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お金を稼ぐパワーについて

お金を稼ぐ人というのは、やはりパワーが違う。
そう思ったのは、仕事で出会ったあるIT関連会社の女性社長さん。たぶん年はそれほど変わらないと思うが、1年でなんと1億2000万円を売り上げたというから、しがないライターなどとはワケが違う。自分の体験をビジネス本としても出版され、今や講演なんかでもあちこち飛び回っておられる。

人が自分の体験を通じて本を書ける、講演ができる、というのはよく考えればすごいことである。毎日同じような仕事をし、同じような結果を得て、同じような日常を繰り返していては、本に書いて面白い内容はできないし、講演で語れる話もない。大概の人はそうだ。しかしこうして成功する人というのは、同じようなことをしていないから人に聞かせられるネタがある。自分なりの視点で仕事をし、苦労や失敗も自分の器量で乗り越え、ひとつの結果を出したという事実とサクセスストーリーが、言うまでもなく人にインパクトを与えるのだ。だから最初からお金持ちの人がさらにお金持ちになった話は退屈だが、貧しい人がお金持ちになった話は興味深いし、苦労や危機がいろいろあったがそれを乗り越えて成功を掴んだという話には説得力がある。つまり成功する人と私などのような凡人とは、頭のデキや努力の仕方もちがうだろうが、一番違うのは「パワー」だと思うのである。

「危機が好きなんです」

女性社長はそう断言していたが、そんなこと言える人ってカッコいいな〜。誰しも最初から成功を納められるわけではなく、仕事をしていると必ず、壁やピンチに突き当たる。ピンチをチャンスに変えてさらに大きな前進を生むか、ピンチをピンチのまま終わらせてしまうのか、それを突破するためのパワーが成功する人と凡人との分かれ道なのだろう。

前進するためには苦労をいとわないその社長の潔さと、そこまで自分の力を信じられるところがすごいと思う。壁が高すぎては「ほ〜」なんて見上げていたり、ピンチに遭遇した瞬間、クラッシュしてしまっているような私なんかとでは、スクーターと5000ccベントレーぐらいのパワーの違いがある。パワーとは、何か一つのことをやり遂げることへの執念と情熱、惜しみない努力といったものだと思うが、それがある人というのは困難にもどんどん挑んでいく勇気も持ち合わせている。

そして何より成功する人というのは、仕事が好きだ。仕事のためには寝食を忘れるくらいの情熱がパワーを突き動かす。仕事に行き詰まっては缶ビールを空けていたり、日が暮れると晩ご飯のことで気もそぞろになるような私には到底マネできない。その社長の話を聞くと、自分がますます"小粒"に思えてくるが、でもパワーのある人と接すると、なんだか勇気がもらえるのも確かである・・・。困難の数が成長の証。ピンチをチャンスに変えていける姿勢はぜひ見習いたいものである。

とはいえ、スクーターにはスクーターなりの爽快感はあるかもしれない。500人を前にして話はできないが、2,3人を笑かせるぐらいの世間話はできる。1億円稼ぐ自信はないが、1億円当てることはできるかもしれない。
ということで、今日の決断。

年末ジャンボ宝くじを買うゾ〜〜〜!!

・・・・と"小物"が辿り着く結末はしょせんこんなところでした・・・(^ ^;)

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クリスマスイルミネーション

クリスマスも近づいてくると、街はイルミネーションでキラキラ美しい。
クリスチャンであろうが、仏教徒であろうが、これはなかなか楽しめるこの時期の風物詩である。京都でイルミネーションが有名なのは、やっぱり五条通りにあるローム本社前。周辺の街路樹や公園の木に80本、57万個という電球が取り付けられ、普段は殺風景な国道沿いの一画が幻想的な街に変貌する。今年は10メートルほどの2本のヤマモモの木に、自社オリジナルの白色LEDのネットがかけられ、ブルーのま〜るいシンボルツリーもお目見えした。

いや〜写真がないのが残念だが、かなりのもんです。57万個の電球と3万個の白色LEDというのは、過去最高らしい。人は闇夜の灯りに興奮するのか、クリスマスのイルミネーションというのは年々派手になっていくようだ。飾る側も観る側も、楽しんでいるからいいが、公園の木をねぐらにしていた鳥達にとってはきっとえらい迷惑に違いない。あまりの明るさに眠れない日が続き、「クリスマスいるみねーしょんなんて、冗談じゃないよ!」そんな気分なのかも知れない。

迷惑といえば、ド派手極まりないクリスマスのイルミネーションの家がお山の上にもある。もう200mぐらい先からチカチカと灯りに照らし出されてくる。しかも緑や青などの色つきの灯りなので、近づくに連れて、こんな住宅街にラブホでもできたんか!!?って思ってしまうぐらい、そこはもうプチネオン街。通りに面したその家は結構大きいのだが、階段のステップから門柱から、屋根からベランダの手すり、ガレージに至るまでさまざまな電飾が取り付けられ、そこだけが闇に光り輝いておるではないか。

ここはラスベガスちゃう、っちゅ〜ねん!!

もうクリスマスなんて全然関係ない。だいたい夏でもこの調子だし・・・。家主は完全に"照明"代わりらしい。近所のSちゃんもHさんもみんな、「ちょっとあれは、やりすぎやろ・・・・」と不快感を露わにしていた。庭木や垣根にチカチカと灯りが灯るぐらいがきれいなのに、ここまで全面に電球で飾り立ててしまっては、身も蓋もない。ここまでやられたらイルミネーションもただ下品なだけ。静かなお山の住宅街をこの一軒によって環境破壊されたようなどうにも忌々しい気分である。

私達の住むお山は、景観の厳しい地域に指定されていて、唯一あるコンビニの看板も本来は赤いところ、黒に塗り替えられている。車で前を通ると、まるで葬儀屋のような気配さえある。チカチカ光りもしない看板がこうなのだから、このド派手イルミネーションの家は絶対景観法にひっかかるに違いない(-_-)。
夜な夜な電球を1個ずつ壊していくには気が遠くなりそうな数なので、誰か通報して、あの下品な電飾を撤去してくれないかな〜そう願っている人はきっと多いはず・・・。クリスマスだというのにちっとも美しくないイルミネーション、それはきっとここだけだろうと思う・・・。

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ドラマ「氷点」を観て

三浦綾子原作のドラマ「氷点」を観た。
土日は家にこもって仕事だったので、夜9時頃に切り上げ、ちょうどごはんを食べながら二夜連続で観れた。
いや〜、飯島直子の意地悪加減といい、石原さとみの純真な演技といい、なかなか楽しませてもらった(ウラでやってたフジの黒木瞳と阿部寛のドラマは、ちらっと見ただけだがヘタなロシアの設定がどうにも我慢ならなかった)。というか、あんなすごい境遇といい、設定といい、現代ではなかなか思いつかない話である。これほど運命に翻弄される家族がこの世にあるんだろうか、というくらいしつこいめに二転三転するストーリーである。

妻の浮気中に娘が殺された恨みから、夫がその殺人者の娘を養女としてひきとり、妻に知らせず育てさせる。娘が小学生の時に事実を知った妻はショックを受け、それ以降娘に意地悪ばかりするが、娘はものすごく心根のやさしいコでそれでも一生懸命母を慕う。ところが18歳の時娘が事実を知り、自殺する。未遂で終わるが、この時実は殺人者の娘ではなかったことが乳児院の院長から打ち明けられる。その後生みの親との遭遇などいろいろとあって、最後は家族の絆を取り戻していく、みたいなハナシ。しかし・・・、

「あなたもキリストの話を聞きにきませんか?」

このドラマを見終わった後、そんな風に勧誘されているような気がした人は全国にきっとたくさんいるに違いない。
そう、このハナシは一見俗っぽいが、実にうまく信仰が説かれているのである。全体を通して"人を許す"ことのテーマが掲げられ、要所要所では教会や十字架が登場し、最後は娘が流氷を見ながら「人間は罪を背負って生きており、傷つけあいながらも人を許して生きていかなければならない」と語る。そして母親にどんなに意地悪されても耐え抜くこのやさしい娘こそ、「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」というキリストそのものではないか・・・。

神社に初詣に行き、お家に仏壇があり、結婚式を教会で挙げる、というとんちんかん宗教観の日本民族にとっては、お茶の間で見るドラマとしては少々違和感が残ってしまうのは否めない・・・。これが欧米でオンエアされたら逆に大ヒットしそうだが、宗教的意図が見えてしまうと、なんだかちょっと興ざめしてしまう気がするのは日本人ならではの感覚かもしれない。誤解がないように付け加えておくが、私は決して宗教を否定しているわけではない。むしろ信仰があることほど生きていく上で心強いことはないと思うし、信仰を持つ人を羨ましいとも思う。諸外国の人にすれば、こんだけ神仏や宗教を都合のいいように使い分ける日本人こそおかしいと思われているだろう・・・。

しかし日本に滞在して18年の、数学者のピーター・フランクル氏(あの大道芸人でも有名な)はこんなことを書いていた。この日本人の宗教観のなさ、宗教に対する穏やかな姿勢が、他の国にはない居心地の良さなのだそうだ。彼はユダヤ人で、親戚の多くを強制収容所へ送られた辛い体験から両親が無神論者になり、自分自身もユダヤ教の行事も知らずに育ってきたという。それでもハンガリー生まれでフランスに帰化し、アメリカにも住み、その他いろんな国も訪れたが、あらゆる国では宗教というものが常に日常生活に密接していて、そこにすごく違和感を感じるのだという。例えば、アメリカ大統領が演説で「God bless you」と言ったりするなんかでも、我々の世界にいちいち神様が登場し、キリスト教の場合、どんな関係も神様を通して間接的なものになってしまうことを指摘していた。

