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大人への階段2

うん十年生きてきた今のアタシが思う大人とは、

・経済的にも精神的にも自立している。
・孤独を武器にできる。
・何かを与えることができる。

こんな感じかしら・・・。
やっぱり大人は自立している。稼ぎがあって、自分自身をちゃんとコントロールできるどっしりとした気持ちを持っていることは絶対条件だと思う。自分が主婦の立場じゃないから言えるのかもしれないけど、やっぱり経済的な自立って、男女を問わずいち大人の在り方としてすごく大切なことだと思う。かといってダンナや子供をささえている専業主婦が大人じゃないとは全然言えないと思うけど、まず私が理想とする自立の要因としては、仕事の責任や自己犠牲を通して社会にさらされてるっていう環境がひとつの条件だと思ってる。そして精神的にも自立している人は、どんな時でも自分で考えて自分で答えを出せる。ある意味自分というものをよ〜く知っている人ってことになるのかもしれない。

それにつながるとも思うが、孤独を武器にできる人というのは「大人〜!」って思う。

孤独というのは淋しく、不安で、荒涼としている。自分にしか向き合うところがない。それはいろんな場面で訪れると思うが、若い頃はそれにぶち当たるとやっぱり逃げ出したくなる。誰かに甘えたり、頼ったり、群れたり、私なんて今でもぜ〜んぜんそうだ(* *;)。だけど孤独を恐れず、むしろ心地よいものかのように受け入れてる人って、なんか肝が座ってる。肝が座ってるから何があってもうろたえないし、他人にあれこれ言わせない自分自身の生き様を持ってる。自分自身を持っている人って言うのは、それだけの底深い度量がある。だから人にも何かを与えることができる。

ってことで次の大人の条件は「与える」ことができる人ってこと。

夫も子供もいない独身で、好き勝手に生きてきたが故に、普段あまり人に「与える」ってことがない私は、近頃この言葉に敏感である。そりやあ、プレゼントをあげたり、ごはんをご馳走したりってことはあるが、「あげる」のであって「与える」のではない。

これは大きく違う。

あげるのは責任も何も関係ない、単に物理的な贈与だ。けれども与える場合は、もっと尊い。与えることによって自分が他人に対して影響力を持つということ。親鳥が餌を運んできて雛に与えるように、親が与えることによって確実に別の生命をささえてるという影響力を持つ。そして与え続けなければ死ぬという責任も派生する。つまり、それが本来大人の条件として最も求められている義務であり条件なのかもしれない。子供でなくとも、夫や年老いた親の面倒をみている、でもいいと思う。自分の存在によって誰かをささえてるということは、素直にすごく大人なことだと思う。

しかし、

子供もいなければ、母親はピンピンしているし、第一彼女は私よりずっとお金持ちだ。たまに実家へ帰るとええ歳こいた娘に小遣いを渡そうとするくらい、私に何かを与えられることはみじんも予想していない。
では私の仕事で何か「与える」ことができるかと言うと、しゃーないなー、と憐れみながら人に仕事を与えられることはあっても、私が仕事でえらい業績を与えたことはない。トップセールスマンとして会社にズバ抜けた影響を与えるわけでなし、私の書いた文章で人の命が救われたこともない。
最近「与えた」という実感があるのは、ウチにやってきた野良猫に一時餌をやってたとこぐらい。しかし全然なつかずある時手を出したらものすごい勢いでひっかかれたので激怒し、それから無視し続けたら、そのうち隣の家のコになっていた・・・。

猫にまで相手にされない始末である。

つまり、今のところ私は誰にもどこにも何も与えられていない・・・!!
生きていてこんな心苦しいことはない。
ならば、アタシのこのカラダで・・・・。

ってことで、この間仕事先にあった「骨髄バンク」のパンフレットを密かに持ち帰ってきた私(^ ^)。
しゃーない、この際骨髄やろうが、内蔵やろうが、眼球やろうが、死んだらくれてやろーじゃないの他人様に。死んだら、社会にお役に立てると思えば、多少生きている気持ちも救われるというものです・・・。

それにしても、新たに定義した大人の条件にも見事にどれひとつあてはまっていない。さすがの私も、こんな調子だと一生大人になりきれない、というのはもはや目に見えてきた。

無理!!

