食事をするところもはるばるやってきたと思われる観光客やらで目立っており、混みあっていた。

昼も、夜も、やっぱり京都の秋は侮れない・・・。

こんな時期は、ホントは家でゆっくりするのが一番賢いのかも知れない。出れば渋滞、人混みにもまれてストレスを感じるくらいなら、近所の小さな神社で銀杏拾いや落ち葉拾いでもする方が心豊かである。

紅葉、三連休、晴れ

とりあえずこのキーワード、来年も要注意である・・・。

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夜の新風館は、
クリスマスムードでいっぱい!
ギターの音色に合わせて聞こえてきたのは本格的エスパニョールの歌声。
何が始まるのかと思ったら、
舞台の上でフラメンコを踊っていたのは
素人の女性達だった。
・・・・・。
見なかったことにして、本物の
エスパニョールを愉しみにレストランへ向かったv(^-^)v

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「音」としての日本語

かねてから、英語というのは「音」で発する言語、日本語はコトバを発する言語だな〜と思っていた。
例えば、英語でしょっちゅう使う「Hi」というコトバは、コトバをしゃべるというよりも「Hi」という音を発してコミュニケーションのキッカケを自然にもたらすような気軽さがある。「こんにちは」はコトバを発しているが、「Hi」は音を発しているだけで済むという感じ。日本語というのは「音」ではなく、「言葉」なのだ。「excuse me」というコトバは「音」なのでやすやすと口から出てくるが、「すみません」というコトバはワードそのものなので出て来にくい。だから街中や電車の中でぶつかっても、「すみません」が言えない人が多かったり、「おはようございます」のひと言が出にくかったりするのではないか、と密かに思っていた・・・。

ところが昨日ファミレスで、日本語を「音」のように発している人がいた。
食事が済んでコーヒーを飲みながらぼんやりしていると、ちょうどレジの裏側に座っていた私の席からは、支払いに来るお客の姿がよく見えた。その人はレジに近づいてくるところから、

「ありがと〜」

と、知り合いに話しかけるようにフレンドリーに発していた。「すいません」でもなく、黙ってでもなく、「ありがと〜」でコミュニケーションを始めるところに、まず好感が持てた。半身しか見えなかったのだが、日に焼けた顔といい、ラフな服装といい、明らかにガテン系男性と思われる。連れの男性に恐縮されながらも奢ってあげた様子で、潔く二人分を払って再びレジ係に、

「ありがと〜」と発してドアを押して出て行った。とびの人がはくようなニッカーポッカー風ボトムを履いた二人の後ろ姿が見えた。その「ありがと〜」はとてもフレンドリーで、まるで英語の「Thanks」ぐらいカジュアルな「音」だった。ま、正確には

「あぃやと〜」かな。

日本語もコトバではなく、音として使える言語なのだな〜とその時思った。言語の性質ではなく、話す側の姿勢や気負いのなさによって、コトバというのは装いを変えるのかもしれない。イケ面オトコのビジュアル的爽やか感というのは甚だ真実味に欠けるが、こういう"爽やか感"というのはなんだか印象に残った・・・。

「ありがとう」
「こんにちは」
「すみません」

ガテン系のお兄ちゃんみたいに、「音」のように自然に発せられたら・・・。それだけでコミュニケーションの浸透圧というのは随分変わってくる気がする。仕事の移動中にふと立ち寄ったファミレスでのひとコマ。どーでもいいことかもしれないが、どーでもいいことにしたくないような、そんな出来事だった。

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想定外ウィーク

いよいよ寒くなってきた。
昨日の朝は特に冷え込んで、お山の上の方はなんとすっかり雪化粧。粉砂糖がふりかかったクリスマスケーキのようになっていた。今まで暖かかっただけに、イキナリの攻撃にあわててコートを引っ張り出した人はきっと多いと思う。なんだか予測のつかない季節である。

予測がつかないといえばこのところのスケジュール。
得意先から期限を過ぎても原稿の素材が届かず、仕事の段取りが大きく狂ってしまったり、逆にまだ先でもいい素材が思わぬ早く届いてまたそれで段取りが狂ったり・・・。またなんら問題ない原稿修正のやりとりを他のスタッフがトチりまくり、度々遅くまで余計な仕事をさせられたり・・・。