さらにこんな話も印象的だった。激しい内線が勃発し国が分裂した旧ユーゴスラビアは、元々民族が話す言語は一つで、地域を越えて仲良く平和に暮らしていたのだそうだ。けれども共産主義が崩壊した後、国や政治家が宗教を利用し、激しい内線を巻き起こした。自分と同じ宗教の人は仲間だが、そうでない人は皆敵だという風に、宗教とは時には非常に排他的な作用を生み出すのだと・・・。

私はその意見にすごく同調する。未だに復興のめどが立たないイラク戦争や、IRAのはびこるアイルランド、未だ紛争の続くアフリカ諸国のことを考えると、なんのために戦争をしているのか、いやなんのために戦争をさせられているのかわからないといつも思っていたからだ。宗教は人を守るためにあるはずなのに、そうした国々では完全に人を殺す武器となっている。宗教が人の命より尊重されるものであるはずがないと思うからだ。

宗教とは、人間にとって最もプライベートなことだと思う。

とピーター・フランクル氏は語っていた。どの宗教を信じるかは個人の自由で、それを他人に明かす必要もなければ、ましてや他人を巻き込む権利もないと。そーだ!そーだ!
その点日本人が持つ宗教観のこのとんちんかん具合というのは、一方でどの宗教にも偏っていないという鷹揚さがあるから、どんな宗教を持つ人にもやさしいわけだ。仏様に手を合わせ、神社の御神輿にエキサイトし、クリスマスツリーを飾るこの民族のノーテンキさというのは、実は世界に誇るチャームポイントなのである。

ピーター・フランクル氏の話の話を聞いて、日本が単なる"おかしな国"ではないのだという新たな認識ができた・・・(^_^)あとは「君らがおかしーねん!」と世界に向かって言うくらいの勇気を身につけるべきなのではないかと思う・・・。


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関西人も、けんちん汁

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寒くなると、豚汁とともによく作るのがけんちん汁。
関西の人にはあまりけんちん汁って馴染みがないと思う。かくいう私も初めて食べたのは香港に住んでいたスッチー時代。埼玉出身の同僚のコが家で作ってくれて初めて口にした。ゴボウ、にんじん、大根、里芋などの根菜類をごま油で炒め、だし汁を注ぎ、木綿豆腐をくずし入れて柔らかくなるまで煮込む。味付けはお酒と醤油とみりん少々。ごま油で炒めて煮る汁もん、というのが関西人の私にはちょっと新鮮だった。豚汁よりもさっぱりしてて、野菜の味が噛みしめられる一杯である。

しかしけんちん汁の"けんちん"って一体どういう意味なんだろう・・・。
ルーツは中国の普茶料理にあるようで、巻繊汁(けんちんじる)と書くそうだ。

あ、なんと"けんちん"と打ったら、「巻繊」とちゃんと出てくる・・・。

それほどメジャーっつうことだろうか!?「巻繊」とは野菜や豆腐を繊切りにして、湯葉や薄焼き卵で巻いて揚げたり蒸したりする料理らしい。で、日本では中身の野菜だけを取り入れた料理も「けんちん」と呼ぶようになったそうだ。もうひとつの説は鎌倉の建長寺で、修行僧がくずれてしまった豆腐を野菜と煮込んだ汁物料理が、後に「建長寺汁」と言われ、「けんちん汁」になったという。

ふうん・・・私のイメージとはちょっと違うな〜

「けんちん」って、私の中ではなんか東北っぽい方言のような気がしていた・・・。けんちん汁って根菜類山盛りで、豚汁のように肉気もない、結構地味〜な料理なんで、そういうとこからも雪に閉ざされた寒村で毎夜囲炉裏でコトコト煮て食べられていたというイメージがあった。例えば「けんちん」は東北弁で「たくさん」とか言う意味で、野菜がたくさん入ったという料理。「おっか〜、今日も大根がけんちん入ってるべ〜」とかって言ってたとか・・・。

な〜んていう世界だったのに、以外とおもしろくない語源でした・・・。
でも、これはホント冬にはもってこい。関西人は味噌仕立ての豚汁の方がきっと好きだろうけど、時にはけんちん汁もぜひ試していただきたい。根菜類って身体が温まるし、野菜でお腹一杯になるのでダイエットにもぴったり!さっぱり醬油ベースだから、2日目はうどんを入れたり、お餅を入れたりしても愉しめるのざんす。

ここでふとスッチー時代のこんな体験を思い出す。機内で東京のお客さんというのは、都会でのマナーを心得ているのか、とても礼儀正しくおとなしい人が多かった。その一方で大阪と名古屋のお客はやたらお行儀が悪く、食事のチョイスや免税品がなくなると、怒り出す始末の悪い人が多かった。
そうしたキャラの違いは、食文化の違いから来ているのではないだろうか・・・。さっぱり醬油味はあっさり関東人を育て、こってり味噌味はくどい関西人&名古屋人を育てた・・・私はそうにらんでおる・・・(-_-;)。

くどい人間にならないためにも、この冬、豚汁とけんちん汁はバランス良く食べたいものである・・・。


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心筋梗塞と夫婦関係 その2

心筋梗塞で緊急手術し、その後退院したSちゃんのダンナ。
Sちゃんが仕事で忙しいこともあって食事の面倒もみれないし、山の上ではいざという時危険だということから、実家で生活をしていたダンナさんは依然として実家暮らしのままなのだそうだ。最初は夜1人で寝るのは恐いと思うこともあったそうだが、誰はばかることなく自分のペースで生活できる今の暮らしがハッキリ言って快適!と断言していたSちゃん。

「いや、いや、そら可哀想やで〜〜・・・」

と何度も先に釈明の言葉を発しながらも、でももうこのまま実家に帰っといてほしいと切に私達に語っていた。前回ブログでも書いたが、やはり稼ぎのなくなった病気のダンナというのは面倒この上ない存在のようだ。Sちゃんのダンナは食事の支度をしろとか、もっと面倒をみろとか、そこまで強気な男の人ではないので、別にSちゃんが面倒がかかるわけではない。それなのに、いると鬱陶しいらしい・・・。これはもう雄と雌の本能がもたらすレアな心理ではないだろうか。

私は小学生の頃、家で飼っていた桜木インコという鳥のことを思い出してしまった・・・。二羽のつがいで、最初は仲良く一つの鳥かごで暮らしていたのだが、どうも雄の方がカラダが弱かったようだ。日に日に羽が抜けてみすぼらしくなっていくうちに、あろうことか、陰で元気いっぱいの雌が雄を攻撃しまくり、ひ弱な雄を遂に死に至らしめたのである。ショックだった私はそんな凶暴な雌を子供ながらに憎んでいたが、今となってはなんだかそこに厳しい野生の掟を見るような気がする・・・( -_-;)。動物は子孫を残す使命を負って生まれてきており、そのために雄はやはり強く逞しいものでなければならないのだ。だから動物の世界でも人間の世界でも、強い雄には雌が群がるではないか。「弱い雄に用はない」きっとそれが雌の本能に宿る指令なのである。

人間はさすがに桜木インコのように「殺す」ところまではいかないが(しかしこんな殺人事件があっても不思議ではない)、弱った雄に雌が魅力を感じなくのは当然のことなのだろうとSちゃん夫妻を見て思う。「弱る」というのは人間の場合、生活力も体力も両方失うことを指す。今更DNAから子孫繁栄の指令が出ているわけではないだろうが、本能的に強い雄を求めるのが常の雌は、弱った雄を必要としないのだろう。だったら、支える側にまわればいいと思うのだが(つまり主夫)、プライドがその生き方を決定づけている人間の雄の場合、それは受け付けられないらしい。雄の「プライド」は影響するが、雌の「愛」は少なくとも二人の関係には影響していないような、そんな感じでである。

そしてSちゃんのダンナばなれが加速していく一方で、逆にダンナはすがりついてくるという反比例な関係も、雄と雌の哀しいもうひとつの真実のようである・・・。ずっと実家にいてくれたらいいのに、ダンナさんはSちゃんの仕事の休みの日(彼女は販売業なので平日が休み)には必ず家へ戻って来るのだそうだ。これがまたSちゃんにとってはストレス極まりないらしい。

「今度の休みいつ?」

しょっちゅう電話をかけてきては休みの日を聞かれるそうだ。携帯電話を無視していたら、お店にまで電話がかかってきて休みの確認をするのだそうだが、これがまたたまらなく鬱陶しいらしい。

「いや、いや、そら可哀想やで〜!」

とまたもや前置きだけは強調するが、その鬱陶しさがリアルに伝わってくるくらい、話しているSちゃんの顔は不快さに歪んでいた・・・(-_−;)。仕事が終わって携帯を見たら、ダンナからの着信が5分おきぐらいに入っているのを見ると、怒りさえこみ上げてくるのだそうだ。だから今は「忙しい」とか「まだ休みの調整が決まってないから」とか言い訳をつけては自分の休みの日を教えていないらしい・・・。夫婦とは、最も身近にいながら遠い存在なのだな〜とつくづく認識させられた。