どうせ死んでからカラダでお支払いするんだから、
もうちょっとやりたいよーに生きさせてもらおう(^_^)。
結局こんな結論に達し、うん十回目の誕生日を過ぎても一向に成長しないワタクシでした・・・。おわり

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大人への階段1

実家に帰ってる間にすっかりサボり癖がついてしまい、そうこうしているうちにもう9月も終わろうとしている。
その間に私はまたひとつ歳をとり、愕然とするやら唖然とするやら・・・。お肌の衰え、体力の衰えはもちろん、確実に歳を重ねているのにちっとも大人になっていない自分の姿に、いいようのないあせりと恐怖を感じてしまうのだ。いつからだろうか、誕生日というがちっともめでたくはなく、そんな不安やあせりを目の当たりにする「魔の日」となってしまったのは・・・。

そう、私は社会ではれっきとした大人のはずである。

しかし自分がイメージしていた大人にはほど遠い。子供の頃は、大人っていうものをこんな風に定義づけていたように思う。

・スーツを着てハイヒールを履いて腕時計して、定期券を持って毎朝決まった時間に仕事に出かける(ハイヒールや定期券といった小物は大人の象徴だ)。
・海水浴やプールに行っても、キャーキャー水遊びする子供達を服を着たまま日傘なんか差して水際で見守っている。
・元旦の日、年賀状がものすごい量でくる。
・自分のドレッサーを持っていて、きれいな瓶の化粧品や香水をきちんと並べている。
・夏休みも遠足もない、さして面白くもなさそうな生活を毎日淡々と送ることができる。

子供心に戻り思いつくままあげてみたが、これらを分析すると、どうやら私の感じていた大人というのは、きちんとしていて心の乱れがない、いつも達観したようなまなざしを持つ安定した人のことのようである。

我が身を振り返ってみると、ほとんどあてはまっていないことに再び愕然としてしまう・・・。
海やプールへ行けば、我先に飛び込んではしゃぐまくるし、スーツや腕時計は持っていても、フリーの仕事だから毎朝定期券を持って仕事に出かけることはない。もちろん役職などなく、有名人でもない自分には大量の年賀状も届くはずがない。さらに私の愛用する「米ぬか美人」という化粧品は(名前からして美しさや妖しさとはかけ離れておる)、おせじにも美しいとは言えないプラスチックの容器に入っているし(でも中身はとても良い!)、ドレッサーの上はいつ見ても乱雑で全然片づいていない。それにフリーだから収入は安定していないし、いちいちその日あった出来事に左右され、泣いたり叫んだり、うつつを抜かしたりして乱れまくっており、淡々と送る日常とはおよそかけ離れている。

見事に合致していないアタシの大人像。
一体、この現実を自分の中でどのように整理すればいいのか・・・。

そのギャップにおののきながらも、しかし、と私は思う。
子供だった頃は表面的な大人の様子だけで、大人というイメージを勝手にイメージしていただけ。私が接した近所のお姉さんやいとこ、友達のお兄さんなんかにも実は裏の姿があったはずだ。失恋して泣いたり、仕事で失敗して飲んだくれたり、夫婦げんかして罵り合ったり、隠れてエロ本見たりもしていたことは大人になった今だから容易に想像がつく。
そういえばいつも綺麗でニコニコしていた近所のお姉さんの家から、夜親子げんかする激しい声が聞こえてきて驚いたことがあった。金きり声で叫びちらす声が聞こえ、茶碗が割れるような音もした。綺麗なお姉さんの姿とその激しい争いの様子が一致せず、子供ながらにショックだったことを覚えている・・・。次にお姉さんを見かけた時にはなんだか見てはいけないものを見たような気がして、上手く笑えなかったように思う。