かと思うと週末美容院に行く前に、ぶらっと寄ったショッピングセンター、買い物を終えて駐車場に戻ってくると車が数珠繋ぎ。なんと出るのに1時間以上かかってしまい、予約はあえなくおじゃんに・・・(* ̄o ̄)

さらに万難を排して週末横浜から遊びにくる友達とのスケジュールを組んでいたら、イキナリ今週になって兄夫婦が泊まりに来ると言い出し、またもやスケジュールが狂わされた上、飲み会4連チャンへなだれ込みそうである・・・。( ̄− ̄;)

は〜〜〜〜〜〜・・・・

もう肩コリコリ・・・。
な〜んか、物事が上手く運ばない時って、何やっても上手くいかないんだよね〜
そういう時ってある・・・。

逆に言うと物事というのはいつも予定通り進むもの、という風に思いこみすぎているのかもしれない。想定外のことが再三ふりかってスケジュールが狂わされていることが重なると、ふと「人生予定通りってことばっかりじゃないゼ」という神様からの警告が与えられてるような気もする・・・。イライラしている我が身を振り返って、傲慢になりかけている自分を戒めようとしているのかも・・・!? (そう思うようにしている) こういう時は、狂ったスケジュールに素直に乗ってみることが大切なのだろう・・・。

でも段取りが狂って、逆に思わぬ良い方に進むことだってある。

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これもそのひとつ。
寒い夜にいただく、今流行りのカレー鍋。最後にうどんを入れて食べるつもりが、冷凍庫を開けると買い置きの冷凍うどんがなくなっていた。

が〜〜〜ん!!

しかしすぐに気持ちを切替え、ごはんを投入してみた。セロリの葉の千切りと最後にshredタイプのとろけるチーズをかけてフタをする。するとこれが、

激ウマ!! \(●^▽^●)/ 

和風出汁に具材の味わいもしみ出て、カレーのスパイシーな味わいと溶け合いながら、口の中で麗しい関係を作り上げる。そこへもって「カレー味+とろけるチーズ」の絶妙な取り合わせ。う〜ん・・・これはハッキリ言って売れる味やで!キャッチコピー的には

あなたの心のスキマにスィッチオン! 「カレー雑炊」

ちょっと臭いけど、臭いぐらいがええのんちゃう!?
思わぬ収穫に、イライラしていた気持ちも癒された・・・。ふふふ・・ワタシの人生など、せいぜいこんなもんなんだろうと思う・・・(笑)    
v(●^_^●)v

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死の本

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2冊の本はまったくアプローチの違う本だが、共通のテーマは「死」である。

仕事でなければきっと読んでいないであろう、寄藤文平さんの「死にカタログ」(笑)。
そのタイトル通り、彼がさまざまな角度から「死」について考え、自分なりに結論を出すまでのいろんな引き出しをあのユニークなイラスト入りで巧みに紹介される。民族や宗教などによって違う「死」の捉え方の他、死に方、死に場所、死のタイミングなどの統計的なデータから、歴史上の人物の死へ至るまでのストーリーだとか、とにかく「死」という壮大なテーマをいろんな切り口から考えてみるチャレンジがエライと思った。しかも決して深刻でなく、それでいてふざけているわけでもなく、難しいテーマをイラストという表現手段を使って興味深く広げている。

「死」というと、仏教の影響がある日本人などは死ぬと霊として成仏する、輪廻転生でまた別の生命体に生まれ変わるようになんとなく捉えられているが、それはあくまでの日本人の捉えられ方であって、世界には実にいろんな死の捉え方があるのが面白い。例えばパプアニューギニアの人達は、こちらの島で死んだら向こうの島で赤ちゃんとして生まれ変わると信じられていたり、ジプシーなんかは死んだら、その存在がそもそもなかったものと捉えられるのだそう。

「死」って誰も経験したことがないから(経験してたらこの世にいないわけで)、結局イメージの産物なのだ。デザインや広告というイメージを扱う仕事に携わっている以上、このテーマに挑まなければならないと寄藤氏は思っていたそうだ。「死」のカタログというよりは、「死」をテーマにした寄藤文平氏の表現力のカタログという気もする。

「永遠のとなり」は小説だが、「死」がたくさん登場する。
同僚の死、親の死、死のうとした人、死に脅かされている人などなど、身近にある「死」が人生に与えるさまざまな影響が丹念に描かれる。「死にカタログ」でも「死」というのは結局どう生きるかにつながることが結論づけられているが、まさにこの本でも死にふれることで、人間というのは強烈に「生」を認識するのだということがわかる。