定年して、やることもなく、行く場所もない夫が、雨に濡れた落ち葉のように妻にくっついて生活する様を例えた「濡れ落ち葉族」という言葉があるが、Sちゃん夫妻からはまさにその言葉が連想させられる。若くして、既に濡れ落ち葉族となったSちゃんのダンナ。これから病気とも闘いながらも、雄としては一体どうなっていくのだろうか・・・。そしてSちゃん夫妻はこの危機的状況をどう乗り越えていくのだろうか・・・。決して人の不幸を楽しんでいるわけではないが、一人者の私にとっては身近で目の当たりにする夫婦の惨劇、いや喜劇?いやドキュメントは、やはりテレビドラマよりおもしろい(^_^;)。「Sちゃん夫婦の連続ドラマ」のストーリー展開を、今後も温かく、冷ややかに、見守っていきたいと思う・・・(^ ^)。

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瀬戸内晴美と向田邦子

古本屋で買った瀬戸内晴美(出家以前の作品)の「再会」という文庫本を読み終えた。
短編集なので、毎晩寝る前に一話づつ楽しみにして読んだ。楽しんで読むほど、ハッピーで癒されるようなストーリーでもないのだが、おどろおどろしい女の性やそこに火の粉をまき散らすような男が組んず解れつ描かれるさまざまな物語を読むと、私はなんだかスッポンの血やまむし酒を飲まされるような、体内に妙に生々しいエネルギーを注がれる思いがした。

それくらい瀬戸内晴美の小説は頭で読むというより、カラダに染みいっていくような力がある。まだ幼い娘や夫を捨てて家を飛び出し小説家になっただけあって、彼女を突き動かすエネルギーというのはもともと並大抵ではないのだろうと思う。女の本性を真正面から書ききる文章には、いつもそこから目をそらさない潔さと深い洞察力が存分に伝わってくる。しかも巻末を見ると1967年刊行とあって驚いてしまった。文庫本にされたのが1967年だから、小説自体はもっと前に書かれているのだ。瀬戸内晴美の小説というのは時代を経てもちっとも古さを感じさせない、まるで鮮度を失わない生肉のようなのである。

「再会」と共に、向田邦子の文庫本も買っていた。これはテレビドラマの脚本を小説仕立てにしたものなので、小説としてはちょっと無理があるが、脚本の上手さにかけてはやはりピカイチだ。セリフのひとつ、シーンのひとつに、私などはいちいち唸ってしまった。もちろん彼女の小説も大好きだ。奇しくも事故で急逝したためにたくさんは遺っていないが、数少ない小説の一つひとつはどれも秀逸という言葉がぴったりである。

瀬戸内晴美(寂聴)と向田邦子、どちらも大好きだが、二人の作品は同じ小説でも入っていくところが違うという気がする。どちらも女と男を描く名手だが、瀬戸内晴美の小説はストレートで生々しく、読むとすぐさまカラダに吸収されていくような熱さと浸透力があるが、向田邦子の場合は五感で感じてかぐわしい香が漂うような仄かな余韻を楽しむ味わいがある。

それは描写の仕方にも表れていて、瀬戸内晴美が人間の芯にある愛や性を濃縮100%で描くとしたら、向田邦子は人間の持つおかし味を描きながら愛情や悲哀の核心に触れる、という調理の仕方も味付けの仕方も全然違うのだ。そこには二人の生き方の違いが映し出されているのかもしれない。一方は家庭を捨て、いろんな男性と恋の浮き名を流した波瀾万丈人生を送った女性の業と、男性遍歴は謎めいていて、仕事と多彩な趣味で人生を愉しんできた女性の美学との違いだろうか・・・。

けれどもそれぞれが描く世界は全く異なっているように見えても、底辺には同じようなものが流れていると感じられる。男と女。この永遠に書き尽くせない、愛とすれ違い(とでも言うのか、私ごときがとても語れませんが・・・)をオリジナルな世界で切り開いた。大正生まれ、昭和ひとけたというどちらも昔の女性らしく、セックスを決して露骨に描くわけではないが、その慎み深い表現がかえってエロティックで、これは向田邦子の方がその効果を知っていたような気がする。瀬戸内晴美は胸の裡にある女の情念や渇きをつぶさに描き切るところにすごさがあるが、向田邦子は元脚本家らしくセリフや情景描写でそれを悟らせるというテクニックがすごい。どちらの世界も本当で、どちらの小説も読む人を魅了して止まない。

瀬戸内晴美と向田邦子、二人の小説は極上の日本料理とフランス料理を楽しむような違いがある。私はこれからも両方を味わいながら、せいぜい小説の中でだけ男と女を極めていきたいと思う・・・(^_^;)

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アメリカンブレックファストの謎

今日やっと長年の疑問が解けた。
仕事の調べ物をしていたら、朝食についての面白いサイトに行き当たった。コンチネンタルブレックファストの意味とその背景がほぼ日刊イトイ新聞の「朝ごはんその3」を読むとよ〜くわかった。

よく海外のホテルに泊まったりすると、ドアにカードをかけてモーニングサービスを頼んだりする。そこには大抵コンチネンタルブレックファストとアメリカン/イングリッシュブレックファストの標記がある(もちろんレストランメニューにも)。しかしコンチネンタル(大陸的)というビッグなイメージの割に、パンやコーヒーしかない。"アメリカン"というと、軽そ〜なカジュアルな気がするのに、ジュースの種類から卵メニュー、焼き方やソーセージかベーコンかという添え物についてまで事細かく選択できる豪華バージョンだ。

コンチネンタルが簡単で、アメリカン(イングリッシュ)が盛りだくさん、
なんでなんだろーなー・・・?とずっと不思議だった・・・。

そして今日わかったのは、こういうことだ。
メリカンブレックファストのルーツはイギリスにある。コンチネンタルとはイギリスから見たヨーロッパ大陸のことを指すのだ。享楽的(人生を愉しむ?)なヨーロッパ人は、ランチとディナーには気合いを入れている。殊にディナーにはお酒を飲みながら何時間も食卓を囲むため、翌朝は毎日二日酔いのようなもので、朝食はカフェオレとパンぐらいの軽いもので十分。というのが長年の歴史&習性らしい。

その一方でイギリス人というのは世界に近代化をもたらしたあの産業革命の立役者。頭のよろしい勤勉な民族なのであーる。その上、質素倹約がモットーなので(結婚するなら、私は絶対大陸派デスが・・・!)、豪華な食事などもってのほか(フィッシュ&チップスが一番おいしいくらいなんだもん、そらそーだろイギリス人)。朝から猛烈に働き、お昼はパブでサンドウィッチをつまむ程度。夜は翌日の労働のため早く寝るので、ラテン系の人達のようにちんたら食事もしません。そうしていくうち一日しっかり働けるよう、三度の食事の中でも朝食が一番豪勢になったのだとか。つまりあの、朝からこんなに食べられまへん朝食は、元祖ワーカホリック生活を支える大切なエネルギー源なのであった。イギリス人の朝食スタイルがやがてアメリカに渡って、アメリカンブレックファストとも呼ばれるようになったのだろう。

なるほど・・・(-_-)

私も朝食はちゃんと食べている。体温が低いので、物を食べなければなかなか体温が上がらず寒いというのもある。大抵はトースト&コーヒー(スープ)、もしくは前の晩に握っておいたおにぎり&みそ汁だ。ワーカホリックではないので、朝食もやや大陸的である。そういえばトースト&コーヒーの朝食で、私には絶対許せないものが二つある。それは、

マーガリンとコーヒーフレッシュだ。

なぜなら、どちらも許し難い乳製品の"まがい物"だからだ。だってマーガリンは植物油が原料であって、あくまでもバターに似せて作られるものである。ミルクからできる豊かな味わいのバターにはない、人工的な味である。ポーションタイプのコーヒーフレッシュだって、原料はヤシや大豆などの油である。つまりコーヒーにサラダ油を入れてるようなものだ。それって、あまりにも気色悪過ぎる・・・(-_-;)

というわけで私は滅多なことでこの二つを口にしない・・・。脂肪分が高かろーが、冷蔵庫から出してすぐはカチコチで使いにくかろーが、私はマーガリンをパンに塗ったりはしない。喫茶店でミルクティーと頼んでコーヒーフレッシュが添えられて出てきても、おとなしくストレートティーで飲む覚悟がある。

思い出せば、ネオソフトだとか、ラーマ(古!!)とか、メロディアンミニやスジャータもあったな〜。しかし近頃これらのTVコマーシャルを見なくなったのはなぜなんだろう・・・!? もうすっかり市場に出回っているからか、それとも今更イメージ良く伝わるはずがないという、あきらめからなのだろうか・・・。
とにもかくにも、コーヒーにスジャータ〜、ではなく、今日もコーヒーにはミルク、パンにはバター、の私であーる。

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高雄・鳴滝紅葉だより

紅葉の写真を撮りに、高雄方面へ出かけた。
高雄に行くのはもう10年ぶりぐらいかもしれない。実は学生の頃はよく来ていた。高雄にお友達がいたのもあったが、「City Light」というイケてる喫茶店があって、当時枚方に住んでたくせに私やその周辺の友達はそこの常連で、車でわざわざ通ったものである。そういや今はカフェなんて言ってるけど、あの頃は"茶店ブーム"だった。何かと言うとすぐ茶店へ行き、おしゃれな茶店を探し出しては車でわざわざ出かけ、そんなに茶ばっかりしばいてどないすんねん、というくらい茶店通いをしていた・・・。茶店目的にわざわざ車で出かけるなんて、今では考えられないが・・・(-_-)。
で、道もうろ覚えだったので地図を一応用意して西大路今出川通りあたりを走っていると、前を行く軽トラの後ろに

高雄材木所(株)

と、書いてある。おっ、まるで私のナビゲーターじゃん。短絡的な私はこの車は高雄に向かっているに違いないと勝手に確信し、軽トラに3000点!とばかりにこの車に賭けて後ろをくっついていった。すると等持院あたりまでは良かったが、その後、あれ??  西へ行くはずが、北へ向かってない?と思っている間に「きぬかけの道」まで来てしまった・・・・。そのまま行けば竜安寺、衣笠方面へ行ってしまう・・。

3000点没収・・・(*_*)
やはり手堅く"はらたいら"にしておけば良かった・・・。

とかなんとか言いながら、脇道にそれつつ、周山街道を通って(懐かしい風景でした)高雄パークウェイまで辿り着いた・・・。土日はすごい人なのだろうが、平日とあってそれほどでもなかった。しかし大型バスは何台も停まっていたからやはりいろんなところから大勢の人が押しかけており、、高雄の瞬間人口密度はかなり高くなっていると思われた。しかし・・・

イマイチ色づいていない・・・!