うん十年生きてきたが、知性がありきちんと落ち着いていて、日々のどんな出来事にも達観して生きている人なんてそうザラにいない。だけどそんな神様のような人って、実際会うと面白味も魅力もないと思う(そんな人に出会ったことがないからあくまでも推測だが)。苦しんだり、傷ついたりした経験に共感したり、バカなことや恥ずかしいマネをした経験に親近感を感じたり、そう、人間の面白味って、汚れや毒の混ざり具合なのかもしれない。
図画の時間によく体験したことだが、絵の具で絵を描くとき、色を作ろうと思って絵の具を混ぜていくうちに、どんどん汚い色になっていくことがある。恐ろしいほど汚い色になるんだけど、あせっていろいろ配合を考えながら色を加えていくと、そのうち思わぬ深みのあるいい色が出せることがある。そんな感じなんじゃないだろうか、人間の面白味なんてのも。絵の具から絞り出したままの単純な色ではなく、混ぜ合わせるうちに深い色味を備えていくように、歳を重ねる過程できれいな部分と汚い部分が混ざり合っていくうちに、人間の深みも出てくるのかもしれない。

おっと、冒頭の不安が別の方向へそれ、まんまとねじ伏せにかかってしまってる自分がいる・・・。こういう厚かましさだけは既におばさんの域に達しているのかもしれない・・・ひや〜っっ!!

人間の面白味とは別に、じゃあ一体、大人ってどんな人のことなんだろう・・・?

次回へつづく

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焼きそばまん

下鴨のフレンドフーズで、「焼きそばまんで」なるものが目に入った。
ありそうでなかった組み合わせが面白そうだし、神戸の中華点心「庖鼎苑」オリジナルってあるし、美味そうだ。

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コンビニのとはちと違う、しっかりめの中華まんの生地に、甘めのソースにからんだ焼きそばが詰まっている(袋の写真のようにぎっしりは詰まっていない)。焼きそばパンに入っているのよりは少し太めの麺。
う〜ん・・・
まずくはないが特に美味しくもない。肉まんやカレーまんの合間にたまには食べてみっか、てな感じ。やっぱりコッペパンの方が合うような気がする。私はそのまんまではちょっと物足りなかったので、酢に芥子をといたものをつけて食べてみた。焼きそばが甘すぎるんだな、ちょっと。

焼きそばはそのままでもおいしく食べられるメニューだが、焼きそばパンや焼きそばまんみたいに具として使われたり、モダン焼ではお好み焼とドッキングしてしまうコンビネーションも発揮してしまう、なかなか"タレント性"あふれるヤツである。昔アメリカ人が、ポテトサンドが理解できないと言っていたことをふと思い出す。アメリカではパンもポテトも主食で、主食に主食をはさむなんて・・・という訳だ。日本でいうならごはんにお寿司をサンドするようなものだろうか。確かに・・・(* *;)
しかし日本人は主食×主食が大好きな民族だ、特に男子は。ラーメンライスに、うどんとかやくご飯、焼きそばだってパンにはさんじゃうし、学食ではざるそば×白いごはんを食べている男子をよく見かけた。女子はあまり好ましい食べ方ではないかもしれないが、時々焼きそばまんなんかでお腹いっぱいになる私も間違いなく日本民族のようだ。

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京都駅ランチ

お友達と、突然ランチをすることになった。
ちょうど便利の良い京都駅で。しかし京都駅周辺にはこましなものを出す店が意外と少ない。混み合ってるし、おいしい所は高いし・・・。そこで仕事仲間から小耳にはさんだ穴場が、セントノームホテル。数年前にできた新しいホテルだが、駅からちょっと離れているのであまり人に知られていないし、ランチの候補に挙がることすらなかったところだ。
館内の飲食スペースは、カフェレストランと日本料理のみ。お昼時からか、結構人が入っている。私達は1階にある日本料理、京料理「山水」へ。ここの料理長は以前に「料理の鉄人」に出演されたらしく、お店の表にはその際の華々しい記念写真がドーンと掲示されていた。なんとなく期待してしまう・・・(^^)