ひと言で言うと、主人公と親友のあっちゃんとのやさしい友情物語なのだが、友情という言葉を使ってしまったら根も葉もないという感じ。二人とももう50近い年齢だし、いろんな挫折や病気と闘いながら故郷へ戻って生きているのだが、友情というよりはもっと生々しい人間同士の絆やつきあいが展開される。

あっちゃんという人が不思議な人なのだ。
母1人子1人の貧乏な生い立ちだが、頭脳明晰で東京の大学を卒業後銀行に勤めた後、コンサルとして独立。多くの経営者を助けたお陰で、故郷へ帰ってきた今でも彼らの恩恵で安泰な文房具屋を営んでいる。四度も結婚していて、さらに現在は家を出てまた別の女性と同棲中。かと思えば信心深く、年寄りの友達が多くて面倒見が良い。10年ほど前にガンに冒されたのだが、助かって死の恐怖と共に生きている。最後の設定はわかるが、なかなかこんな人も珍しい。作者はあっちゃんのキャラクターを通して何を伝えたかったのか・・・。

就職後すぐに亡くしてしまうのだが、母親思いでやさしい。母親だけでなく誰にでもやさしいからお年寄りの面倒をみたり、相談に乗っているうちに女性と同棲までしてしまう・・・。でも本当は内には激しさを秘めていて、世の中の不公平さや無情さに対して怒りを覚えている。一方主人公のせいちゃんは、会社の吸収合併、部下の自殺などが原因で鬱に陥り、離婚し、都落ちして今は故郷の福岡で病気と向かい合いながら細々と生きている。

あっちゃんの人生はいろんな意味で濃厚であり、内に秘めた激しさを力に変えて生き抜いてきたという感じがする。主体的だが、そのやさしさ故に開かれた人生という気がする。死の恐怖から逃れるために、誰かに心を寄せていくのか、死の恐怖というものが自分を何かから解き放つのか。死に向き合うことで生きることや、人が幸せになることへの渇望が感じられる。でもせいちゃんの方はなんとなく生きてきた結果、気がついたらいろんな不幸が押し寄せてきたという受け身な人生で、人間というものの弱さも痛感する。

ガン再発の恐怖に脅かされているあっちゃん、一生つき合って行かなければならない心の病と闘うせいちゃん。それでも一日一日生きていかなければならない人間というのは、哀しい宿命を背負った生き物なのだなぁと思う。でもそのやるせなさが人に温もりを与え、死を意識するからこそ生への執着がある。そして永遠とも思える一瞬があるから、限られた人生に立ち向かっていけるのかもしれない。白石一文氏が一貫して探求するテーマ「生きるとは何か」がこの本でも、あっちゃんやせいちゃんを通してさまざまに語られていく。

「死」や「生きること」という重いテーマ。そういう根源的なテーマを考えずに生きていける人生もあると思う。でも「死」ということや「なぜ人は生きるのか」というものを考えてこそ、生きた証があるのかもしれない。「死にカタログ」もそうだが、「死」というものを自分なりに考えてみてこそ生きることの意味や自分のスタンスもわかる。少なくとも自分の意志ではなくこの世に生まれ、「死」に向かって進んでいることは間違いない。自分の人生とはつくづく限りある時間なのだ。

この本の舞台は福岡市だが、生活拠点としてイオン香椎浜ショッピングセンターがしょっちゅう登場する。こういうオトコ二人の物語にあまりイメージしにくいし、ムードもなくて生活感がありすぎる。でもその違和感が狙いだったのかなぁと逆に思ったりもする。オフィスや飲み屋や、家庭といった場所ではなく、近代的な大型ショッピングセンターで待ち合わせたり、買い物をしたりするいい歳した男。現代社会に呑み込まれている男二人というか、羽をもがれた鳥というか、なんとなく物悲しい気がする。また都市の象徴、暮らしの拠点となるショッピングセンターに集まるたくさんの人達。個々の人生なんて一見埋没しているが、一人ひとりの人間にはそれぞれの確かな人生があるのだということも想像させられる。