紅葉情報では「見頃」とあったのに、桜で言うと5分咲きというところだろうか・・・。真っ赤な紅葉の写真を収めるためにやってきたというのに・・・ちょっとガックシ。それでも来た以上は使える写真を残さねば・・・と撮りました、撮りました(^^)

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展望台や駐車場で停まっては写真を撮った。観光客に混じって、三脚や望遠レンズをつけた大きなカメラを持った人も何人も見かけたから、紅葉をねらって多くのアマチュアカメラマン(中にはプロもいただろうが)も繰り出しているようだ。望遠レンズのついた立派なカメラを持った人を見ると、正直言ってちょっと羨ましい・・・。しかし¥29,800、さらにレジにて20%OFFという私のカワイーオリンパスのデジカメ君も捨てた物ではない(^ ^)。10倍ズームを精一杯駆使して高雄から清滝の鮮やかな風景をたくさん撮った。

Koyo_1

それにしても、京都というのは見所がいっぱいある。
来るときに道をそれたら、きぬかけの道や仁和寺、手前には妙心寺もある。もう少し北へ行くと金閣寺だ。高雄の南側に下りると清滝、嵯峨野、嵐山などへいき、私は大覚寺や大沢池を通って帰ってきた。いちいち立ち寄っていたら、とても一日ではまわれない。京都の観光客の9割はリピーターらしいが、ホントに名勝がいろいろあって観光地として人気があるのもよ〜くわかる。今日も改めて思ったが、地元にいると意外と行ったことない所がいっぱいある。いつでもぶらっと見て回れるのに、つくづくもったいないことをしていると痛感した・・・(-_-;)

これから少しずつ丁寧に見て回ってみよう、マイデジカメ抱えて・・・(●^_^●)

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ちゃんこ鍋の季節

Nabe

これはKさんからいただいた手づくりの土鍋。
いや〜、ホント、こんなん百貨店の家庭用品売場で30,000円と値札がついて売られていても不思議はない、というぐらい素敵なオリジナル鍋のいよいよ出番がやってきました。昨日はAちゃんとSちゃんと恒例の鍋会。寒くなってくると、待ちかねたようにリクエストがかかり、鍋奉行の登場となるのである。

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定番はなんと言ってもちゃんこ鍋。鳥のつくねに、豚肉に、店で食べたら軽く5人前はあろうかというこの野菜の量。Aちゃんも、Sちゃんも、この鍋の10年来のファンである。つまり、寒くなるとこのちゃんこを食べては飲み、食べてはしゃべり倒し、そして日頃の野菜不足を補う、ということを繰り返しているうちに10年もの年月がたってしった・・・。喜ばしいことなのか、問題視するべきことなのか、そのあたりはあまり追求しないようにしているが、しかし未だに私達にはこの鍋を食べずに終わる冬などないのである。

この鍋の美味さのポイントは、絶妙のハーモニーにあると私は思っている。まずお出汁は鰹と昆布のあっさり目にしてある。ここに、蛤やら、鳥のつくねや豚などの出汁が出て、野菜の甘味も加わるので、あっさり目がちょうどいいのだ。そして大勢の人が登場して歌って踊るミュージカルのようなちゃんこ鍋の中でも、やはり主役は鳥のつくねだろう。味噌、お酒、にんにくと生姜を隠し味にした秘伝のつくねは、これまで何人の人を悩殺してきたかしれない。さしずめウェストサイド物語のジョージ・チャキリスというところか・・・(余計わからん、てか!?)。

さらにはずしてならない超脇役がある。ゴボウのささがきと、カステラ玉子とうずらの玉子である。ゴボウは菜っ葉系野菜とお肉類を実に食感良く、おいしくとりもつ存在なので絶対はずせない。そしてカステラ玉子(別寅とかから出ているきつね色した厚焼き玉子のようなもの)とうずらの玉子は、一見どーでもいいと思われそうだが、この二つを欠いたちゃんこ鍋は、まるで合いの手をなくした三味線弾きのようで、妙に間が抜けで口淋しいのだ。その証拠に誰に食べさせても、これらが余ることはなくいつもきれいに平らげられている。食べた人は皆、普段はあまり口にすることのないカステラ玉子とうずら玉子の存在感を思い知ることになる(誰も口にはださないが・・・)。なぜかというと、お野菜やお肉のどれもが準主役級で鍋の中で主張し合う中、唯一食感の違う甘味あるカステラ玉子や、他の材料に隠れて鍋底に沈みふと箸の先にあたってすくい上げられるうずらの玉子には、誰もが一瞬心和むのである。箸休めならぬ、鍋休めというところだろうか・・・。正統な素材の中にも、亜流を少々混ぜ合わせることで、より奥深いハーモニーが生まれるという、これが私の体験的ちゃんこ哲学なのであーる(^_^)。

Miyage_1

昨日はさらにこんなおみやげもいただいた。またもや一泊二日という強行スケジュールで北海道旅行から帰ってきたばかりのAちゃんが、メロンとししゃも(北海道産!!)、チョコポテトチップなどを買ってきてくれたのだ。中でも夕張レッドというメロン、どんだけ甘いんや、っちゅーくらい甘味以外の味覚がない。しかもどこまで食べても甘いので、アタシはもうほとんど皮を突き破りそうな勢いでした・・・。北海道産ししゃもも肉厚で、卵もサクサク。アラスカ産とかノルウェー産しか食べたことがなかった私には、このししゃもの美味さにも感激だった・・・。しかしどーしても解せなかったのはロイズのチョコポテトチップ。チョコレートとポテトチップ、それぞれはとてもうまいのだが、私はやっぱり別々に食べたいと思いました・・・。てへ(^ ^)

それにしても、いつもおいしいお土産ありがと〜、Aちゃん(^^)


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女性誌にもの申す!

出かけたついでに雑誌の「LEE」を買った。
読者ターゲット層からはもうはずれているが、私はターゲット層であった時代から今に至るまでこの雑誌が割に好きで、時々購入している。カジュアル中心のファッションや、身の丈に合った普通の暮らし方や趣味も、自分のスタイルに一番合うからだ。女性誌で買うとしたらあとはテーマによって「クロワッサン」ぐらい・・・。この二冊ぐらいで、女性誌がたくさんある中、自分にぴったり合うものは未だない。LEEターゲット層だった人がもっと大人になると、何を読めばいいのだろうか。

私の歳から言うと、「メイプル」とか「グラツィア」、「プレシャス」とか、そんな雑誌のターゲット層なのだろうが、それらの雑誌は私にとっては全然愉しめない。主婦ではないので、「マダム」や「主婦の友」でもない。だいたいこれらの雑誌は登場する服も暮らしのスタイルも、あまりにもゴージャスすぎてとても自分のスタイルには合わないし、大人の女=金持ちっていうところから出発しているからだろうか、生活スタイルにも隔たりを感じる。こういう雑誌を見るといつも思うのは、大人の女というのがみんなブランド物の服やバッグを持って、老舗料亭のお弁当で紅葉を楽しむような生活を送りたいと思ってるとは限らないということだ。実際自分の周りにだって、こんな雑誌に出てくるような高価な物ばかり身につけてる人っていないし、そこまで優雅な生活を送っている人も見あたらない。ゴージャス系以外なら、「esse」とか「saita」とか、もう完全に主婦トーンになってしまう・・・。

30代後半から40代の女性って一番多様である。結婚してる人やしていない人、子供がいる人いない人、仕事を持つ人や持たない人と、女性の在り方はさまざまなのに、30代以降は求められる女性のスタイルというのがあまりにも画一的という気がする。大人の女というのはこうあるべきである、というイメージが押しつけられている気がして、不良大人の私などはついつい反発したくなるのである。

というわけで、私はLEEの大人バージョンのような気軽な雑誌がでないかな〜 ということが私の密かな願い。カジュアルな服中心で、ブランドに頼らない年相応のおしゃれテクが学べたり、ほどほどのアカデミックさの中で、お料理のレシピや暮らしのエッセンスが磨けるような身の丈に合った女性誌。そうだな、さしずめユニクロのコマーシャルに出てくる味のある大人の女性をイメージするような、そんな女性誌があるといいな〜・・・(^ ^)。なんて思っているのは私だけだろうか・・・。この先も、LEEを読み続けるにはやっぱり辛すぎマス・・・(*_*;)