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ランチメニューは何種類かあったが、とりあえず初めてなので週替わりの昼膳をオーダー(カメラを持ってなかったので携帯の画像で失礼)。
生湯葉や鯛、鮪等のお造り盛り合わせ、天ぷら、お野菜の和えものがちょこちょこっとレディースサイズで。他にみそ汁、ごはん、お漬物がついて1,570円。なんとご飯はお代わり自由らしい。どうりでお漬物がたっぷりある。
お造りは少なかったが美味しかった。男性諸君には間違いなく物足りないだろうが、妙齢の女性には(当然店内には若人はほとんどいない・・・^ ^;)量はちょうど良いし、落ち着いて食事ができるのでこのお値段でこの内容はなかなかグッド。お友達も満足げ。特に雰囲気が良いとか、窓からの景色が美しいというわけでは全然ないが、ランチには十分。母親と来るのにぴったりの店って感じ。蒸し寿司のセットやもっと豪華な懐石料理もあったので、次回はこれらにチャレンジしてみたい。

デザートはないので、伊勢丹5階にある「都路里」へ向かって移動。
しかし!!それは誤算でした・・・。
なんと「都路里」の前には人があふれている。最後尾のところには「これより30分以上はお待ちいただきます」の立て看板が置いてあり、絶句・・・。祇園の「都路里」も常に長蛇の列だが、ここもすごい人。平日のお昼間というのに、どこからこんなに人が集まってくるのか。すさまじき、甘党執念! 待ち時間は少なくとも30分で、40分、1時間かもしれない。タイムリミットのある私達はこんなところでボッサリ30分以上も待つわけにはいかない。あきらめて、別のカフェへ。友人はここのパフェを食い尽くすことを夢に見ながら電車に揺られてやってきたというのに・・・。次回は午前中、開店する時間帯に来ようと私は彼女を慰めた・・・(* *)

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と、いうわけで私はクリームブリュレ。友人はニューヨークチーズケーキをオーダー。クリームブリュレ、おいしかったけど、私にとってこの量はちょっと多すぎる。久々に、スイーツでお腹にどっしりときた。
それにしても、恐るべし「都路里」。平日のお昼間だと侮ってはいけない。潜在する都路里ファンは、ものすごい数存在している。ちょっと甘いもんでも、なんて感覚で気軽に訪れることのできる店ではないことを今日改めて認識しました・・・(* *)

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ゆず胡椒ドレッシング

クライアントでもある某百貨店の地階食料品売場の方から、ゆず胡椒ドレッシングなるものを教えてもらった。このドレッシング、結構気に入っていて、最近よく登場している。特に鶏肉や豚肉などを交えた、"鳥獣サラダ"によく合う。

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豚ヒレ肉は薄く切って、包丁の背で叩いて筋を切り、塩胡椒したらニンニクで香りを出したオリーブオイルでこんがり焼く。今回は水菜とルッコラ、赤ピーマンと一緒にゆず胡椒ドレッシングであえてみた。教えてもらったドレッシングは、すし酢にオイルとゆず胡椒を混ぜるだけ、という超簡単レシピ。すし酢は既に味がついているので、オイルと混ぜるだけでおいしいドレッシングになる。けれどもウチにはすし酢がない。そこで普通にオリーブオイルにお醤油(だし醬油でもよし)、白ワインビネガー、そしてひとつまみのお砂糖を混ぜてつくる。

ピリッと辛味があって、でもお砂糖ひとつまみのお陰でまろやかな味わい。野菜だけだと、ちょっとドレッシングがたちすぎるが、鶏肉や豚ヒレ肉のソテーと合わせれば、ぐんと調和がとれる。メインがなくても、このサラダとパンだけで十分なディナーになり、低カロリーの豚ヒレ肉となら美容にもぴったり。さっぱりしていて白ワインともよく合う(^ ^)~

ゆず胡椒。どのウチにあるというわけではないが、ウチにあっても冷蔵庫で眠っていたり、どんな風に使えばいいのか考えているうちにいつもの味に落ち着いてたりして、なかなか登場する機会がないスパイスではないだろうか・・・。でもこれってなかなか使える、奥深い味を持っている。おいしい応用編をこれからも編み出してみたいと思ってマス(^ ^)。