だけどこの話は、男同士だから成り立つ物語なのだろうなぁと思う。女同士の友情ではこういう繊細さやるせなさは生まれない。
男というのはつくづく「Fragile」な生き物である。ヽ(`⌒´)ノ

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鍋の季節

鍋の季節である。
ネットで仕事の資料を探している時、TV-CMでムーディー勝山が歌う、みん鍋ソング「おなべのうた」が6番まであることを発見し、ミツカンのホームページへとんだ(*^^*)。仕事柄、6番までの歌詞がどのような苦労の末に生まれたのか、ちょっと胃がしめつけられつつも、動画でたっぷり楽しんだ(笑)。

鍋といえば、人数があってこそできるメニュー

そう思っていたのは昔のことで、今は「ひとり鍋」というのが定番になっている。ここ数年でコンビニやデパ地下などではハズせない人気商品となり、需要は拡大している。

ひとり鍋

と聞くと、なんかもの哀しいイメージを抱いていたのも昔の話。簡単で野菜もたっぷり摂れる「ひとり鍋」を、単身者が夕食に食べるのはありとしても、なんと家族であっても「ひとり鍋」なのだそうだ。核家族化し、おまけに仕事やら塾やらで、みんな食事時間がバラバラなのでそれぞれで「ひとり鍋」をするのが都合が良いのだそう。石狩鍋、しゃぶしゃぶ、ちゃんこ鍋と、デパ地下で好きな鍋をそれぞれの子供達に買って帰るお母さんもいるという。

人が囲まない鍋って・・・
それってもう鍋料理の醍醐味は失われている。

そもそも日本人ほど鍋料理が好きな民族も他にはあるまい。
中国にも火鍋、タイにはタイすき、スイスにはチーズフォンデュがあるが、「冬は鍋やろ〜!」っていう日本人ほど染みこんでいない。中華ではやっぱり料理を取り分けて、ワイワイがやがやがが基本だし、欧米でも大皿盛でそれぞれがお皿を回して料理を取って、食卓を囲む。ひとつの鍋をつつきあうというMethodがここまで浸透しているのは、やはり日本だけという気がする。

鍋料理は簡単だし、おいしいし、あったまるし、もっと世界的に普及してもおかしくないと思うのだが、ヨーロッパのブイヤベースにしても、ロシアのポトフにしても、鍋ごと食卓に置いて分け合うだけで、直火にかけながら鍋をつつくという行為にはつながらない。

日本人はなぜこれほどまでに鍋が好きなのか・・・!?

日本人の鍋好きは、銭湯の習慣とどうもつながるような気がしてならない。
親睦会なんかで「魚すき」なんていうのはよくあること。知らない人同士でもひとつの鍋をつっつくという行為は、知らない者同士が裸でお風呂につかる習慣ととても似通ってると思うのだ。

日本人は口べたで、恥ずかしがり屋。

だからこそ、いっそのことお風呂で裸になったり、1つの鍋をみんなでつつきあうことで親しくなれるキッカケをつくりたかったのかもしれない。恥ずかしがり屋のくせに、やけに大胆な行為を介在させることが逆に安心だったりする。つまりコミュニケーション術として、そういうシチュエーションや演出が必要だったのではないだろうか。そりゃぁ、スーツ姿で向かい合うより、裸でお風呂に浸かっている方が随分親しい間柄になれるだろうし、銘々のお膳でかしこまってご飯を食べてるより、ひとつ鍋で

「あ、それ私のお肉ですから」
「○○さんは早すぎ、左手で食べてください!」

とか言ってる方が随分とコミュニケーションは図れると思うのだ。
そう思うとお風呂でも、食事でも、それはいつもコミュニケーションの場だったのだと思う。
ひとりで鍋つっつく夜があってもいいと思うが、みんなで鍋を囲む醍醐味は忘れたくない・・・。

ほんじゃま〜
そろそろ特製ちゃんこ鍋でも囲むか〜!♪\(^ワ^)ノ 


ちなみにムーディー勝山のおなべのうたはコチラから↓↓
http://www.mizkan.co.jp/nabe/pro/cm/popup04.html


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演歌の生まれない時代

夕方岩盤浴へ行こうと家を出たら、えらい道が混んでいる。
年末に近づき工事でもやってるのかと思ったら、まったく進まない。ズラ〜ッと並ぶテールランプ。お山の道が混むなんて年に一度の花火の時ぐらい。何事かと思っていたら、あっそうだ、思い出した!!