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ズルむけグラタン

Gratan_1

今日は作りおきのミートソースがあったので、フレンチ家庭料理の定番グラタンを作った。
週末のディナーは、どうしてもワインに合うもん、合うもんとなってしまうアタシの場合・・・。だって一週間のお疲れ日だしぃ〜(●^_^●)
これはマッシュポテトにミートソースをのせて、チーズをふりかけて焼くだけの簡単グラタン。ジャガイモを皮ごとふかして、それをマッシュして温めた牛乳、塩こしょう、バターと混ぜ合わせてクリーミーなマッシュポテトを仕上げるのがコツ。マッシュポテトというと、私などはアメリカ人のイメージが強いが(ターキーかなんか焼いて、グレービーソースをかけてマッシュポテトと一緒に食べるアングロサクソン系アメリカ人っつー感じ)、結構ヨーロッパの人もよく食べるようです。

しかしこの料理、おいしいんだけど大変危険なんですね〜。
なにせアツアツのホクホク。待てない私は、口の天井部分(言語学的に言うソフトパレット)がいつもズルッとむけて、大抵は火傷しながら食べております。あのとろっとした熱いもんというがお口の火傷に非常に危険なんですよね〜。そういえば、今日のお昼にもピザトーストを食べて、とろけるチーズで天井部分をズルむけたとこなんだった・・・。

ひえ〜〜〜・・・ダブルずる向けじゃん!!。

さらにズルむけた私の口はどーなるんだろうか・・・。明日お醬油のついたお漬物なんか食べたりしたら・・・(* *;) 考えただけでも恐ろしい・・・。

よし、そんならワインをたんと飲んで、よーく消毒しとこっと!
・・・今日もそんな感じのアタクシです・・・(^^)。

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大活躍、めくるコットン

Cotton

今日の話題も美容つながり。最近気に入ってるのがこれ、「めくるコットン」。
ドラッグストアで何気に買ったのだが、これがとっても便利である。化粧水のパッティング用コットンなのだが、四層になっていて、パタパタと顔全体を叩いた後、一層一層めくって顔に貼り付けておけるのだ。普通のコットンなら、パッティングしている間になんとなく乾いてきて、使いづらい。でもこれなら4枚とも無駄なく使えて、おでこや頬に貼り付けておくだけで、パック効果もあるというもの。

コットンパックは、美肌の魔術師、あの佐伯チズさんも推奨している。しかし普通のコットンを裂いて使うのは実際ちょっと難しい。既に「佐伯チズ式スキンケア専用コットン」なるものも発売されているようだが、60枚入り2箱で1200円もする!!マツキヨなんかでは2箱200円ぐらいで売ってるのに、1200円は払わんやろ〜(* *) ちなみに 「めくるコットン」は80枚入り198円だった。天然コットン100%だし、毛羽だったりしないで使い心地も上々なので、やっぱりこっちの方が断然お得だ。

「金をかけずに手をかけろ」

とおっしゃるチズさんであるが、このコットンだけはいただけない。しかし高い化粧品を使わずに、丁寧にクレンジングや化粧水パッティングによって美肌は蘇る、という考え方には大いに賛同できる。ヒアルロン酸入りだの、スクワラン入りだの、いろんなメーカーから高額化粧品が登場してはもてはやされているが、化粧品自体に左右されるようなスキンケアというのはどうも腑に落ちなかった。ここ数年ではないだろうか、佐伯チズ氏によるスキンケアや田中宥久子氏が編み出した造顔マッサージなんかで、自分に備わる美肌力そのものを高める傾向になってきているのは・・・。それはええこっちゃ!

それに私はメイクにもあまり興味がない。だっていろんな色を塗りたくったり、細かなワザできれいに見せても、元のお肌が美しくなければそんなの上っ面だけだもん。美しい人はメイクなんてしなくても美しい。佐伯チズさんだって、田中宥久子氏だって、あの歳でほとんどメイクもしないであんなに美しいではないか。あーゆー、潔い美肌が私の憧れだ(●^_^●)。そして内面からわき出る知性と輝きに満ちた大人の女性・・・・。
あ〜、いつになったらそんな女性になれるのだろうか・・・・。まだまだ道は険しいようである。

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資生堂ドルックス再発見記

Delexe

造顔マッサージを遂行している私は、この間生まれて初めてマッサージクリームというのを手に入れた。きっと私ぐらいの年齢の人ならかつて一度は母親の鏡台で目にしたことがあるであろう、あのレトロなパッケージの「資生堂 deLexe(ドルックス)シリーズのクリームである。値段はセイバーズで640円だった。
マッサージの後、顔に塗りたくったクリームは一体どうしたらいいのか、そのままでいいのか、はたまた洗い落とすべきなのか、パッケージを見ても何も書いてないのでネットで検索してみた。すると・・・

やたら多いゼ、deLexe(ドルックス)シリーズ心棒者・・・!

実は知る人ぞ知る、長年の人気商品なのだった。
私は、ドルックスとはこのマッサージクリームが初めての出会いだったが、クレンジングから化粧水、乳液まで一通り揃っており、その使い心地、その値段に長年愛しく使用しているドルクセーゼ(今アタシが考えました!)が、わんさかおるらしい。2ちゃんねるにはドルックス大好き人間の書き込みがたくさんあるというのだからいよいよ本物だ。

reyloさんのブログ「ONE LIFE, ONE DEATH」によると、上品な年配の方が「これだけは譲れない」といって長年愛用しているケースが多いようで、今や母娘で使っているのだとか。reyloが描くドルックスを使う女性のイメージは、昭和初期の背筋のしゃんと伸びた、真っ白なブラウスを着てアンティークな飾りがついた上品な帽子をかぶった女性なのだそうだ。あのレトロなパッケージを見ていると、なんだか私もそんなイメージがしてきた・・・。

で、注目すべきはドルックス化粧品のお手入れ手順。

クレンジング

マッサージクリーム

洗顔

一般化粧水

乳液

収れん化粧水
↓(夜であれば)
ナイトクリーム

クレンジングの後にはマッサージクリームでマッサージし、乳液の後でさらに収れん化粧水まで使うという手抜かりのなさ。でも一体「収れん化粧水って何じゃ!?」 化粧品に疎い私には?だったtので、同じくドルクセーゼのねいさんのブログを見ると、乳液の後でキュッと引き締める化粧水だということがわかった。乳液の後コットンで軽くたたくようになじませると、毛穴を引き締めてテカリにくくするのだそうだ。

ほ〜〜〜っ(*_*)

昭和初期の化粧品はなかなか細かいワザ持っとる・・・。
そして収れん化粧水、乳液はともに600円という、SKⅡもシャネルもぶっ飛ぶ、堂々たるお値段。
かつては私もスキンケアに高いお金を使っていた人間だが、高い化粧品だからっていいとは限らない。というのはつくづく感じておったが、正直言ってこれほどまで単価を下げる勇気はなかった・・・。なんか悪いもんでも入ってんのちゃうか〜と疑りたくなるわけですが、そもそもドルックスは当時は高級化粧品シリーズで、現在のクレド・ボーのような存在だったらしいから、その出自は確かである。それにこれだけ長い間使われてきて、訴訟問題も聞いたことがないし、店頭に存在し続けてるロングセラー化粧品なんだから、やっぱ根強い信頼に支えられてるからなんだろうな〜と思う。

あの入れ物もレトロですごく可愛く思えてきたし、お安いのでじゃんじゃん使えるし、全部揃えても5000円でお釣りがくる化粧品なんて、今のご時世では考えられませんぜ!
今、だんだん自分がドルクセーゼになっていく手応えを感じています・・・。


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食の値打ち

今日の晩ごはんはあっさり湯豆腐にした。
いや〜、昨日は二日酔いの上に、兄夫婦と共に上賀茂の今井食堂で名物さば煮定食、コロッケ・チキンカツ付きを食べて胃を酷使(かなり長い時間お腹が空かなかった・・・)。夜はもちろん酒ぬき、今日もあっさりしたものばかり食べて胃を労っているのであーる。

それにしても久々に訪れた今井食堂はいい感じだったな〜。ヤカンが無造作に置かれた脇に湯飲み茶碗が積まれ、あの古びたカウンターが取り囲む昔ながらの食堂。相変わらず混んでいたが、3日間煮込んで骨まで柔らかい、味がしみしみのサバはここだけの味である。みそ汁も具の大根たっぷりの大盛りだし、フライものも添えられて600円少々とは値打ちあるで〜!!ディープな店好きの兄夫婦はもちろん大喜びだった。

値打ち。

そう値打ちとはこういうことだと思うのだ。家で再現できない、そこだけが持つ味であり、サービスのこと。今井食堂のさば煮だって、赤垣屋のしめ鯖やおでんだって(そーいや一昨日からサバづいてるな〜)、そしてあの味わい深い店の雰囲気だって、そこにしかないものだから価値があるのだ。だから気持ちよくお金を払えるし、楽しい時間を過ごすことができる。

2,3日前にもとあるビストロで友人と食事をしたが、コースとワイン1本空けて1人6000円以上払った(ビストロって家庭料理ちゃうのん!?)。前菜からスープ、サラダ、お魚料理、お肉料理料理、デザートと一通りそれなりに出てきたが、私の採点では70点。それなりに見せてるが、ちょこちょこ盛り合わせてるだけで、どれひとつ印象に残らなかった。同じ予算なら、家で食べる方がずっとおいしいし、もっといいワインも飲めると思うと、お店を出た後なんだかとてももったいない気がして仕方なかった。・・・この頃そう思うことがホント多いのは歳のせいだろうか・・・。