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無罪のハンバーグ

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ジューシーなお肉をデミグラスソースで味わうハンバーグも大好きだが、最近は美容と健康のためにはこんなハンバーグをよくつくっている。

合い挽き肉をこねて粘りを出し、玉葱ではなく白ネギと椎茸のみじん切り、ゴボウのささがき、それにひじき(くらこんの水で戻さなくて、そのまま使える芽ひじきが便利)を入れてよく混ぜ合わせる。さらにもめん豆腐を水切りしたものと玉子を入れてさっくり混ぜ合わせる。胡椒と、塩は思ってるより少々多めぐらいで丁度良い。れんこんや長芋をすっていれたらふっくら仕上がる。これで具は出来上がり。和風ソースが合うので、だし汁にお酒、お醤油、みりんを煮詰めて(10分ぐらい)濃いめの味付けにして、最後に生姜の絞り汁を入れて水溶き片栗粉でとろみをつけたら、出来上がり。

中火から弱火でふっくら両面焼き上げて、和風ソースをかけていただく。味わいもさっぱり、栄養っぷり。肉肉しいハンバーグを食べた時に沸き上がる、"罪の意識"も感じない(やっぱカロリー高いとね、やってしまった!なんて思うでしょ^_^)。生姜の香りをきかせたあんかけソースをからめながら食べるとごはんがすすむ。ごはんがすすんだら一緒じゃん、つーハナシもありけど・・・。まー、まー・・・(^ ^;)
ゴボウのささがきをカラッと揚げたものや、白髪ネギをトッピングにしても美味い。和風ソースにきのこを入れて和風キノコソースにしてもOK。野菜や豆腐が入るので、いつものハンバーグの材料でも多めにつくれるのもお得なのだ。いつもラップで一人前ずつ丸めて冷凍保存しています。

だからハンバーグって便利だよね!

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蒼い描点

今日予定していたご飯食べの約束がキャンセルになった。
けれども胸の内はワクワク(^ ^)、夜、フジテレビ系でやる松本清張のドラマを見られるからだ。
私はなんといっても松本清張とヒッチコックが大好き。ヒッチコックの映画はもちろん、松本清張の小説がドラマ化されたとあれば必ずチェックしたい方。

今日のは「蒼い描点」。確かに昔読んだことがあるはずだが、ドラマを見ても全然ストーリーが蘇ってこない。というか、もう別物。いい悪いは別として、だいたい最近の松本清張ドラマというのは、現代風に脚色されているものがほとんどだ。蒼い描点はもともと松本清張にしてはテンポ良い軽い運びの小説のような面もあるから尚更だろうか、かなり違う話のように思えてくる。それはそれで面白く作られているのだが、松本清張ドラマであって欲しいのは独特の「怪しさ」だ。私が松本清張小説を好むのは、ストーリーやトリックの面白さ、社会性ももちろんだが、独特の「怪しさ」に触れたいと思っている。最近ドラマ化されているのには、洗練されすぎててその怪しさがないのが不満なところ。

その点印象に残っているのは大昔、テレビ朝日系やNHKでやっていたもの(再放送しか見たことはないが)。印象的なのが「書道教室」。しがないサラリーマンがふと美しい書道の先生を見て書道教室に通い始めるうちに、その教室の秘密が明らかになるというもの。主演は確か山本陽子と風間杜夫(こんな組み合わせも二度と見れない)。洗練された演出はないものの、その分原作に忠実で、まだ私は若かったが妙にワクワクしたものだ。怪しさも存分。あと「張り込み」や「砂の器」も衝撃的だったな〜。小説を読んでドラマでその世界を確認するのもまたファンとしての楽しみなのだ。

松本清張が生きた時代と現代というのは時代背景に随分隔たりがある。今は人々を取り囲む環境や背景が複雑で、みんなが共感するような世界を描きにくいが、松本清張作品には皆、複雑な人間の姿が描かれながらも実はずっと解りやすい人間の本性が描かれるところがいいのだと思う。松本作品に漂う「怪しさ」というのは、つまり人間らしさなんだと思う。