天皇陛下が来たのだ。

事前にこの辺りの道が規制されることが回覧板で回ってきていた。ただならぬ混みようは、エンペラー一行の遠征だったのだ。どーして混んでるのか、理由がわからないとイライラするが、理由がわかると気持ちは随分落ち着いてくる。祭だの、マラソンだの、御所に来る要人だの、京都人は割に交通規制には慣れている。

天皇陛下だもん、しゃーないか.....

それでも10分で行けるところを、50分もかかってしまい、パン屋にも、ワイン屋にも寄れなくなってしまった。プライベートの時間だったので別段あせらずにゆっくり行けたが、山道では携帯電話も圏外だしこれが仕事だったらと想像すると.....(汗)。そういえば、近頃は「待つ」ことが不慣れになってきたように思う。

それはもちろん携帯のおかげだ。

携帯があれば大抵連絡がとれるし、遅れる場合も目的地へ向かいながら連絡ができる。事前に待たされることがわかっていれば、その時間を別のことにあてられるるし、どういう事情で遅れるかもインフォームされるので気持ち的にもイライラしにくい。

しかし携帯のない時代はこうはいかなかった。
「どうしたんだろう....?待ち合わせ場所を間違えたのかな? 事故でもあったのかな?」といろんな可能性を考え、待っている間のストレスはかなりのものがある。街角で不安げに佇む人もよく見かけたし、駅には伝言板なんかもあったな〜。

ミサコ、9時まで待った、先いく

なんて黒板に書かれたちょっと乱れた文字に、心もとない気持ちがにじみ出ていたりしていた。今から思うと微笑ましいな〜待ち合わせして、訳もわからず待たされることは結構あったように思うし、連絡がとれずに電車の中を走る勢いでかけつけることもあった。今思うと、携帯がないってコワいよね〜 携帯電話のおかげでピンポイントで連絡がつくので大抵の行動が互いにアンダーコントロールされる。特に恋人同士のコミュニケーションは携帯のおかげで躍進した。

その代り、物語は生まれなくなった。
ミサコを9時まで待った彼氏は、その間どんな気持ちであったのだろうか。そしてどんな決心を抱いて"先へ行った"のだろうか。遅れてやってきたミサコはその伝言板を見てどんな表情を浮かべたのだろうか。二人にはそのどんな後ストーリーが展開されたのか。アンダーコントロールされないからこそ予測がつかない展開が生まれ、情緒をかきたて、一人ひとりの物語が紡ぎだされる。

例えば、心をゆさぶるような演歌の歌詞は生まれにくい時代になっているのではないかと推測される。連絡もつかずバーのカウンターでただひたすら待っているオンナや、待たせていることを知りつつ旅立つオトコなど、携帯で連絡がつくような合理的な世界に演歌の歌心は生まれない。そんな世界で携帯なんていうのは無粋な存在以外の何者でもない。

便利だけど無粋な携帯。

演歌の歌詞は新たな方向性を目指しているのかどうかは知らないが、しかし携帯がなければ現代人の大混乱する姿は容易に想像がつく。肌身はなせない存在となった携帯電話。ただたまには携帯電話をオフにする一日をつくってみるのも必要な気がする.....。


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夜景三連発☆

仕事で京都の夜景スポットを撮り歩いている・・・。
一眼レフ初心者のくせにやることが大胆。しかし今ってカメラの性能がグンバツに良いので、初心者やろうが、写真ゴコロのない人であろうがある程度のものは撮れる。カメラマンという職業は、ますます危機感が募る今日この頃ではないだろうか・・・。

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京都の夜景といえば、将軍塚(笑)というのはもう古い。
きれいな夜景を見ようと思えば、城陽のまた向こう、
井手町にまでやってきました・・・。
万灯呂山(まんどろやま)展望台というところ。
うっそうとした山道のをぬけると、
てっぺんにこんなきれいな夜景が広がっている。
結構気持ちよい展望台で人気も少ない。

バチバチ撮影していると若いカップルがやってきて、
なんか気まずくなってしまった・・・。
「あの人早く帰らないかしら」ビームが
痛いほど伝わってきたんだもん
ヾ(* ̄o ̄)…"( ̄¬ ̄*)┛

