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無事なる人生

すっかりご無沙汰している人の近況を聞いて、随分びっくりすることがある・・・。

なんと、あの人って今や四児の父?
会社辞めて事務所を立ち上げた!?
げ〜っっ!!借金作ってトンヅラ!?
まさか!あの人とあの人が結婚したん!?

なんて驚いているが、自分自身もどこかで驚かれているのかも知れない。
え〜!?あの人お山に住んで、フリーでライターしたはんの!?
きっと学生の頃の丸顔に、仙人のような変わり者の姿をくっつけて思い浮かべられてるに違いない。

まあ、自分が既に近況を知っている周りの友人・知人だけを見回しても、過程を飛ばして今の結果だけ聞くとそら驚くだろう、という人も数々いる・・・。驚かれるということは、意外性や突飛な変化がそこに表れているからだろう。しかし一方でその後の近況を聞いても「なるほど〜」「へぇ〜」と、全然驚かない人もいる。その違いは一体何なのだろう・・・。

おとなしいか派手か、堅実かそうでないかと言うような単純な素養の問題とも一概に言えない。あんなおとなしかった人が起業家になっていたり、あんなに堅実だった人が道をふみはずしたとか、世の中にはそんな話がザラにある。計算しているつもりでも、そうそう計算どおりにはいかないし、コツコツやってると思いもかけないチャンスの到来だってある。

運やら、巡り合わせなども多分にあるだろうが、その時々の岐路でやっぱり自分自身がハンドルを切ったり、アクセルを踏んだり、バックしたりしており、結果いろんなストーリーが生まれているのだろうと思う。で、自分の中にある野望なり、夢なり、朗らかさや脳天気さ、不満や抗い、傷みや闇といった、心に巣くうものというものには知らず知らずにギアが入って、いつの間にか最も強い方向にベクトルが向かっていくようなイメージがある。こうした要素が複合しながら思わぬ方向へ進むこともあるだろう。心に巣くうものがなければ、運以外、変化のきっかけも生まれにくい。「萌え」ならぬ「揺れ」が人生の転機を作ってるのかもしれない。

けど、大方の人は変わりばえしない日常を毎日過ごしていて、明日も同じような一日が訪れることを想定して眠りにつく。歳とってくると、人間あまり変化を望まなくなっているのは確かである。しかし私などはその実ややこしいことは避けたい、苦労はしたくない、というグータラな精神に多分に基づいていると思う。
禅で言う「無事」は、本来何も起こらないという客観的な「無」ではなく、若い頃に苦闘をした末に辿り着くぶれない平穏さ、みたいなことを指すのだそうだ。

何年か経った自分の様子がが、「ふうん」とさして驚かれもされないか、「へ〜っっ!?そんななったん?」と驚かれているのか。さして変わりばえもしない人生か、どう転ぶか知らないけどとりあえず驚かれる人生を送っているか。それもこれも、今という自分の処し方次第なのだろう。

「無事」という文字はまだまだ見えそうもない。

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