洗練されない方がいいものもあるのだ。今日ドラマを見てつくづくそう思った。

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山賊の襲撃

早朝、ドドドドド・・・と屋根の上で足音がした。
飛び起きて庭を見てみると、お隣の家の軒沿いに小猿が突っ走っている。裏の家の屋根にももう少し大きい猿がいる。久々に猿の襲撃だ。すぐさま大切に育てている茄子や西瓜のある場所を覗いてみたが、特に変わった様子はない。良かった・・・。と思ってもう一度寝てしまった。ところがどうだろう、起きてみるとやられていた・・・(* *)

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すっかり食い散らかされていた茄子と西瓜。ホントに、まさに今週末にでも食べようと思っていた茄子や西瓜がすっかり食い尽くされていた。特に西瓜はちょっとずつちょっとずつ大きくなるのを毎日眺めて、本当に楽しみにしていたのに・・・(* *;) 悲しすぎる・・・。ごちそう様、と土にでも書かれていたらまだしも、食べた残骸が乱暴にそのまま放置されているのを見ると、育てていた方は本当に悲しくなる・・・。

どうしてわかるんだろうか、食べ頃ということが。しかもウチなんて、本格的に畑をつくっているわけではない。庭の片隅でひっそり栽培しているだけなのに、なぜ狙われるのか!? お山の上ではこれまでもしばしば猿の襲撃を受けてきており、自治会で対策が練られたり、爆竹が配られたりしてきた。この間バスに乗っていたら、後ろでしゃべっているおばさんが話していたが、お勝手に置いてあった缶入りジュースも、プルトップをシュッと開けて飲んでいってしまうのだそうだ。

恐るべし、猿知恵!!

時々、列になってモンキーファミリーが歩いていたり、暖かい秋の日などは道ばたでくつろいで毛繕いする姿も見られ、それはそれで長閑な光景だった。かねがね、猿の方が元々このお山に住んでいた、いわば先住民だから、後から勝手に移り住んだ私達が、猿を憎んではいけないと思っていたが、やっぱりちょっと憎んでしまう。なんだか山賊に出会ったような気持ちだ。まあ、こうした山賊との戦いも含めてがお山暮らしということでしょうか。
罪を憎んで猿を憎まず。ちょっと説得力はないが、次はしっかりプロテクトしながら西瓜の栽培に挑みたいと思う・・・。

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ビッグサラダ

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突如、野菜をモリモリ食べたくなる時がある。
口には口内炎ができてるし、ここのところお酒もよく飲んでいるのでビタミン不足だろうか。カラダが欲しているに違いない。ということで今日のディナーはビッグサラダだ。

グリーンレタスにトマト、スナップエンドウ、胡瓜、赤ピーマンなどの盛りだくさんベジタブル。さらに今日は鶏肉に塩胡椒して、軽く小麦粉とカレー粉をまぶしてたっぷりのオリーブオイルで(つぶしたニンニクにもお忘れなく)焼いたものを投入。一緒にソテーした茄子も入れちゃおう。ドレッシングはヨーグルトにオリーブオイルとマヨネーズを少々、白ワインビネガーを入れて塩胡椒したヨーグルトドレッシング。チキンにもマッチングするのだ(^ ^)

サクサク、ガツガツ、野菜の醍醐味を存分に味わった。特にスナップえんどうは歯触りよく、甘味があっておいしい。サラダだけで終わらせようと思ったが、リエッタをパンに塗ってみたりするうちについついワインがすすんでしまい、週の半ばというのに週末のような酒量になってしまった・・・。

いかん、いかん、そんなつもりはなかったのに・・・っていうサラダディナーでした。

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この夏お世話になったもの

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この夏お世話になった二品、「アマゾンカムカム」の果汁と「漬物菜時記」という浅漬けの素。
カムカム果汁はビタミンCがレモンの10倍、アセロラの2倍もあるという、アマゾンで発見された新種の果物。仕事で知ったのだが、最初は「アマゾンカムカム」っていう変な名前に笑ってしまったものだ。「どっちの料理ショー」なんかで取り上げられて随分話題になったようだが、そのビタミンパワーに惹かれてすぐさま購入した。健康食品やサプリ等ほとんど摂らないタチなのだが、果汁というのはなんだかリアリティがある。値段も高くないし(800円ぐらいだったかな〜)、ヨーグルトに入れたり、ジュースに入れたりして夏の間活躍した。効果のほどはどうかわからないが(- -;)、やっぱり美肌と健康のためには、積極的に行動しなければならない! と珍しく行動した一品なのだ。