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もちろん琵琶湖の夜景もはずせない。
比叡山ドライブウェイという手もあるが、
それはちょっとありきたりなのと
通行料が高い!
っという点がちょっとムカつくので
対岸の守山から眺める景色がおすすめ。
それにこの辺り(ロイヤルオークホテルの前あたり)は、
ずーっと遊歩道になっていて湖岸を散歩しても、
湖岸沿いにあるおしゃれなお店で
食事したりお茶飲んだりするのもGoo★
琵琶湖まわりで唯一アカぬけてるエリアです。

ちょっと大人なデートにいいかも・・・(*^^*)

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一番びっくりしたのが、ココ。
八幡市の橋本というところにある
最近できたあらかし公園というところなのだが、
住宅街のど真ん中にこんな見晴らしのいい展望台がある。
私は隣の町樟葉に住んでいたことがあるので、
この辺りの変わりようにはビックリ!!
橋本はかつての遊郭。
樟葉に比べると、開発の波に乗り損ねたって感じの
うらぶれた街だったのに、
今や美しい住宅街に様変わりしている・・・。
男山から樟葉、橋本辺りが一望でき、
遙か名神高速のオレンジ色の灯りまで見える
パノラミックな夜景はなかなかである。


以上、夜景三連発でした・・・!!

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ある日曜の朝

日曜の朝、久しぶりに幼なじみの友達から電話があった。
この人はいつもいきなり連絡してきてはいつも私をあっちゃこっちゃへと巻き込むのだが、この日も突然朝から電話してきてその日2時から京都で行われるバイオリンのコンサートに行こうという。

え〜〜〜!?

イキナリとは思ったものの、私でも知っている有名なバイオリニスト。
その日は遅れている仕事の連絡を待っているところだったのだが、バイオリンのコンサートと聞いてもう行く気満万になっていた私は

「ほなちょっとだけいこか〜」

と、仕事は後でなんとかするモードになっており、電話を切ってから何を着ていこうかなどと、クローゼットを開けていたら再びその友達から電話。

ごめん、それが行けなくなった....

なんじゃ、それ!
若くして世界的なコンクールで優勝した、美人で有名なそのバイオリニスト。そもそもはバイオリニストのダンナとその友達のダンナがお友達同士で、夫の好意で友達をコンサートによんでくれたらしい。が、突如バイオリニストである妻がNOサインを出した模様....。今度会った時に詳しく話すといって、その時友達はハッキリと理由は語らなかったが、誘っておいて、今更ダメというこの経緯。大人の感覚から言うとちょっと非常識....。夫が調子こいて軽率に誘っただけなのか、妻のワガママなのか。だいたいコンサートの間際になってダメだしすること事態、

きっとこのバイオリニスト夫婦はうまくいっていないに違いない...!!

と私には思えた。
だって明らかなコミュニケーション不足である。ついでにいうと、このチケット騒動を通して妻の意識と夫の意識にもズレが感じられる。しかしそれは彼/彼女らの問題で私らにはなんも関係ない。ものすごく行きたかったわけではなく、今まで何ら接点もなかった美人バイオリニストではあるが、美しいお顔もなんだかとてもイケズな人に思えてきた。今まで全然知らない人だったのに、不用意な感情をわき上がらせる結果となった日曜の出来事。

友達は恐縮していたが、今度会ったら事の真相を詳しく聞いてみたいと思う...。

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鮭のクリームパスタ

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米人気番組HEROSを6話か7話連続で一挙に観ていたら、もう7時。
晩ゴハンは簡単にできる鮭のクリームパスタとなった。北海道旅行で仕入れた秋鮭が冷凍してあったので、シメジとあえてササッと作った。

鮭+クリーム

と、いえば私が初めて料理に目覚めた頃を思い出す。あれは確か小学校4,5年生の頃、仲良しの友達が子供向け料理本を持っていて、クリスマスパーティーということでその本に載っていた「鮭のピラフ」を友達と一緒に作ることになった。その時は鮭ではなくてお友達のお母さんに、シーチキンをあてがわれたと思う。初めてコンソメスープでご飯を炊き、初めてホワイトソースを作り、初めてレシピを観ながら料理をした。

それまでにもインスタントラーメンを作るとか、お母さんのお手伝いをするとかはあったが、自分がで初めて挑戦する本格的料理であった。しかしまあ、初めて自分で作った料理の美味しかったこと・・・。料理をすることの楽しさ、自分で作ることの美味しさ。あの時私は初めて料理に目覚めたと思う。