「つまらない店を多く知るより、いい店をひとつずつ覚えていく」

池波正太郎の「食の作法」に、こんな言葉がある。今でも知らないお店にいろいろと行ってみたい気持ちはあるが、昔はそんな気持ちがもっとあったと思う。しかし最近では知らない店に入って好奇心を満たすよりも、つまらん店にあたってまずいものを食べさせられることの方がだんだん許せなくなってきているのだ。
それと"いかにも"って感じの店が我慢ならない。いかにも京町家のこじゃれたお店です〜とか、ちょこちょこ料理を盛り合わせただけの女性好みの料理屋です〜とか、お店の意図が見え見えの"いかにも"ってところがなんかムカつくし、居心地が悪い。東京でも今風の立ち飲み屋がたくさんできているそうだが、いかにもレトロな雰囲気で、昔ながらの立ち飲み屋風におしゃれに再現されているらしい。それも所詮エセ立ち飲み屋だ。実際の立ち飲み屋を知る人間は、なんだか恥ずかしくて入れないらしい。わかるな〜、その恥ずかしさ・・・。

本物かエセかは、文化があるかどうかの違いだと思う。
文化といっても、何も高尚なものでもなんでもない。今井食堂なら三日間煮込んだサバのオリジナルメニューを生みだし、昔ながらの味を守り続けている文化があるし、赤垣屋はお客さんを大切にしてきた庶民の酒場という文化がある。ちゃんとコンセプトを持って、おいしいものやサービスを追求している店には文化がある。だから流行りにのっかって、雰囲気だけを提供されてる店には満足できないのだ。高いお金を払って、つまらん料理と雰囲気を強要されることほど哀しいものはない。しかしこうして考えてみると、結局安くて美味い店が一番だということになるのかもしれない、私の場合。ちなみに池波正太郎の「食の作法」にはこんな一文もある。

「たまにはうんと贅沢をしないと、本当の「食」の愉しみやわからない」

なるほど、私がまだまだ未熟なのはこのせいだったのか・・・!贅沢にも、バブリーな男とも縁のない私などは、本当の「食」の愉しみなどこれからもわかりそうもない・・・(^_^)

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秋の京都、名勝&名酒場

今朝は久しぶりに二日酔い(* _*;)。
昨日兄夫婦が結婚式で京都にやってきたっため、夜一緒に「赤垣屋」で飲んだのだ。ディープな居酒屋好きな二人のために、自信を持ってお連れできる店「赤垣屋」で、ごきげんの酒盛り。ほっとけばずっと飲んでいる兄夫婦につき合って、店でビールに焼酎お湯割りをしこたま飲んだ後、家に帰ってからもワインを飲むという、普段はやらないチャンポン飲みをしたためか、朝方はえらいしんどかった。しかし今朝起きて兄夫婦のすがすがしい顔といったらどうだろう・・・。前の晩3時間ぐらいしか寝ずに新幹線に乗ってやってきたのに、昼間は結婚式でワインやシャンパンを飲み、飲居酒屋でもあれだけ飲んだというのに一晩寝ると、カラダから酒が洗い流されているようだ。私は一口も食べられなかったが、彼らはパンを食べ、コーヒーを飲み、朝食用に私が用意していた野菜クリームスープをおかわりしていた。鉄の肝臓、スーパー分解力の酵素を備えた二人とはカラダの出来が違う、ということを今日改めて確信した・・・(* *)。

MansyuinKoyo

えずきながらも車を運転し、朝食後は詩仙堂、曼殊院の観光へ向かった。
ずっとお天気が良く、暖かかった京都も、昨日から急に冷え込み雨もパラパラ。二人は自他共に認める雨男&雨女らしい。紅葉も部分部分では色づき始めているが、曼殊院のお庭の中はまだまだ。それでも美しく、雅やかなお庭を見ると心落ち着き、胃のもたれもいつしか収まってきた。地元にいると案外来ない場所だけに、私は完全に観光客気分でシャッターを押していた。

それにしても、京都の観光客は年々増えている。9割はリピーターだそうだから、いかに全国の人が京都好きかがわかる。昨日出かけた高台寺のライトアップといい、随分北の方に位置する曼殊院、詩仙堂でさえも、朝からえらい人だ。高台寺なんて、あまりに人がたくさんいるので立ち止まって見てられないし、がやがやしていて落ち着いて鑑賞するどころではない。おまけに作務衣を着たバイト君がチケット販売や誘導、靴脱ぎ場などに大勢いて、

「ただいま、ねねのお墓が大変混雑しており少々お待ち頂いております〜!」

ってな具合に至るところで声を張り上げていたりするし・・・。桜や紅葉の美しい季節であればあるほど、騒がしさと人混みが比例していく。「そうだ、京都行こう」のJRポスターのように、しっとり鄙びた景色にそそられる人は多いことだろう。しかしそれはもはや幻想なのである。京都の人気が出ることは有り難いことだが、静かに落ち着いた雰囲気の中で、しだれ桜や紅葉の名勝を見ることはできないのだと思うと、ちょっと哀しい気持ちもした・・・。
しっとり落ち着いた京都の古寺名勝を保護するために、JRは「もう、京都はやめにしよう」ぐらいのキャンペーンをはってくれれば・・・。なんて私は心密かに願っている(^^)

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希望の光、造顔マッサージ

昨日お昼を食べながら「徹子の部屋」を見ていたら、田中宥久子というヘアメークアーティストの人がゲストで出演していた。
私は知らなかったが、なんでも"造顔マッサージ"生みの親という、今最も旬の人で、前回放送であまりにも反響が高かったために、リクエストにお応えして登場したのだそうだ。たった3分のマッサージで見違えるように顔が上がると聞いて、仕事そっちのけで私は食い入るように見入った。

なんと言っても、61歳というお歳にはとてもとても見えないそのお顔そのものに強烈な説得力があった。本当にしわやたるみが全然なく、肌はツヤツヤテカテカしていてどー見ても40代後半ぐらいにしか見えない。
造顔マッサージはいわゆるリンパマッサージ。おでこから耳の下、頬から耳の下へとマッサージクリームを塗った顔をリンパの流れに沿ってマッサージするだけで、これなら私でも毎日できそうだ。素人のおばさんをモデルにして実演していたが、マッサージ後はホントにおばさんの顔全体が目に見えてアップしていた。

「たるみやシミは消えます!」

田中宥久子女史はハッキリそう言っていた。なんだか私にもハッキリ希望が見えてきた・・・(* *)。
ご自身も、紺屋の白袴、医者の無養生とでもいうのか、自分のことはあまりかまけず、40代で50何歳かに見られるくらい老けていたそうだ。それが今やこのツルテカ顔なのだから、この言葉にも説得力がある。
そもそも女優さんや俳優さんのメイクを手がけていた時に、前の晩飲んだくれたり疲れたりして、撮影前に短時間で顔を元に戻してあげるためにマッサージの研究を始めたそうだ。現場から生まれた優れた技術、いや〜、ますます説得力があるな〜。

はなまるマーケットのホームページにマッサージの詳しい手順が載っていたので、即プリントアウトして、昨日から私も早速始めてみた。本当にちょっとお顔が上がる感じがする。第一マッサージすると顔全体が引き締まった感じがして気持ちがいい。朝やると10〜12時間持つのだというからまたうれしい!!
最近本の著書紹介の写真を見て、見違えるようにキレイになったなーと思っていた林真理子はとっくの昔からの実践者で、田中宥久子女史を師匠と呼んでいるらしい・・・。あの変貌ぶりには造顔マッサージが隠されていたのか・・・。またまたその事実に心揺さぶられてしまう・・・!

さらに田中宥久子女史は語っていたが、こめかみのあたりから細い三つ編みを作って後ろでひっぱって留めておき、その部分を髪やカツラで隠すという超離れ業、"隠れツッパリ"もおすすめしていた。なんでも皮膚も形状記憶で、ひっぱってるとピンと張ってくるのだそうだ。なんと黒柳徹子はたまねぎ頭の下でこの三つ編の"隠れツッパリ"をやってるらしい。あのたまねぎ頭にはそんな技も使える便利な利点があったというわけだ。なるほど・・・。私ももう少し年を取って重力に耐えられなくなってきたら、たまねぎ頭にしてたるみを挽回するとしよう。高い化粧品も注射もいらない、アンチエイジングには造顔マッサージと隠れ三つ編み。これからはこれでっせ!