「漬物菜時記」は京都のちょっとこだわり食品ブランド、嵯峨野匠庵の浅漬けの素。どこがこだわりかと言うと、化学調味料などの添加物を一切使用せず、天然の塩や昆布等々で作られているところ。だいたいこーゆーのは、安心だけど味がね・・・というのが多い中、これは美味い! 特に胡瓜やミョウガとよく合う。野菜を切って浅漬けの素をふりかけ、混ぜ合わせるだけ。夏場なら30分でしっとり味が染みる。ほんのり柚の香りと昆布の風味が活きて、好きな味わい。この夏何度食べたろうか・・・?

もうお山の上はすっかり秋の気配。夜になると虫の音なんかも聞こえてくる。秋にお世話になるのはどんな食品だろうか。食いしん坊は今日もあくなき追求を続けている・・・(^ ^)。

嵯峨野匠庵 「漬物菜時記 」   350円
ちょっと高級なスーパーや百貨店(阪急や高島屋)に置いてあります。
この他、お醤油やウスターソース、お好み焼き粉やカレー等もおすすめ。

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イケない果物、イチジク

仕事でイチジクにまつわる文章を書いた。
実は不思議な果物のイチジク。あの果実を半分に割ると、サックリとした果肉が現れるが、中心の真っ赤な部分にある小さな白い粒々、あれが実はイチジクの花なのだ。イチジクは無花果と書く。花のない果樹で、手のひらのようなヒラヒラとした大きな葉を繁らす木には確かに花が咲かない。花は実は果実の中に潜んでいるという、なんとも不思議な果物なのだ。
イチジクというと、近所のお家の庭にごく普通に植わっているような身近な果樹で、「庭木の実」という感覚に近く、メロンやオレンジのようなフルーツと呼ぶにはあまりにもほど遠い気がしていた。加えて妙に柔らかい食感と、だらしない甘さ(そう思っていた)がどうも好きになれず、これまであまり見向きもしなかった果物だ。

ところが最近はイチジクに心ときめかせている。きっかけは随分前に購入した有元葉子著の「ワイン好きの食卓」という料理本。豚のベーコンサルビア巻きポルト風味、という料理にチャレンジしてみて、豚肉とイチジクのベストマッチングを知り、開眼してしまったのだ(これがまたワインに合う!!)。

イチジクとはなんと美味いものだろうか・・・(^ ^)。

それ以降は生ハムで巻いてみたり、サラダに添えてみたり、タルトを買ってみたり、すっかりイチジクファンになっている。最近はアイスクリームや大福まで出ているそうなので、この秋はそれらをぜひトライしてみたいと思う。子供の頃は全然イケてないと思っていた果物だが、今や大人の舌を魅了する、イケない果物のイチジク。キッカケが酒のアテだったというのがあまり可愛くないハナシだが、食わず嫌いの砦(さして高くはないが)というのは、年々確実に崩されている・・・。こうやっておいしいものが増えていくというのは、やっぱり喜ばしいことで、あーる・・・(^ ^)~

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クチーナ・イル・ヴィアーレ

二条駅近くにあるイタリアン、クチーナ・イル・ヴィアーレでディナー。
ここで食事するのは3年ぶりぐらい。以前はランチに来たのだが、あまりのお野菜のおいしさに感動。次はぜひディナーで、と思っていたら今日に至ってしまった・・・。今回はちょこっと仕事を手伝ったことをネタに、ご褒美ディナーをK氏に強要。満を持して連れてきていただいた(^_^:)

Antipasti


アンティパストは、パルマのハムやコンソメのゼリー(何だったか忘れた)、トマトのジャムをはさんだ水牛のモッツァレラ等と京野菜がいろいろ。素材を活かしてさっぱりとした味わいの一品。期待していたお野菜は、初めて来た時ほど印象に残るものではなかった。