その後、図書館で借りては盛んに読みふけっていた「やかまし村のこどもたち」に出てくるジンジャークッキーとか、パンケーキとかに憧れてお菓子作りに移行。しかし分量や行程を正確に守らないと成功しないお菓子作りは、すぐに肌に合わないことがわかり、せいぜいクッキーが限度であった(だいたいどんな人か想像できるというものだ・・・)。とてもケーキやシュークリームを作るまでにはいたらず、普通の料理へ軌道修正した。酒飲みの気質が既にここで発揮されていたのかもしれない。

だけど料理ができる人間で良かったな〜とつくづく思う。
今まで料理を習いに行ったことは一度もないが、冷蔵庫にあるものでちょいちょいと作っておいしいディナーが楽しめることは便利なことである。幼稚園から習っていたピアノは何の才能も発揮できなかったが、ピアノでなく料理で良かったな〜と今は思う。生きていく上には有り難い技術である。

初めて料理を作った時のトキメキ、この原点は忘れないでいたい・・・。

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京都ぐるめ〜ず

いっや〜、驚くな〜
カレンダーは既に11月。ということは2007年も、もうあと2ヶ月ってこと!?

早すぎる〜〜〜〜!!

といって巻き戻しすることもできず、
「どうぞお先に、アタシは10月に留まっときますんで」
と別行動もきかないのが人生である。便利わる〜〜〜い(>_<)

なんだかもう気持ちがアセリ始めてしまう。。。
アセってしまうことが私にはもうひとつある。紅葉シーズンまっただ中に京都へ遊びにくるPちゃんと、夜な夜な食い歩く店の予約である。既に京都の街は観光バスや旅行者達であふれており、土日ともなるとすごい人で、やはり最近の京都人気というのはタダゴトではない模様.....。

既に1ヶ月以上前に電話をしたのだが、行きたいと思っていた店は総だおれ。

虚脱感全開.....!

家庭画報などに度々載って大ブレイクした草食「なかひがし」につづいて、北山にある「秋山」ももう予約のとれない店になってしまった。しかも「なかひがし」と同じ、来月の予約は今月の1日にしかとれないという予約システムになっていて、だんだんバカらしくなってきた....。ごはんひとつ食べるのに、そんな極めて限られたタイミングでしか予約をとれないなんて...

そこまでヒマちゃうって感じである。

ちょっと怒りたい心境ではあるが、しかしそこまでしてでもその味にありつくのが現代のぐるめ〜ずなのかもしれない。殊に京都のお店は雑誌やネットなどでも取り上げられ、たちまちブレイクする。そしてそのお店めがけて全国からぐるめ〜ずが押し掛け、あっという間に予約の取れない店になってしまう。特に紅葉シーズンは最も観光客が多い時。競争率は自ずと激化する。

一方巷にはそれくらいぐるめ〜ずが増大しつつあるのも事実だと思う。
昔は「外食」するだけでおいしいものを食べにいくワクワク感があったが、今やその辺りの居酒屋やレストランで食べるくらいでは到底我慢できない。それほどおいしいものを食べるという行為は日常化していて、求められるレベルもどんどん上がっている。してまた今のおいしい処というのは、職業的な専門家によってだけで批評されるのではなく、アナタであり、私がこうしてブログなんかでのたまうことによってブームをつくりあげている。素人評論家の増加がこの"予約がとれない現象"をさらに激化させているのである。

とはいうものの、おいしいものは食べたいし、おいしいお酒を楽しみたい^^
アタマを悩まし情報を駆使して、とりあえず初日の夜と翌日のランチはキープできた!いずれも人気の高い店なのでホッとしている。うふふ(●^^●)いや、しかし、ここでまだ油断してはならぬ...

2軒目はどこへいく!?
ちょっとこましなバーへとなると、観光シーズンの週末、観光客は"こましなバー"情報を聞きつけて、またまたいっぱいという可能性は大である。やはり予約した方が賢明かも....。
なんかこうして予約していくごとに、台本にそって進めるイベントのような気がしてくる....(笑) 

ちょっとごはんたべも、大変なご時世である....。
でもこんな苦労も楽しかったりするのが、ぐるめ〜ずなのでございます^^


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