ええこと聞いたわ、ホンマ(^ ^)

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いざとなったら

神戸に住むY子が京都に来るというので、夜一緒にごはんを食べた。
すっきりショートカットにしたY子は、長く病気を患っていたような気配もなくすっかり元気な様子。ビストロでワインを1本頼んでよく食べ、よく飲み、よくしゃべった。
Y子はスッチー時代の友人だが、本当は理系を目指していたというだけあってとても頭が良い。ろくに勉強をしなくてもtoeful900点以上を取ったとか、共通一次の数Ⅰは一番だったとか、私なんかぽか〜んとしてしまうくらい頭のいいエピソードに事欠かない。今も大学院でプラスチック再生の研究をしてみたいという(プラスチックの再生についてなど、一体どんなタイミングで考える機会があるのだろう・・・)。
病気でちょっと小休止していたが、それもだんだん良くなってきてるようなので、これから学習塾などをやりながら仕事をしていきたいと言っていた。いや〜、なにより、なにより・・・(^^)。

しかし頭の良い人というのはいいよな〜
いざとなったらその頭で稼げるのだから・・・。頭の良くない私などは、いざとなったら何で稼げるのだろう!? それを考えると、眠れなくなりそうなので、いざとならないように明日から一層健康に気を配りたいと思う・・・。

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ほのぼのモスバーガー

打ち合わせ終わりで、本町のモスバーガーで遅めのお昼を食べた。
お店に来るといつも思うのだが、モスバーガーの試みというのはとてもわかりやすい。メニューそのものや店内にある宣伝ツールなどにお店の姿勢が集約されているからだ。きっとマクドナルドとの差別化を図ろうというのだろうが、マックと違うのは随分前から"質"のアピールをし続けている。どこどこ産のお肉、どこどこ農家○○さんのお野菜ってな具合に、どっかのスーパーみたいに生産者の見えるやたら安全な食を強調している。

さらに最近は健康志向である。驚いたことに、今では指定するとパンの代わりに、ハンバーガーや照焼チキンをレタスで包んで食べることができる、"菜摘(なつみ)"というメニューがある。そして店内で目についた「やさいが、やさしい」というキャッチコピーのポスター。野菜がたっぷりのっかったスープごはんとサラダごはんのメニューだ。他にもモス畑のサラダやシーザーサラダ、にんじんとトマトのジュースやこんにゃくゼリーなんかもあり、さらに今のシーズンはミネストローネなどの野菜いっぱいスープも売りのようだ。栗と玄米餅のお汁粉まで出すとは、なかなか勇気がある。

店員さんもマクドナルドほど事務的でなく、ほどほどに愛想がよくてきぱきしている。オーダーを待っている間、トイレに立ったら、ちょうどマネージャーっぽい人がセットのポテトと飲み物が運んで来るところだった。でも私がトイレに行くのに気づいてすぐに引っ込め、トイレから帰ったところで温かいものを出してくれた。なんだか旅館の仲居さんのような気遣いだ。

そしてオーダーしてから作るミートソースとオニオンたっぷりのモスバーガーを頬張った。モスのハンバーガーは美味いんだけど、ナプキンなしでは食べられない。食べ終わった後は、包み紙にたっぷりはみでたソースやマヨネーズ、オニオンやらが残るのは私だけだろうか・・・。とか思いながらふとお店の入り口の方に目をやったら、ガラス戸の陰から通りに向かって小さな黒板が出してあった。そこにはこんなメッセージが書かれていた。

11/8(水)
暦で立冬を過ぎたら急に気温が下がり、
こがらし一号も吹いて寒い一日になりました。
今日はどんなお天気になるのでしょう?
モスバーガー本町店

きっと毎日店長さんか、マネージャーみたいな人が毎日メッセージを書き込んでいるのだろう・・・。普通なら「今ならセットで200円おトク!モスバーガーセット」なんて言う言葉を入れたいところだろうが、あえてこんなメッセージにしたところに、なんとなくお店(会社?)の姿勢が伺える。全社的にこんなことやってるわけではないと思うので、このお店の店長さんが起点を効かせたアイデアなのだろう。毎日言葉を変えて書いておられるんだろうが、この黒板のメッセージを一体どれくらいの人が目に留めるだろう・・・。
でもムダなことを一生懸命やってるところがなんだか好感が持てるし、なんでもがマニュアル化して当然のファーストフードに、ちょっと人間ぽいエッセンスが浮き彫りになって私は少しばかり心が和んだ・・・。

レタスで包む菜摘やスープごはんも食べてみたいが、今度来たら、黒板になんて書いてあるかが一番見たい気がする・・・。

Moss

携帯で撮ったのでちょっと見にくいです(* *)

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蚊、秋の乱

かゆ〜〜〜〜い!!
この間庭の草取りをしていたら、この肌寒いのにまだ蚊がぷ〜〜んと飛んでいて、今時の蚊は弱々しくて刺しても大したことないとみくびっていたら、いつの間にか噛まれていた。この時期の蚊、なめてたらエライ目にあいます・・・(ーー;)

蚊ぐらい・・・ムヒぬっとこ。

で終わってしもたら夜中にえらい痒くて痒くて、眠れなかった。そして朝起きたら、これほんまに蚊!!?マムシかなんかちゃうのってゆーぐらい、太ももの内側とおしりが腫れ上がっていた。特に太ももはたんこぶができたように膨れ上がって、かきむしったために真っ赤になって見るからに痛々しい・・・。ニットっぽいスパッツ姿だったからまた悪かったのだろう。布地の間からきっと刺し放題、牛乳1パックすらもらえずに私のおいしい血液をたっぷり持ってかれてしまったのだ・・・!

おまけに一夜明けても腫れはおさまらず、しかも、痒い箇所が増えている・・・。衣服にくっついてベッドにダニを持ち込んだらしく、眠っている間にさらにダニに噛まれて私の柔肌はもう蚊とダニの餌食状態・・・(* _*;)気持ち悪くて眠れやしない!

今朝は朝起きてすぐふとんや枕を皆干した。
すると折からの木枯らし第一号。お山の上は物干しのふとんさえ、ふっとばしていく強風。まったくついてない。

ぐわらぐわらぐわっっしゃ〜ん

ついに盛大な音に庭を見るとせっかく干したふとんが物干し竿ごと地面に散乱している・・・。どーすんの、また新たなダニがくっついてたら!私は狂ったようにふとんをはたいて取り入れた。

それにしてもまだ太ももは完全に腫れがひかず、まだ痒い。夏場にもこんなひどい噛まれ方をしたことはない。一体どんな蚊なのか、手足にもダニの生々しい食い痕・・・。ああ、可哀想なアタシ・・・(+ +)
今日は眠るのがちょっと恐い・・・。


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脱ソープ、雄琴温泉

Ogoto

取材で雄琴温泉を訪れた。
雄琴といえばソープというほど、関西、いや全国的に強烈な歓楽街のイメージがあり、近郊に住む人間さえ、長らくここに正統な温泉街があるとはあまり知られていない。そもそも雄の琴という地名もなんだかイヤラシー感じがしないでもない・・・。 が、今日知ったのだが、実は平安時代、小槻氏今雄宿彌というこの地に住む貴族の邸宅から琴の音がよく流れてきたことから、雄琴という名がつけられたという美しい所以があったのである・・・。イヤラシー勘違いをしていた自分が恥ずかしくなる・・・(-_-;)。しかも開湯したのは、あの天台宗の開祖最澄と伝えられ、1200年の伝統を誇る由緒正しい温泉地なのである。その伝統の地を蘇らそうと、雄琴温泉はここ数年、各旅館が美しくリニューアルアップしており、地域を上げてイメージ払拭に躍起になっている。

ソープランドは昔はそう、トルコ風呂と呼ばれていた。
そりやあ、トルコ人なら誰だって怒るだろう、自分の国の名前がそんなところに使われていれば・・・。やがてソープランドとなったのだが、雄琴に完成されたのは1970年代前半らしい。石川県の温泉でトルコ風呂を経営していた人(石川県出身のお風呂屋さんというのは関西にホント多い。なぜなんだろう・・・?)が雄琴の地に1号店をオープンさせたのが始まりという。以来多い時で50軒を超え、今は40軒程あるらしい。それが多いのかどうかは知らないが、まだ30年そこそこで全国に名が知れたソープランド王国となったのは、やはり湖畔で人里から少し離れた立地故か。

湖畔というと、アメリカのミシガン湖だって、スイスのレマン湖だって、ベトナムのホアンキエム湖だってみんな美しく市民の憩いとなる場所である。それがこんなに薄汚い湖畔は世界有数なのではないだろうか。特にこの湖西線側の西大津から雄琴あたりにかけて161号線沿いに走ると、いつもその醜悪さがやたら目につく。薄汚れた昔からの店舗や住宅、工場の合間に、ラブホテルやファミレス、コンビニ、釣具屋などが雑多に並び、街並みも景観もおかまいなしの看板が大小露出している。そして夜を待つネオンの光が鎮まった歓楽街。せっかく日本一大きな湖に恵まれた絶好のロケーションなのに、なぜ滋賀県はもっと美しい湖畔へと整備しないのだろうか・・・。つまりバッドイメージはソープランドだけではなく、街全体が醸しているのだ。市は雄琴観光地計画を目指しているようだが、街全体のトータルな意識というか、洗練度が低く、雄琴温泉だけがイメージアップを図っても、例えば湯布院などのように本質的な観光地への脱皮は見込めないと思う。

かつてはきっと歓楽街のお陰で旅館に客を呼べた時代もあったのだろう。
社員旅行などでソープ目的で雄琴温泉を訪れる客もたくさんあったに違いない。しかし今はもうそんな時代ではない。そんなことしていたら会社の節度や社会性が問われるし、ソープ以外の風俗も今はたくさんある。正統な旅館で勝負する以外にない今となっては、眼前にあるソープ街というのはすぐにでも消えてもらいたい場所なのだろう・・・。

なんて話は今日伺った温泉組合でするわけはないが、旅館業を営む方々は生き残りをかけて必死だろうと思う。莫大なお金をかけて、ここ数年で次々とリニューアルオープンし、パンフレットを見る限りどこも皆今時の風情あるお風呂やお部屋に様変わりしている。実際新しくなった旅館はとてもきれいだった。2年前に実際訪れたびわ湖「花街道」は、ズバリ女性をターゲットにした温泉旅館として美しく生まれ変わっていた。イメージアップキャンペーンもはかって、随分お客さんは増えたようだが、未だにソープ街のすぐそばとあって子供に見せたくないから、と渋るファミリー客も多いらしい。旅館の中にさえいればいいんだけどな〜。でもせっかく温泉に来るなら、旅館からふらっと散歩できるような場所があったり、眺めのいい喫茶店があったり、小綺麗なおみやげ屋さんがあったり、ということも望んでしまう。それが旅ゴコロというものだろう。