Pasta1

パスタは2種。まずはモロヘイヤの冷たいパスタ。ウニと海ブドウが添えられていて、手前の黄色いのはカラスミのパウダー。モロヘイヤの青臭さも冷たいパスタだと爽やか。ウニの甘味はよく合っていた。

Pasta2


温かい手打ちパスタは、ブルーベリー入りクリームソース。テーブルでチーズを削って入れてくれる。このパスタは大変美味かった!ブルーベリーって意外とでしゃばらない甘酸っぱさで、クリームソースによく合う。エスプレッソのパウダーも絶妙でした。


Secondi

secondiは子羊か仔牛かどちらか。私は仔牛(仔羊や仔牛って、オーダーするのは胸が痛む・・・)をチョイス。
柔らかいお肉とゴルゴンゾーラソースがマッチングして、私的には好きな味。量もちょうど良かった。ガーリックを使わないイタリアンとして有名なこのお店だが、ガーリックが決して恋しくならない味の組み合わせがえらい!

というわけで、このあとデザート、エスプレッソと続いてディナーも終了。 おすすめワインもいつの間にか1本きれいになくなっていた(ちなみにK氏は下戸)・・・(^^;)


お料理には満足したが、初めてこの店に来た時に味わったような、鮮烈な感動は正直なかった。あの時は野菜が美味しくて、新しい味わいのイタリアンに新鮮な感動があったんだけど・・・。その一方でマイナスポイントが結構目についてしまった。各お料理の間が空きすぎて、いちいち時間がかかりすぎるのだ。飲めない人は余計ツライと思う。そしてテーブル席がイマイチなんだな〜。隣のテーブルとも近いし、照明も明るすぎて雰囲気がないというか、喫茶店のようでとにかく居心地がよろしくない。たぶんカウンター席の方がこのお店の場合しっくり来るんだろう・・・。

きっと期待が大きかったのだろう。満足度の中にもちょっぴり残念度が際立ってしまった。批評家気取りするつもりは毛頭ないが、お金をもらって料理で人を満足させることってホントに難しいな、と思う。あーだこーだ言いながら、作ったり食べたり、料理は楽しむ側にいる方がやっぱり一番いいね!(^ ^)。

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嵯峨野の清水焼窯元にて

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素敵な清水焼のタンブラーをいただいた。
取材で清水焼の窯元を訪れた際、美しい色合いの絵が目に入り、素敵ですね〜、と手にとって眺めていたらなんと帰りにくださったのだ。結構な値のするものなので、あわててお金を払いますと主張したのだが、直ちに包んで私にくださった。

うれぴー!!(^^)~

嵯峨野の風情ある街並みの一角に、にひっそりと佇む竹内陶遊陶苑。ご夫婦で開いてらっしゃる京焼・清水焼窯元兼店舗で、ご主人の陶遊さんがろくろを回し、奥さんが絵付けをするという理想的な分業で日々作品を生み出されている。陶遊さんがつくるのは、磁器ものが中心。そして白い磁器に映える、奥様が描くさまざまな絵付けが目を引く。
ものをもらったから言うわけではないが、まだお若いのにお二人ともとてもきさくで人柄の良い方々だった。修行を積んで、お金を貯めて、5年前にやっと自分達の窯元とお店を持ったのだそうで、そんな話も少し羨ましく、取材後はなんだか爽やかな気持ちになった。

テッセンの花が鮮やかな、このタンブラー。絵柄と季節はちょっと伴わないが、これからの季節、焼酎のお湯割りで、毎晩私を楽しませてくれるに違いない(^^)。秋の深まる頃には、今度は自分のお金でお気に入りの器を手に入れるため、再び嵯峨野を訪れようかと思っている。


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京都旅行の折には、しっとりとした趣ある嵯峨野の散策とともに、ぜひお店をのぞかれたし!
京焼・清水焼窯元 竹内陶遊陶苑
京都市右京区嵯峨野鳥居本仙翁町
(あだしの念仏寺前)
TEL 075-862-6199

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