Hanakaido
今雄琴では需要客増加で、今新源泉の掘削工事も行われており、1200年前の温泉が再現されたり外湯ができたり、ますます観光地として生まれ変わっていく予定である。街全体がきれいに生まれ変われば、ソープランドの一角ぐらい温泉街によくある風俗の名残として気にならなくなるかもしれない。それにはやはりスポットではなくトータルでイメージアップを図って欲しい。それが湖畔の街としての付加価値を生んで、永遠の財産になるのなら街にとっては安いものだと思う。

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太っ腹母ちゃん

今朝宅配便が届いた。
「は〜い」と受け取って見ると、岩田屋の包装紙にくるまれた荷物の送り状には、見覚えのある達筆な字が並んでいる。
母である。
開けると予想通り、玄界灘のとれたて魚の干物だ。この時期は一層美味しい時期だ。それも鯛に、カマスに、アジに、鯖に、10匹ぐらい入っていて、一万円近くはするだろう・・。さらに明太子も一緒に添えられていて、大ぶりのものがたっぷり入ったこのサイズなら5000円以上はする。とアタマの中ですぐに計算してみる私・・・・。家族がいるわけでもないので、こんなにたくさんはいらないのだが、セコセコしたことが嫌いな母は、いつもドカ〜ンと送って来るのである。

太っ腹な母に対し、ケチ臭かったのは父の方である。実家から町中へ行くには近くのICから高速道路にぱっと乗ればすぐなのだが、たった500円という高速代が惜しくていつも下の道を使っていた。子供の教育費だとか、家計に関して全然ケチケチしていたわけではなく、高速代500円という目先のお金にやけにセコイのである。
こーゆーところはそっくり娘が引き継いでいる。銀行でお金をおろす時、6時を過ぎて手数料を取られるとものすごい損をした気持ちになる。たった105円なのだが、それをとられるのがとても惜しい気がしていつも6時前にあわてふためいて駆け込んでいる。違う銀行同士でかかる振り込み料はもっともったいない気がして、わざわざ車で移動し同じ銀行で振り込んでいる。

という話をかつて母にしたことがある。すると「手数料って?」という言葉が返ってきた。
時間外や土日に銀行からお金をおろすと、手数料がかかっていることをなんと母は知らなかったそうだ。「だって手数料なんか気にしたことないも〜ん」だって。さすが太っ腹母。私もそれ以上説明はしなかったが、一瞬母を母としてでなく、お金に余裕のあるイヤミないち主婦という目で見てしまい、妬ましいようなような羨ましいような気持ちを抱いてしまった・・・。

とはいえ、太っ腹な母のおかげで恩恵を被っていることは多い。今日のこのお届け物もそうだ。本当は納豆と卵焼きぐらいがオカズだったはずだ。それがお昼前のちょうどいいタイミングで届いたものだから、ここらあたりでは手に入らない脂ののってジューシーなカマスの干物でおいしいお昼ごはんを食べることができた(ちなみにごはんを2杯もおかわりした)。ありがたい、ありがたい!思わず私は太っ腹母のおいでになる九州方向へ向かって手を合わせた・・・(^^)。母とは、いくつになってもこうして手を合わせたくなる人なのである。

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青空古本まつり

Furuhon

今日もお天気。
洗濯や掃除を朝のうちに済ませてバスに乗った・・・。向かった先は、百万遍の知恩寺で行われている「青空古本まつり」。このあたりに住んでいながら、初めての試み。いつも行こう行こうと思いつつ、ついつい今日に至ってしまったのだ。
中に入ると境内いっぱいに古本がわんさか積まれたテントがたぶん20近くある。
本もたくさんあるし、テントもたくさんあるし、どのくらい力をセーブしながら見ていけばいいのか、どのタイミングで本を選べばいいのか要領がつかめないまま、結局一つひとつ丹念に見ていった。

3つめのテントで早くもゲット!
森林の写真で覆われた、ひときわ大きなハードカバー、ヘンリー・D・ソローの「森の生活」。中もとてもきれいなのに、わずか800円でいただきました(^ ^)。この調子でいくぞ〜と思っていたら、お目当ての俳句の本には苦労した。俳句の本は多いだろうから、他にもあるだろう、他にもあるだろうと思って見て回っているうちに、最初に見て気に入った本はどこだったかがもうわからなくなっているのだ・・・。結局全部のテントを見て回るのに、2時間はかかった。もうこのあたりで足も疲れて、お腹も減って、気力は随分萎えてくる・・・。よく似たテントでよく似た陳列。気力も萎えてきたところで、チェックしたその一冊を探すのは難しい。古本市に来たら、やはりその場でその場でゲットしていく方が賢明なようだ・・・。それにしても、山口誓子の俳句の本、面白そうだったのにな〜・・・

結局「森の生活」と、アニータ・ブルックナーの「秋のホテル」の2冊を買っただけで、心残りの本も随分ある・・・。
骨董や道具好きが高じて、身をつぶしていくという中里恒子の「うつつ川」という本にはなんだか妙に心惹かれていたのに、置いてきてしまった・・・。ウズラの焼き時間から用語の一つひとつまで丁寧に解説されているフランス料理本や魯迅の短編集、白州正子全集や蕪村の覚え書きなどなど・・・なんかもう2時間も見て回ると疲れてしまってその時はもうどーでもよくなってしまったんだけど、今となるとちょっと惜しい・・・。

と思いながら知恩寺を出ると、出ても古本屋さんがある。そうこのあたりは京大にほど近いので昔から古本屋が多いのだ。で、とある店頭に、カゴに入った文庫本が3冊100円となっていた。なんというお安さ!心残りを抱えたままの私はすぐさまそこからぱぱぱっと、向田邦子と瀬戸内寂聴と原田康子の本を選んび、うず高く積まれた古本で前が見えない店内に入って100円を払った(古本に埋もれるようにして出てきた店主は宅八郎そっくりだった)。
これで今日の収穫は合計5冊。ずっしり重くなった袋を抱えてまずまず私は満足した・・・。古本買いというのはなんだかハンティングのようだ。掘り出し物をねらいつつも、獲物の数も欲しい。そこそこの収穫を得たので今日は良しとしておこう。それにしても古本選びというのはなんだか奥が深い。京都には古本ソムリエ(そんな職業が社会的に認知されているんだろうか・・・?)なる人もいるらしいから、なんじゃそれ?と思っていたが、ソムリエなる所以も理解できるような気がする・・・。

今年の教訓を活かして、次回の古本市はもう少し戦略的に攻めたいと思っている・・・。

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激烈岩盤浴

昨日の岩盤浴は凄まじかった。
入る前に「これ、飲んどく〜?」と言われて、ロッカールームでYちゃんから与えられた一包の顆粒状サプリ。Yちゃんはいつもジムのトレーニングの前に飲んでいるという。成分をちらっと見ただけではよくわからなかったが、確かトウガラシの成分とかが入っていた・・・。

岩盤開始。
最初の3分は手足の先を床に着けて仰向けに寝ころぶ。次の5分はうつぶせになる。そして最後は仰向けで10分。私の通う岩盤欲はこれが1セット。入る前に、特設の水をたっぷり飲む。夏の頃は1セット目からよく汗が出ていたが、さすがにこの季節になると冷え性の私はいつもなら1セット目ではうっすら汗。しかしこの日は首筋にたらりと流れる汗が確認できた。ちょっと休憩して水を飲んで2セット目となると、もう指の先からふくらはぎの裏まで毛穴という毛穴から汗が噴き出し、なんかカラダ全体が燃えてる〜っ!!て感じだった。
休憩をはさんでさらに3セット目へ。3セット目となると多少苦しいところもあるので、途中でヨガなんか始めて気をそらしたりしてると、もう搾りきれないくらい汗が出て、全身ビショビショ!

岩盤浴から出てくると、もう燃えつき症候群・・・。出し切った〜・・・って感じ!!
全身が心地よい虚脱感で、ひどい肩こりも解消! 身体の芯から温まって、口の中が乾いたような、ホントに代謝&燃焼した後っつー感じだった。岩盤から出ると割とすぐに冷えていく方だったが、この日はずっとポカポカ。Yちゃんがくれたサプリは一体どんな成分だったのだろうか・・・。次もぜひいただきたいものだ(^ ^)。

しかしこんなに疲れて今晩はぐっすり眠れるかと思ったら、その後遅くまでYちゃんとカフェでおしゃべりしていたためか、家に帰る頃にはカラダも冷えてきたためか、アタマが冴えてきて眠れない・・・。おまけに岩盤浴に行った日は、毒素がいっぱい出るのですごくおしっこが近くなる。1時過ぎ、2時過ぎとトイレに行って、それからやっと眠りにつけた・・・。結局睡眠不足で今朝起きた時にはまた肩こり気味に・・・!

あ〜、なんだったんだ、昨日のあの心地よさは・・・寝不足のため今朝は疲れが全身に残って、肩も再びコリコリ・・・。結局むやみに身体を疲れさせ、腎臓を酷使しただけのような気がしないでもない。
ま、いっか〜明日から三連休だし・・・(* *)お肌はツルツルなったし〜(今日だけ)


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